2013年11月26日

アメリカのディプログラミング:3つの重要裁判

このブログの開始から、数ヶ月経った頃、「アメリカのディプログラミングの盛衰」というカテゴリーで、アメリカでは、どのようにしてディプログラミング(拉致監禁 強制棄教)が消滅していったかを示す英語のレポートを日本語訳したことがあった。

アメリカで、どのようにして、拉致監禁がなくなったか? 一言でいうと、裁判闘争を通してである。しかし、アメリカでも、最終的に拉致監禁がなくなるまでに、20年以上かかっている。裁判でも、ディプログラマーに有利な判決がいくつも出ている。きょうは、数多くあるアメリカのディプログラミングに関する裁判の中で、大きな転換点となった、3つの裁判例を取り上げたいと思う。

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2011年04月06日

悪の選択理論 – 犯罪者が自らを守ろうとする防衛理論

昨年の末から、今年の初めにかけて、当ブログにて、「アメリカのディプログラミングの盛衰」というレポートを紹介した。その中で、始めて聞く言葉がいくつもあったが、Choice of Evils 「悪の選択(防衛理論)」 もその一つだった。アメリカの拉致監禁裁判で、ディプログラマー側がよく使った防衛理論である。

悪の選択防衛理論は、その(犯罪)行為は、より大きな犯罪行為を防ぐためのものであり、やむを得ない手段であり、必要に迫られた手段 ( necessity )であったと主張し、犯罪者を有罪判決から守ろうとする防衛理論である。

アメリカで放映されたテレビ番組で Choice of Evils というのがある。たとえば、こんなあらすじである。

「倉庫でティーンネージャーの男の子が死体で発見された。彼の母親アリソンが疑われた。アリソンの元夫(少年の実の父親)は、刑務所暮らしをしている。アリソンの現在の夫が逮捕されたのをきっかけに、彼女は息子を殺害したことを認めたが、彼の実の父親が凶悪人物であり、そのようになる可能性のある息子の犯罪行為から人々を救うためだったと主張した。刑事は、田舎に住むパーフェクトな母親を、有罪判決にもっていくのに苦労する。」

ここで、母親が使った理論が、悪の選択防衛理論である。上記の赤字部分である。アメリカの刑事事件ではよく使われる手法である。上のテレビ番組の場合だと、その母親が、いつもはパーフェクトな母親であり、そして、元夫(少年の父親)が、極悪非道な犯罪人であり、そして、少年の行動に異常だったり、過激な点があれば、説得力はより強くなる。

では、悪の選択理論は、アメリカのディプログラミング裁判ではどのくらい効果があったのだろうか?

ディプログラマーが刑事事件、あるいは民事裁判で訴えられたとする。まず、公判では、その教団の不正・搾取・反社会的行動を効果的に述べ、そして、彼ら(ディプログラマー)は、そういう悪の集団から信者の救出のため、彼らにより悪の行為をさせないために、彼らの将来のためを思い、行動を起こしたのだと主張する。(もちろん、洗脳理論やマインドコントール理論も同時に用いる。)

この論理に多くの陪審員も裁判官も納得し、ディプログラマーに有利な判決が下りた。中でも代表的なのが、1978年ピーターソン裁判(ミネソタ最高裁)である。「子供をカルトから救出する時は、子供の行動の制限は監禁にはならない。」と判決を下した。ディプログラマーがお墨付きをもらった裁判だった。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/177968999.html


1989年のアドルフソン裁判第一審では、悪の選択理論の巧妙さに陪審員は、ディプログラマーに無罪判決を下した。
http://books.google.com.au/books?id=9SOuChpzhQcC&pg=PA193&lpg=PA193&dq=Britta+Adolfsson+Case&source=bl&ots=C6b4UNc3Q7&sig=Zh1dpxurhtnPRV_muLdDqei0UZs&hl=en&ei=mFmcTdjOH4KecLb64ewF&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=4&sqi=2&ved=0CCkQ6AEwAw#v=onepage&q=Britta%20Adolfsson%20Case&f=false

しかし、永久には「悪の選択理論」は通用しなかった。アドルフソンの上告裁判では、「将来の訴訟においては、悪の選択防衛理論は除外するすること」を決定し、「ここで、私たちは、その教会に在籍することが彼女への重大な損害・被害のおそれがあったと被告が関知したとしよう。被告が追求した救済方法は(刑事法違反 であることを知りつつ)、危険の迫っている損害・被害を避けるため、最も害の少ない方法だったということを、被告は示すことができなかった。」と述べた。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/182304325.html

1990年には、アメリカでは、「悪の選択理論」では、ディプログラマーを防衛できなくなってしまった。それから、数年の内に、ディプログラミングに壊滅的打撃を与えるジェイソン・スコットの裁判が始めることになる。

「悪の選択」理論は、犯罪行為を犯した人が、その行為の正当性を主張するものである。と、いうことは、その行為自体(誘拐、監禁等)は認めていることである。

「悪の選択理論」を学んで、どうしても、浮かんでくるのが、日本の「緊急避難」論である。米本和広氏の「我らの不快な隣人」P171〜172で、1987年の事であるが、「緊急避難」という言葉を使った弁護士の話が出ている。今、進行している後藤裁判で、宮村氏やその弁護士は、決して使うことのできない理論である。拉致監禁したことを認めてしまうことになってしまう。

「悪の選択」「緊急避難」にしても、過去の防衛理論だということだ。もし、今どき、「拉致監禁も緊急避難の場合は、やむ得ないと思う。」とか発言する人間がいたとしたら、その時点で、個人の自由・人権を蹂躙していることを認めたことになり、どういう場合が緊急避難なのか、きっちり説明しないといけないし、賢い人なら、決して使わない言葉である。

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2011年03月27日

緊急避難

長い間更新していなくて申し訳ありません。

3月11日(金)の日本での地震・津波・原子力発電所からの放射線漏れとかで、落ち着かない日々を過ごしてきました。犠牲になられた皆様、ご家族の皆様、津波で家を流された方々、子供、家族、親族、愛する人を失った方々に、心からお見舞い申し上げます。

こんな大震災に関係なく、今も二人の方が、監禁されており、私も、いつまでも、落ち込んでいるわけにはいかず、再び更新を始めたいと思います。

拉致監禁事件では、よく「緊急避難」という言葉が使い、拉致監禁を正当化する人がいます。アメリカの裁判では、ディプログラマー達は、 Choice of Evil (悪の選択)と言う理論を使い、自分たちを防衛しました。「緊急避難」と、「悪の選択」の共通性についてのレポートを今、書いております。完成次第、アップしたいと思います。3月末か、4月はじめを目標にしています。

2011年02月07日

「(米)ディプログラミング盛衰」からみた後藤民事訴訟の意義

フェファーマン氏のレポート「アメリカのディプログラミングの盛衰」を12回に分けて訳してきた。レポートだけでは、情報が不足していたり、不明なこともあったので、きょうの記事を書くため、私の方で調査の時間がかかり、少々更新に時間がかかった。

アメリカではなぜ、ディプログラミングが終わったか? 一言で言えば、裁判所が、ディプログラミングは違法であると判決を下し、刑事裁判では、犯罪者には禁固刑、罰金、そして、民事裁判では多額の損害賠償金を科したからである。

節目の重要な裁判の判決(アメリカ)を二つ紹介したい。(これまで、記事を読んでおられる方には復習になるし、このページを始めて読んでも、OKのはずだ。)


1984年 エイラーズ裁判
エイラーズの拉致監禁事件は1982年。刑事裁判は不起訴、その後の、民事裁判で、「監禁されていたのは疑いのない事実」とし、1980年ピーターソン判決(ミネソタ最高裁)を無意味なものにした。ピーターソン判決とは、「カルトから救出のためのディプログラミングは許される」という判決であり、ディプログラマーはこの判決に、お墨付きをもらっていた。その判決をひっくり返したのが、このエイラーズ裁判だった。
http://mn.findacase.com/research/wfrmDocViewer.aspx/xq/fac.%5CFDCT%5CDMN%5C1984%5C19840306_0000010.DMN.htm/qx


1995年 スコット裁判
1991年、その後の決定的裁判となるジェイソン・スコットの監禁事件が起きる。1993年、刑事裁判では、首謀ディプログラマーのリック・ロスと、ロスの二人のアシスタントが訴えられた。刑事裁判では、首謀者のリック・ロスは無罪放免、二人のアシスタントに対しては、執行猶予30日懲役1年という軽いものだった。

ジェイソン・スコットは民事訴訟を起こし、その判決が、1995年に言い渡された。詳細は前回の記事を参考にして欲しいが、懲罰的損害賠償金(合計400万ドル = 4億円)の内訳は、CANに対し100万ドル(約1億円)、首謀ディプログラマー リック・ロスに対し250万ドル(約2億5000万円)、ロスの二人のアシスタントに対しそれぞれ25万ドル(約2500万円)だった。CAN(Cult Awareness Network = 反カルト団体)は破産し、ディプログラミングの息の根は止まる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jason_Scott_case
参考文献:我らの不快な隣人 P163-165 米本和広氏


私は、日本の裁判については、まだまだ勉強することが多いのだが、今の段階での私の知識・情報に基づいて、アメリカの裁判と、日本の裁判を関連づけてみたいと思う。

アメリカ1984年のエイラーズ裁判に相当するのが、日本では2006年3月の今利裁判の最高裁での和解であると思っている。

エイラーズ裁判では、それ以前の、「カルトから救出のためのディプログラミングは許される」という判例を覆した画期的な裁判だった。この裁判の判決時の1984年には、ディプログラミング件数は減少傾向にあったが、この裁判を契機に1980年代後半に向けて、さらに減少していくことになる。

今利裁判では、1審、2審では原告(今利側)の負けで、最高裁で異例ともいえる和解が成立した。最高裁判事は今利さんの両親に 「二度と同じ事をしないように」と、説示した。(← http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/110205.html ) 今利裁判の最高裁での和解が成立したのは2006年だが、今利理恵さんが1999年に起こした裁判により事情は急変する。

ルポライター米本氏は、「宮村峻研究 by Mr. Harada」のある記事へのコメントで次のように語っている。「80年代の後半から、もっと絞って言えば90年代以降から、拉致監禁が毎日のように発生し、(略) ただ、99年に今利理絵さんが裁判を起こされたのをきっかけに、拉致監禁は激減しました。」(← http://miyamurakenkyu.seesaa.net/article/182025236.html#more 2011-01-26 18:56 のコメントより引用 )


エイラーズ裁判も、今利裁判も、拉致監禁、ディプログラミングを減少へと追いやっていったが、決定打には、次の裁判まで待たなければならない。


エイラーズ裁判の判決から5年後の1991年には、ジェイソン・スコットの拉致監禁が起きる。しかし、スコット氏の1993年の刑事裁判では、アシスタントに執行猶予付き判決のみで、首謀者は無罪放免だった。首謀者のリック・ロスは大喜びだったろうが、まさか、その後の展開は、予想もしなかっただろう。

今利裁判の最高裁の和解から、2年後の2008年、後藤徹氏が、12年5ヶ月の監禁から捨てられるように、解放された。検察は不起訴、そして、検察審議会も不起訴相当との判断を下し、刑事裁判の道はなくなった。宮村氏は、今後の展開が予測できるだろうか?

スコットの監禁から4年後の、1995年、民事裁判での判決が下りた。上記の通り、多額の損害賠償金が被告に課せられ、ディプログラミングを終焉させる裁判となった。

後藤徹氏は、つい先日の事だが、解放から3年後の2011年2月に民事訴訟を起こした。被告はディプログラマー宮村峻氏、松永堡智(やすとも)牧師、そして親族等であり、損害賠償2億円を求めている。
http://kidnapping.jp/news/20110203.html

私の中では、後藤徹氏のこの民事裁判は、アメリカでのディプログラミングに対し決定的な打撃を与えたジェイソン・スコット裁判と同じ位置にある。

スコット刑事裁判で首謀者が無罪放免になり、後藤刑事裁判は門前払いだった。しかし、アメリカの例を見ると、刑事裁判の結果よりも、民事裁判の方がより大きな影響を与えてきた。節目の判決は民事裁判で、刑事裁判の判決や不起訴を覆してきたのである。1984年のエイラーズ裁判もそうだし、1995年のスコット裁判もそうだ。

これから、何年かかるかわからないが、後藤氏には、健康でいて、これからの民事裁判で、真実を証して頂きたいと思う。今利裁判では、1審、2審敗訴だった。裁判に勝つとか、負けるとか、気にする事もないのかもしれない。堂々と、訴えて欲しい。


長く続いた、この連載の最後に、(別に狙った訳ではないが・・)後藤徹氏の民事提訴のニュースが入ってきた。フェファーマン氏のレポートを訳しながら、アメリカの事情を学びながら、今の私の持っている知識・情報で日本の裁判と比較してみた。私の知識が深まれば、見方も変わってくるかもしれないが、今の時点での、私の考えを書いた。

後藤氏の裁判が、日本の宗教的拉致監禁の終焉に向けて、大きな役割を果たしていくものと確信している。もし、他にも、起こせる裁判があるのなら、それに超したことはないが・・・


しかし、裁判が終わり、将来、拉致監禁がなくなっても、拉致監禁の残した多くの問題の解決のため、やるべきことがたくさん残っている。


更新状況:
2011-02-07 夜:記事アップ
2011-02-08 夕方:今利裁判部分に、米本氏のコメントを引用として追加


xxx

2011年01月28日

アメリカのディプログラミングの盛衰(12)

1ヶ月半かかったことになったが、今回の訳がフェファーマン氏のレポートの最後のものとなる。

1971年に始まったアメリカのディプログラミングは、今回のスコット裁判で、ディプログラマーとCAN(Cult Awareness Network = 反カルト団体)に多額の賠償金支払いが決定した1995年に息の根が止まった。(スコットの監禁は1991年である。)その後、CANは破産宣告をせざると得ず、そして、皮肉なことにCANが最も反対していたサイエントロジー教会がCANを買収した。

これで、フェファーマン氏の記事が終わりであるが、このレポートに関して、私なりの考えを、1回(もしくは2回)でまとめる予定なので、この連載はあと少し続く。


以下、原文と日本語訳 
斜線は訳者による注、 記事内リンクと青文字は訳者による
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The Jason Scott Case
ジェイソン・スコットのケース


Although deprogramming was already on the decline, the Jason Scott case sealed the doom of the deprogramming movement in the United States and put the Cult Awareness Network, which actively conspired with the faith-breakers, out of business. Jason Scott, at the time of the failed deprogramming attempt on him in January 1991, was an 18-year-old member of the Life Tabernacle Church, affiliated with the United Pentecostal Church International.[24]

ディプログラミングはすでに衰退の一途をたどっていたが、ジェイソン・スコット裁判が、アメリカのディプログラミング活動の息の根をとめ、信仰破壊者と共謀していたCAN(Cult Awareness Network)を破産に追い込んだ。1991年1月、ジェイソン・スコットへのディプログラミングは失敗したが、その時、彼は18歳で、国際ペンテコスタル教会の下部組織のライフ幕屋教会のメンバーだった。

A jury in the United States District Court for the Western District of Washington, after a six-day trial in Scott v. Ross, found the plaintiff Jason Scott’s abduction by deprogrammer Rick Ross and his team had violated Scott’s civil rights and that it constituted criminal negligence. They awarded Scott $875,000 in compensatory damages and $4 million in punitive damages. The jury allocated 10 percent of the negligence liability and $1 million of the punitive damages against the anti-cult organization, Cult Awareness Network (“CAN”), formerly incorporated under the name of Citizen’s Freedom Foundation, on the grounds that CAN had conspired with Ross to deprive Scott of his civil rights.

ワシントン西部区域のアメリカ地区裁判所の陪審員は、スコット 対 ロスの6日間に渡る裁判の末、ディプログラマーのリック・ロスと彼のチームによる原告ジェイソン・スコットの誘拐は、スコットの市民権を侵害しており、そして、犯罪的過失であると決定した。陪審員は、87万5000ドル(約8750万円)を補償的損害賠償として、そして懲罰的損害賠償として400万ドル(約4億円)のスコットへの支払いを裁定した。陪審員は、反カルト組織のCAN(Cult Awareness Network)に対抗して、過失責任の1割と、懲罰的損害賠償から100万ドル(約1億円)を割り当て、CANがロスと共謀しスコットの市民権を奪ったとの理由から、「市民の自由財団」と言う名前で正式に法人化組織を作った。

(訳者注:この民事裁判の判決は、1995年9月の事である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jason_Scott_case )

(訳者注:補償的損害賠償および懲罰的損害賠償◆補償的損害賠償は被害者が被った身体的および財産的損失を補償するための賠償金。懲罰的損害賠償は、不法行為訴訟などにおいて、加害行為の悪性度が高い場合に、加害者に対する懲罰および一般的抑止効果を目的として補償的損害賠償のほかに認められる損害賠償。 http://eow.alc.co.jp/compensatory+damages/UTF-8/ )

(訳者注:上記段落の後半の、陪審員とジェイソン・スコットとCANと市民の自由財団の関係は、今ひとつ不明である。日本語訳は、原文記事に従っている。)

The Cult Awareness Network filed an appeal to the United States Court of Appeals for the Ninth Circuit with respect to the jury’s verdict finding CAN liable for conspiracy and negligence.[25] The court of appeals noted that “[t]he evidence indicates that it was CAN’s practice to refer people to deprogrammers, including Rick Ross, and that Ross was known to engage in involuntary deprogramming.” The court found it important that CAN’s executive director had given referrals to Ross. The court found sufficient evidence, if believed by the jury, to establish that CAN members routinely referred people to deprogrammers, including Ross, that Ross conducted involuntary deprogrammings, and that CAN was aware that Ross conducted involuntary deprogrammings. The court also held that even though CAN had an official policy prohibiting involuntary deprogramming, this neither undermined the evidence concerning CAN’s practices nor precluded the imposition of vicarious liability on CAN. Following the court of appeals decision, CAN filed for bankruptcy.

CANは、CANが共謀と過失に責任があると定めた陪審員の決定を不服として、アメリカ第九巡回上告裁判所に上告した。上告裁判所は、「人々に、リック・ロスをも含むディプログラマーを紹介するのはCANの実践内容であり、ロスは強制的ディプログラミングを実践していたと言う事は証拠が示している。」と述べた。裁判所は、CANの執行役員がロスを紹介したことは重要であるとした。CANメンバーが定期的に人々にロスのようなディプログラマーを紹介し、ロスが強制的ディプログラミングを行い、CANはロスの強制的ディプログラミングについて知っていたということを立証するために、裁判所は十分な証拠を持っているとした。そして、CANは強制的ディプログラミングを禁止しているという公式見解を持っていたとしても、これは、CANの実践内容の証拠を過小評価するものではなく、CANの代償責任の負担を除外するべきでもないとの考えを裁判所は示した。上告裁判所の判断の後、CANは、破産宣告を行った。

(訳者注:アメリカ第九巡回上告裁判の判決は、1998年4月8日である。私の調査によれば、CANが破産宣告をし、サイエントロジーに買収されたのは、その判決の前、1996年11月の事である。なので、この段落の最後の文章は、正確ではないはずである。上記日本語訳は、原文に従っている。 
   http://en.wikipedia.org/wiki/Jason_Scott_case )

Summary and Conclusion 要約と結論

Although there were setbacks along the way, the legal battle against abduction and faith-breaking in the US generally followed a steady path to victory. Beginning with the convictions of Ted Patrick in the 1970s through the death-blow dealt to the Cult Awareness Network in 1991, the “deprogrammers” found themselves on the outside of the law. Even when police and local judges cooperated with them, their legal victories were short-lived. Civil libertarians and the mainline churches were outspoken in the opposition to faith-breaking. Wrong decisions by judges were overturned by higher courts.

長い戦いにおいては後退もあったけれど、アメリカにおける拉致・誘拐と信仰破壊に対する法廷闘争は、全般的に勝利に向けて着実に進んでいった。1970年代のテッド・パトリックの有罪判決に始まり、1991年のCANへの致命的打撃に至るまで、ディプログラマー達は違法行為をしていると見なされた。警察や地方の判事が彼らに協力的であったとしても、彼らの裁判の勝利は長続きはしなかった。人権活動家、メインのキリスト教会は進行破壊に対して黙ってはいなかった。裁判官による間違った判断は、上級裁判によって覆された。

Looking back over this brief survey of a complex history, one turning point in the battle appears to be the Eileers case, in which a federal appeals court overturned the decision of the Minnesota Supreme Court which had ruled that any cooperation with one’s captors, even in order to obtain and opportunity of escape, provided the abductors with legal cover for their crime. The Molko case resulted in the thorough discrediting of the “brainwashing” theory. The Ward case officially established that minority religions such as the Unification Church were a “protected class” deserving of First Amendment protections of religious liberty. The Britta Adolfsson case showed that the “choice of evils” defense did not protect parents and faith-breakers from legal liability. Finally, the Jason Scott case established that a supposedly “educational” group such as the Cult Awareness Network, could be held legally liable for violating a persons civil rights by collaborating in faith-breaking.

この込み入った歴史の概略を振り返ると、戦いの一つの転換点は、エイラーズ裁判だと思える。そのエイラーズ裁判では、連邦上告裁判所が、ミネソタ最高裁の「監禁犯に協力することは、たとえ逃走の機会を得る目的であったとしても、監禁犯の犯罪に対して法律的保護を与えるものである」という決定を覆したのである。モーコ裁判では、洗脳理論が完全に信用を失ってしまった。ウォード裁判では、統一教会のような少数派宗教も(米)憲法修正第一条の宗教の自由の保護を受けることのできる事を正式に証明した。アドルフソン裁判では、「悪の選択」防衛理論は、両親や信仰破壊者を法律的責任から守らないことを示した。最後に、スコット裁判では、CANのような教育団体と見られていた団体も信仰破壊者と協力すれば人権侵害の責任を問われることを明らかにした。
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日本語訳終了


ここから、管理人(訳者)のコメント:
アメリカでは、ディプログラミングの始まりから終焉まで、20年(もし、CANが崩壊するまでとするなら25年)かかったことになる。フェファーマン氏が、最後の要約と結論で述べている通り、アメリカでは裁判闘争を通して、「ディプログラミングは違法である」という結論が導き出された。さらに、興味あることは、CANがディプログラマーを紹介したことにより、4億円の賠償金の判決が下りたのである。

このレポートを読んでの、私なりの結論は、次回に書くことにする。


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2011年01月24日

アメリカのディプログラミングの盛衰(11)

いろんな言葉が出てくる。まず、今日の記事の訳の前に、「悪の選択」防衛理論を説明しておきたい。この理論は、訴えられたディプログラマーや、被害者の両親が、自分たちの犯罪行為を正当化(防衛)するための理論である。カルトの信者は、洗脳/マインドコントールによって、自らの自由意志を行使することができず、彼らをそのまま放っておくと重大な損害・被害の可能性があり、彼らを救済するために、彼らの自由を制限する(拉致・監禁)ことは、(より悪の行為を防ぐために)許される、より小さな(悪の)緊急手段的行為である・・・という理論である。

きょう紹介するアドルフソン裁判は、「悪の選択」防衛理論を打ち破った裁判である。

なお、本文中には、記載がないが、記事の注によれば、NCCの法廷助言書が出されたのが1989年、そして最終的な判決が、1990年11月23日のことである。

出典URL:http://www.religiousfreedom.com/index.php/index.php?option=com_content&view=article&id=483:the-rise-and-fall-of-deprogramming-in-the-united-states&catid=47:deprogramming-issues


原文と日本語訳、
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The Britta Adolfsson Case
ブリッタ・アドルフソンのケース


In People of the State of Colorado v. Dennis Whelan and Robert Brandyberry,[18] two men, Robert Brandyberry and Dennis Whelan, both professional deprogrammers hired by Britta Adolfsson’s parents, admitted to have abducted this 31 year old woman. However, they argued in a criminal case that they were not guilty of a crime. The trial court agreed that they were not guilty of a criminal conspiracy and kidnapping, under a “choice of evils” defense. This defense was based on the defendants’ claim that the victim had been “brainwashed” by the religious group of which she was a member and not therefore exercising “free will” with respect to her religious beliefs.[19]

コロラド州 対 デニス・ウェランとロバート・ブランディーベリー裁判において、二人の男性、ロバート・ブランディーベリ と デニス・ウェラン、両名ともブリッタ・アドルフソンの両親により雇われたプロのディプログラマーは、31歳の女性を誘拐したことを認めた。しかしながら、彼らは、刑事裁判において、無実であると主張した。第一審裁判所は、「悪の選択」防衛理論により、犯罪的共謀罪と誘拐罪について無実であると同意した。この防衛理論は、被害者は彼女が所属している宗教団体により洗脳されていて、それ故、彼女の宗教信条に関して「自由意志」を行使することができないという被告の主張に基づいている。

However, the district attorney representing the state believed the case represented an erroneous judicial holding and appealed to the Colorado Court of Appeals seeking judicial guidance as to “[w]hat kind of behavior is the law prepared to recognize as justifiable?”

しかしながら、州の地方検事は、その裁判は誤った司法判断であると信じ、「どのような行為が、法律上、正当化と認められるのか。」と司法の指導を求めて、コロラド上告裁判所に上告した。

Consistent with its 1974 Resolution, the National Council of Churches, together with Council on Religious Freedom, filed a friend of the court brief supporting the state’s position. That amicus brief argued that the trial judge clearly erred in permitting the jury to decide whether the claimed facts and circumstances could constitute justification without first specifically finding as a matter of law whether the asserted facts… that the actions taken by defendants were necessary as an emergency measure to avoid imminent injury and that there were no lawful means available to meet the perceived emergency. The judge’s failure to carry out his statutory assigned role, however, has far graver consequences than in the more traditional criminal actions. The court’s failure to make the appropriate determination as a matter of law permitted a criminal action directed against admitted violators of a serious criminal statute to turn the case into a heresy trial.[20]

1974年の議決より一貫した姿勢を持つNCC(全米キリスト教協議会)と、宗教の自由協議会は、州の立場を支持する法廷助言書を提出した。その法廷助言書は次のように述べている。
第一審裁判は、その主張が事実かどうかを法律的な観点からみることなく、その訴えられた事実と状況が妥当かどうかを、陪審員に決定させるという間違いを第一審裁判官は明らかに犯している。その主張された事実とは、「被告による行動が、切迫した損害・被害を避けるため緊急手段として必要だった。」ということと、「認識された緊急事態に対応するため、法律的な方法がなかった。」と言うことである。
裁判官が法廷での任された役割を実行しない事は、伝統的犯罪行為よりも、はるかに深刻な結果をもたらすものである。法律的な問題として、裁判所の適切な決意の欠如は、深刻な刑事法規の違反者の犯罪的行為を許し、裁判を異端審問に変えるものである。

The brief noted that the “necessity” defense raised here was the same defense used by one of the defendants, Robert Brandyberry, in the Eilers case in Minnesota.[21] The brief pointed out that the Eilers court specifically held that the defendants’ failure to attempt to use the lawful alternative available to them effectively eliminated the “choice of evils” necessity defense citing Eilers, 582 F. Supp. at 1099.[22]

ここで扱われた「必要性」から生じた(被告のための)防衛理論は、ミネソタ州のエイラーズサイン裁判で、被告のロバート・ブランディーベリーによって使われた理論であると、その法廷助言書は述べている。被告にとって他の利用できる合法的方法を使おうとしなかった事は、「悪の選択」防衛理論を効果的に排除してしまったと、エイラーズ裁判では具体的に述べている。

The Colorado Court of Appeals adopted the argument made by the National Council of Churches in its amicus brief, deciding in future legal actions to preclude the use of the “choice of evils” defense.[23] The appeals court said:

コロラド上告裁判所は、NCCが法廷助言書でなされた論点を採用し、将来の訴訟においては、「悪の選択」防衛理論は除外するすることを決定した。上告裁判所は次のように述べている。

Here, even if we were to assume that defendants rationally perceived that the victim’s membership in the church posed a threat of an imminent injury to her, they failed to show that the remedy they elected to pursue (knowing violation of criminal laws) was the least harmful option available to them for avoiding the threatened injury.

ここで、私たちは、その教会に在籍することが彼女への重大な損害・被害のおそれがあったと被告が関知したとしよう。被告が追求した救済方法は(刑事法違反であることを知りつつ)、危険の迫っている損害・被害を避けるため、最も害の少ない方法だったということを、被告は示すことができなかった。

Moreover, there is no evidence that defendants sought assistance or alternative remedies from law enforcement officials or from the courts, either prior to or after kidnapping the victim. Rather, defendants planned the abduction with the victim’s parents without benefit of legal advice about what reasonable legal alternatives might be available to avoid any supposed injury to the victim other than the remedy they chose by violating the law. . . . And, after the victim was seized, the defendants actively concealed her whereabouts from police authorities, continued their unauthorized custody and deprogramming efforts, and moved the victim repeatedly to avoid governmental or other outside interference with their activities.

さらに、被告が、誘拐の前、またはその後も、法執行当局者や裁判所から、助言、代わりの救済方法を模索した証拠はない。それどころか、法律違反を犯す解決方法より、被害者の受けるかもしれない被害を避けるため、どんな妥当な法的手段があるかについての法律的助言を受けることなく、被告は、被害者の両親と誘拐を計画した・・・ そして、被害者が捕らえられた後、被告は彼女の居所を警察当局に隠す事に努め、彼らは不法監禁とディプログラミングを続け、政府や他の干渉を避けるため、何度も被害者を移動させた。
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日本語訳終了

ここから、管理人(訳者)のコメント:
「悪の選択」防衛理論、この言葉は始めて聞くかもしれないが、「おたくの娘さん、このまま、統一教会にいたら、娘さんが犯罪行為をするだけでなく、人にも犯罪行為をさせることになり、今、手を打たないと、とんでもないことになりますよ。」という理論の法廷版だと思う。この理論は、アメリカの法廷では、1990年には、通用しなくなったということである。日本では、1990年代、当時すでにアメリカでは死んだ理論により、たくさんの人々が被害に遭うことになる。


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2011年01月18日

アメリカのディプログラミングの盛衰(10)

いろいろと忙しくしているうち、気がついたら、もう1週間も経っていた。

さて、きょうの記事は、アメリカ版「青春を返せ」裁判である。この裁判で重要な事は、このレポートを記したフェファーマン氏も述べている通り、ディプログラマーが頼りにしている「洗脳」理論が、裁判所によって拒否され始め、その理論は完全に信用を落としたことだ。

レポートでは、洗脳(brainwashing)という言葉を使っているが、これはマインドコントール(mind control)をも含めた意味なのか、このレポートからだけではよくわからない。原告が、「洗脳により・・」と、告訴すれば、被告は、「洗脳は・・・」とか、法廷助言書も「洗脳理論は・・・」と、なるはずだろう。

この連載、これで10回目だが、1986年あたりまでやってきた。1990年のCAN(Cult Awareness Network)が消滅するまで、あと4年である。多分、この連載、あと2回で終了できると思う。

出典URL:http://www.religiousfreedom.com/index.php/index.php?option=com_content&view=article&id=483:the-rise-and-fall-of-deprogramming-in-the-united-states&catid=47:deprogramming-issues


原文と日本語訳、
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The Molko Case
モーコのケース


This case, known formally as Molko and Leal v. Holy Spirit Association, did not involve faith-breaking per se but is important for it’s role in defeating the “brainwashing” defense that many deprogrammers used to justify their activities. Here, two former members of the Unification Church sued the church on the grounds that they had been victims of “coercive persuasion,” false imprisonment, intentional emotional distress, and deception. The case resembles in some ways the “lost youth” cases in Japan, in which plaintiffs won financial settlements from the UC. Here, however, the UC was not found to be liable, and the allegation of brainwashing was dealt a fatal blow.

この裁判は、正式にはモーコ・リール 対 統一教会として知られていて、信仰破壊には直接には関連はないが、多くのディプログラマーが彼らの活動を正当化するために使ってきた“洗脳”理論を打ち破った役割において重要である。ここでは、二人の元統一教会のメンバーが、(統一教会による)強制説得、違法監禁、意図的な情緒的苦痛、詐欺の被害者であるという理由で、統一教会を訴えた。この裁判は、ある面、日本では原告が金銭的解決を勝ち取った「青春を返せ」裁判に似ている。しかし、この裁判では、(アメリカ)統一教会は、責任はないものとされ、洗脳理論は、致命的打撃を受けることになる。

In Molko, the plaintiffs relied largely on the testimony of psychologist Margaret Singer to justify their claim that they had been victims of “coercive persuasion.” A lower court rejected this analysis and emphatically denied that any coercion was evident. It granted a “summary judgment” (without trial) in favor of the HSA (church). On March 31, 1986, the California Appeals Court upheld the lower court’s findings.[15]

モーコ裁判では、原告は、彼らが強制説得の被害者であるとの主張を正当化するため、主に心理学者のマーガレット・シンガーの証言に頼った。下級裁判所は、この分析を拒み、「いなかる明白な強制もなかった。」と、統一教会に有利な略式判決(正式な審理なく)が出された。1986年3月31日、カリフォルニア上告裁判所は、下級裁判所の判決を支持した。

As the case continued through the appeal process, the American Psychological Association filed a “friend of the court” (amicus) brief. [16] The brief stated that the idea of brainwashing, as related to religious movements, had no scientific basis. At a later date, the American Sociological Association submitted a similar brief, showing that a consensus that had emerged in the scientific community to reject the concept of brainwashing as it applied to new religious movements. Other groups filing amicus briefs that sided with the UC in this case included the Society for the Scientific Study of Religion, the National Council of Churches, the American Baptist Churches in the U.S.A., the Catholic League for Religious and Civil Rights, and the General Assembly of the Presbyterian Church (U.S.A.)

上告制度に従い、裁判が継続されるに従い、アメリカ心理学協会が法廷助言書を提出した。宗教運動に関連して、洗脳理論は、科学的根拠はないと、その助言書は述べている。後に、アメリカ社会学協会は、同じような助言書を提出し、洗脳理論が宗教運動に当てはめられようとする時、洗脳理論が拒否される動きが盛り上がってきていることを示している。他のグループも統一教会の側に立ち、法廷助言書を提出した。このグループには、the Society for the Scientific Study of Religion、NCC(全米キリスト教協議会)、アメリカバプティスト教会、宗教と市民権のためのカトリック連盟、全米プレスビテリアン教会が含まれている。

The California Supreme Court eventually reversed the Appeals Court on some theoretical points and upheld it on others. However, the UC was not judged guilty of any of the charges. Moreover, the brainwashing theory had been thoroughly discredited as an academic concept and the courts soon began to reject this theory completely.[17]

カリフォルニア最高裁判所は、最終的にいくつかの理論的ポイントについて上告審を覆し、他の部分については支持した。しかしながら、統一教会は、いかなる告発にも有罪判決は受けなかった。さらに、洗脳理論は、科学的概念としては完全に信用を落とし、裁判所は、すぐに、この理論を完全に拒否し始めた。
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原文と訳終了


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2011年01月10日

アメリカのディプログラミングの盛衰(9)

1980年代に入ると、新宗教に属する拉致監禁被害者に有利な判決が出るようになる。本日の記事は、監禁事件自体は、1976年のものだが、裁判が結審したのは、1981年である。心配した両親が成人した新宗教に入った子供を監禁する事に対し、裁判所が「差別的動機」という言葉を使った。

出典URL:http://www.religiousfreedom.com/index.php/index.php?option=com_content&view=article&id=483:the-rise-and-fall-of-deprogramming-in-the-united-states&catid=47:deprogramming-issues

原文と日本語訳、青文字は訳者による
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The Thomas Ward Case
トーマス・ウォードのケース


This case (completed in 1981) clearly established at the level of a Federal Appeals Court the right of an adult child to sue his deprogrammers, on the basis that new religions cannot be considered “cults” whose members lack civil rights, but constitute a class of minorities whose rights must be protected under US law.

この裁判(1981年結審)では、連邦政府控訴裁判所のレベルにおいて、成人した子供がディプログラマーを訴える権利を明確に定めた。それは、新宗教は、そのメンバーには人権がないカルトと見なされるのではなく、新宗教は少数派クラスの構成員であり、アメリカの法律のもと、彼らの人権は守られなければならないという点においてである。

On November 24, 1975, Unification Church member Thomas Ward came to visit his family in Virginia for the Thanksgiving holiday. But he was kidnapped at the airport and taken against his will to a location where deprogrammer Ken Connor and others restrained, assaulted, and deprived Ward of sleep. Ward was taken from Virginia Beach, Virginia, to Pittsburgh, Pennsylvania, where he was constantly subjected to physical and mental abuse.

1975年11月24日、統一教会のメンバーであるトーマス・ウォードは感謝祭の休暇のためバージニアの家族を訪ねた。しかし、彼は空港で拉致され、彼の意志に反して、監禁場所に連れていかれ、ディプログラマーのケン・コノーと他の者たちから、拘束、虐待、睡眠制裁を受けた。ウォードは、その後、バージニア・ビーチからペンシルバニア州ピッツバーグへ連れて行かれ、そこでは、持続的に肉体的、精神的虐待を受けた。

The lower United States District Court initially ruled against Ward and concluded that “since the parents of the plaintiff were motivated to act by their concern for the well-being of their son, the requisite discriminatory class bias was absent.” The United States Court of Appeals for the Fourth Circuit in Ward v. Connor, 654 F.2d 45 (4th Cir. 1981), however, overturned this verdict, stating:

(米)地方裁判所は、第一審でウォードに対して不利な判決を下し、「原告の両親は、彼らの息子の健康と安全を心配した動機による行動であり、(訴訟に)必要不可欠な差別的部類の偏見は不在である。」と結論した。しかしながら、ウォード対コノー(1981年)裁判で、(米)第四巡回再審裁判所は、この判決を覆し、次のように述べた。

While we do not quarrel with the court’s assumption in regard to such parental concern, the complaint sufficiently charges that the defendants were motivated to act as they did not only because they found the plaintiff’s religious beliefs intolerable, but also because of their animosity towards the members of the Unification Church. This, in our opinion, stated a discriminatory motive sufficient to support a claim under the statute.

そのような両親の心配に関する裁判所の思いこみついては私たちは論議しないが、被告が原告の宗教信条は容認できないと理由だけでなく、統一教会のメンバーに対する悪意も、動機となって行動を起こしたと、訴状は十分に述べている。私たちの意見では、これは、法律に基づき、訴えを支持するに十分な差別的動機である。

In this way a solid body of jurisprudence began to develop rejecting both the argument that parental concern can justify holding an adult child against his will for purposes of “deprogramming” and the argument that a victim’s eventual cooperation with his captors negates his rights to sue for harm.

このように、良識のある法律機関は、両親の心配から成人した子供をディプログラミング目的で彼の意志に反して監禁することを正当化する論議を拒否し始めた。同時に、被害者が監禁犯に対して、結果的に協力(監禁に対して同意 = 訳者注)したからと言って、被害に対して告訴する権利がなくなるという論議をも拒否し始めたということである(訳者注)。

(訳者注:この段落の後半部分の結論は、この前記事ピーターソン ケースからの結論と思われる。 )
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日本語訳終了

ここからは、管理人(訳者)のコメント:
本文内の青文字部分をもう一度書きたい。「被告が原告の宗教信条は容認できないと理由だけでなく、統一教会のメンバーに対する悪意も、動機となって行動を起こしたと、訴状は十分に述べている。私たちの意見では、これは、法律に基づき、訴えを支持するに十分な差別的動機である。

差別的動機」という言葉が出てきた。始めて聞く言葉である。差別的動機によって起こした行動(拉致監禁)は、両親であれ、その協力者であれ、被害者は訴えることができ、差別動機による拉致監禁は、被害者の訴えが裁判で支持されていくようになったということだろう。この裁判の結審は、1981年である。80代から、アメリカのディプログラミングは下降線をたどっていく。この連載もあと少し、多分、3回くらいであろうか。

正月早々、東京で32歳の統一教会の女性信者が、拉致監禁された。彼女の両親が、ディプログラマーからの教育により、「そんなひどい悪の統一教会から娘を救出しなくては」という差別動機からの拉致監禁であれば、もし、アメリカで1982年ならアウトであった。

次回は、アメリカ版「青春を返せ」裁判である。


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2011年01月06日

アメリカのディプログラミングの盛衰(8)

前回のピーターソンの裁判(ミネソタ最高裁)で、「カルトからの救出であれば、成人した子供の行動の自由の制限は、不法監禁ではないよ。」というお墨付きをディプログラマーはもらった。これが、1978年の事である。その後、ピーターソン判決を無価値なものにする判断が下りるのに、約5年かかることになるが、きょうは、その事件と裁判の経過である。

訳しながら、感じたことが一つある。後藤氏のケースとの類似点を感じた。後藤氏にもこの記事を読んで頂ければ幸いであるが、もちろん、後藤氏はすでに、こういった事件等については、勉強済みかもしれない。その類似点については、本文記事後の、訳者コメントに続く。

出典URL:http://www.religiousfreedom.com/index.php/index.php?option=com_content&view=article&id=483:the-rise-and-fall-of-deprogramming-in-the-united-states&catid=47:deprogramming-issues


原文と日本語訳 青文字は訳者による
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The William Eilers Case
ウィリアム・エイラーズのケース


Bill and Sandy Eilers were members of The Disciples of the Lord Jesus Christ -- the same group as in the Darlene Sense and Nancy Lofgren cases. On August 16, 1982, Bill Eilers, aged 24, and his pregnant wife, Sandy, 22, were abducted as they were leaving the Winona Clinic following Sandy’s prenatal examination. Bill was grabbed from behind by two security men and forced into a waiting van. Sandy was placed in another van, and both of them were driven to a religious retreat house a short distance away. Bill, although forcibly resisting, was carried by four men to a room on the top floor of the dormitory-style building. The windows of his room and the hallway were boarded over with plywood, and the telephone in the hallway had been dismantled. Bill and Sandy were held in separate quarters for 5 1/2 days. Shortly after their arrival Bill had a violent struggle with his captors and was subsequently handcuffed to his bed. He remained handcuffed to the bed for at least two days of his confinement. During the initial period Bill was allowed out of the room only to use the bathroom and was heavily guarded during those times. On one occasion when Bill had to use the bathroom, one of his abductors kicked a wastebasket toward him and told him he was an animal and could just use the wastebasket. During his confinement Bill was physically abused, threatened with mace, and told that he would be kept confined until he had been successfully deprogrammed. At no time during the week was Bill free to leave, nor at any time were reasonable means of escape available to him.

ビルとサンディー・エイラーズは、「主イエスキリストの弟子」のメンバーだった。ダーリーン・センスとナンシー・ロフグレンと同じ教団である。1982年8月16日、ビル・エイラーズ(24)と彼の妊娠中の妻サンディー(22)は、ウィノナ医療クリニックでのサンディーの定期検診から帰ろうとしたところを拉致された。ビルは、二人の守衛に後ろから捕まれ、待機してあったバンに押し込められた。サンディーは、別のバンに入れられ、近くの宗教施設に運ばれた。ビルは、激しく抵抗したが、4人の男によって、寮のようなビルの最上階の一室に連れていかれた。ビルとサンディーは、別々に5日半監禁された。監禁が始まってすぐ、ビルは拉致犯とかなり激しくやりあったため、結果的に手錠をかけられベッドにつながれた。彼は、少なくとも、監禁のうち2日間は、手錠をかけられたままだった。監禁当初、ビルはトイレに行くときだけ、部屋から出ることが許され、厳重に監視が付いた。ある時、ビルがトイレを使わなければならない時、監禁犯の一人は、ゴミ箱を彼に向かって蹴り、「獣(けだもの)のようなやつは、このゴミ箱を使え」と言った。監禁中に、ビルは、暴力をふるわれ、こん棒で脅され、ディプログラムが完了するまで、監禁が続く、と言われた。その期間は、ビルは逃げることの自由はなく、脱走のいかなる手段もあり得なかった。

On the evening of August 21, 1982, as Bill Eilers was leaving his temporary prison to be transported to Iowa City, Iowa for further deprogramming, he took advantage of his first opportunity to escape and jumped from the car in which he was riding. Some of his captors pursued him. Others sped away from the scene in an apparent attempt to elude the police, who had been called by local residents. The Winona Police Department, however, apprehended one carload of deprogrammers and placed them under arrest. A formal criminal complaint was filed against all but one of those who were captured by the police.

1982年8月21日の夕方、ビル・エイラーズは一時的刑務所を離れ、さらなるディプログラミングのため、アイオワ市に移送された。ビルは、脱走の最初の機会を利用し、乗っている車から、飛び降りた。監禁犯の一部は、彼を追いかけたが、住民が警察に通報したため、他は、警察沙汰になることを恐れ逃げた。しかしながら、ウィノナ警察は、ディプログラマー達を車ごと、取り押さえ。逮捕した。警察によって捕らえられた一人をのぞいて全員が、正式に刑事告発された。

On October 7, 1982, the grand jury selected to hear the evidence in the criminal case returned a verdict of “no bill,” thus dismissing all charges brought against the deprogrammers in the case and holding them blameless. Because grand jury proceedings are sealed, we may never know exactly what happened within the grand jury room. However, it is probable that the Minnesota Supreme Court decision in the Peterson case was an important ingredient in the grand jury’s decision. Also important was the fact that the prosecuting attorney did not call any of the deprogrammers to testify as witnesses.

1982年10月7日、大陪審*が刑事事件における証拠の聴取を行い、「不起訴」の判決が出され、ディプログラマーに対してのすべての容疑は却下され、ディプログラマーは、潔白の身となった。大陪審の議事録は封印されているため、大陪審の部屋で何が起きたかは正確に知ることはできないだろう。しかしながら、ピーターソンの裁判で、ミネソタ最高裁の判決が、大陪審の決定に重要な影響を与えたと想像できる。そして、重要なことは、検察官が証人としてディプログラマーの誰にも証言を求めなかったことだ。

(訳者注:大陪審 the grand jury – アメリカの司法制度で、20名くらいの陪審員が、刑事事件の起訴が妥当なものかどうか審議し決定するもの。)

When a civil suit was filed against the deprogrammers by Bill Eilers, the defendants claimed they had acted only “to exercise their constitutional rights of free speech.” The deprogrammers also quickly asserted they had no liability for what they had done because under the decision in Peterson they were relieved of any liability as agents of the parents. To them, Peterson seemed to provide safe haven for their illicit operations in Minnesota.

ビル・エイラーズがディプログラマー達に対し、民事訴訟を起こしたとき、被告人は、“憲法の表現の自由の権利を実践”するため行動しただけと主張した。ディプログラマーは、即座に、ピーターソン判決により、両親の協力者として責任は免除されているので、彼らが行った事に対する責任はないものと強調した。ピーターソンのケースは、ミネソタ州における不法行為のため、ディプログラマーに対する安全な隠れ家を提供しているようである。

At the conclusion of the Eilers trial, United States District Judge Harry MacLaughlin entered a directed verdict[13] of guilty on false imprisonment counts against each of the defendants. In his opinion,[14] Judge MacLaughlin stated:

エイラーズ裁判の結末は、(米)地方裁判所裁判官のハリー・マクローリンは、被告人のすべてに不法監禁の訴因について、有罪の指示評決[13]を下した。彼は、意見陳述書で、次のように述べている。

(注13:指示評決 a directed verdict – 陪審員裁判について、裁判官からの指示。陪審員が妥当な結論を出せなかったことが判明したのち、裁判官が指示評決を出すのが典型的な例である。)

There is also no question that the plaintiff was actually confined. Relying on the nnesota Supreme Court’s decision in Peterson v. Sorlien, 299 N.W.2d 123, 129 (Minn. 1980), the defendants contend that there was no actual confinement because there is evidence that the plaintiff consented to the defendants’ actions. At least by the fourth day of his confinement the plaintiff, in contrast, has testified that he merely pretended to consent in order to gain an opportunity to escape. The plaintiff’s apparent consent is not a defense to false imprisonment. Many people would feign consent under similar circumstances, whether out of fear of their captors or as a means of making an escape. . .

被告が実際のところ、監禁されていたというのは、疑いのない事である。ミネソタ州ピーターソン対ソーリエンのミネソタ最高裁の判決をもとに、「原告は被告の行動に同意した証拠があるので実際のところ監禁はなかった」と被告は強弁している。それとは対照的に、原告は、少なくとも監禁の4日目までに逃走の機会を得る手段として同意したふりをしただけだと証言している。原告の見かけの同意は、不法監禁に対する防衛にはならない。多くの人は、似たような状況では、監禁犯への恐怖から、または、逃走の手段として、同意したふりをするだろう。

Judge MacLaughlin’s opinion in the Eilers case, coming on the Federal level and specifically refuting the ruling of the Minnesota Supreme Court, thus nullified the “choice of evils” defense of the Peterson case. No longer could hired deprogrammers use vigilante methods to sell their services in the belief they could use the judicial system and the prejudices of the community to free them from both civil and criminal liability for their acts. Bill Eilers was awarded $10,000 in damages, but in addition the family members and others settled out of court for $50,000.

エイラーズ裁判のマクローリンの意見陳述は、連邦レベルでも取り上げられ、特にミネソタ最高裁の決定に対する異議が唱えられ、ピーターソン裁判の「悪の選択」防衛理論は、無価値なものになった。ディプログラマーは民事、刑事責任の両方から免債されることなく、ディプログラマーたちは司法制度や社会の偏見を利用できると信じて、自らのディプログラミングのサービス提供を売り込む事は、もはやできなくなった。ビル・エイラーズは、損害賠償として1万ドル(約100万円)を勝ちとり、そして、それに加えて、家族と他のメンバーとは5万ドル(500万円)で、法定外で和解した。
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日本語訳終了

ここからは、管理人(訳者)のコメント:
前書きで、後藤氏のケースと類似点があると書いたが、次の通りである。もちろん、相違点も多い。たとえば、エイラーズのケースでは、まがりなりにも、拉致犯は逮捕されているとか・・・しかし、何十年もの時間差と、別の国の司法制度の中での類似性というのは面白い。

類似点1 - 刑事事件としての起訴の却下:
刑事告訴が最終的に却下され、刑事裁判自体が始まらなかった。エイラーズケースの場合は、警察がディプログラマーを逮捕し、検察が起訴まではしたが、起訴は妥当ではないと、裁判所に判断された。後藤氏の場合には、検察は不起訴処分、それに対し、後藤氏は、検察審議会に「申し立て」を行うが、不起訴相当と判断され、刑事裁判自体が始まらなかった。

類似点2 - 却下された判断の決めたのは民間人:
エイラーズケースの場合は、陪審員(要するに一般の民間人)が、検察の求めた起訴が妥当なものかどうか審議し、妥当ではないと判断した。後藤氏の場合には、最終的には、民間人を集めた検察審議会が、不起訴相当と判断した。

類似点3 - 民事裁判
後藤氏は、民事裁判に訴えることを準備していると聞いている。エイラーズ氏の場合は、すでに過去の事であるが、後藤氏は、これからの事である。

裁判の結果が、類似点となるか、相違点となるか、それはわからない。しかし、アメリカの例を見てもわかるように、たとえ、判決によって時には後退があったとしても、裁判闘争により、拉致監禁がなくなっていったのも事実である。後藤氏の民事裁判の結果というよりも、まず、民事裁判を起こすということが、重要だと思う。裁判が始まれば、傍聴に飛んでいきたい気持ちであるが、ここはオーストラリア、ちょっと無理かもしれない。

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2011年01月01日

アメリカのディプログラミングの盛衰(7)

私の子供が15か16の頃までは、一緒によく釣りに行った。私は、船は苦手(船酔い)なので、桟橋とかでよく釣った。車で、片道2時間半くらいかかる所にもよく行った。魚がえさに食らいついてきた時の、手にビビッと感じるあの感触はたまらない、そのためなら、1時間でも、2時間でも待つことができる。

さて、昨日、大晦日、ディプログラミングの盛衰(6)をアップして、次の(7)を週の半ばにアップする予定で、翻訳作業を開始した。ビビッと釣りで感じるあの感触を、その記事を訳しながら、感じてしまった。もう、そうなると、途中でやめる訳にはいかず、作業も終わってしまった。まだ、昨日のを読んでいないと言われそうだが、別に推理小説ではないので、飛んでも大丈夫である。

前置きが長くなったが、アメリカの裁判では、いつも勝ってばかりではない。負けたこともある。負けたからといって、永久に負けたわけではない。私がビビッと来たのは、その判決理由である。このピーターソンの拉致監禁は、1976年5月で、裁判はその約2年後である。

出典URL:http://www.religiousfreedom.com/index.php/index.php?option=com_content&view=article&id=483:the-rise-and-fall-of-deprogramming-in-the-united-states&catid=47:deprogramming-issues

原文と日本語訳 青文字は訳者による
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The Susan Peterson Case
スーザン・ピーターソンのケース


The Peterson case, however, presented a set-back to religious freedom and temporarily encouraged the deprogrammers. In this case, the Minnesota Supreme Court decided that once a person stopped resisting her captors, even though she was ‘cooperating’ under duress, the fact that she had been held against her will did not constitute a “meaningful deprivation of personal liberty sufficient to support a judgment for false imprisonment.”

ピーターソンのケースは、しかしながら、宗教の自由にとっては、後退であり、ディプログラマーの活動を一時的に勇気づけたものだった。このケースでは、ミネソタ最高裁判所は、「たとえ、強要によって“協力”している状態であったとしても、拉致犯に対して抵抗を止めたなら、彼女が意志に反して監禁されていたという事実は、不法監禁という判断を裏付けるため、個人の自由を奪われたという重要で意味のある十分な構成要素にならない」と、結論を下した。

In May, 1976, Mrs. Margaret Jungclaus spoke to Kathy Mills, a professional faith-breaker credited with 41 “deprogrammings,” about the possibility of deprogramming Jungclaus’ daughter, Susan, who had become involved with a religious organization called The Way Ministry. At that time, Susan was 21 years old and engaged to a fellow Way member, Kevin Peterson, whom she later married. At this meeting, deprogrammer Mills suggested that Mrs. Jungclaus’ daughter -- a person Mills had never met -- had been “brainwashed.” Before Mrs. Jungclaus decided to have her daughter “deprogrammed,” however, she discussed the matter with a Lutheran clergyman from Bird Island, Minnesota.

1976年5月1日、マーガレット・ジュンクロウスは、The Way Ministry という宗教団体で活動している娘のスーザンのディプログラミングの可能性について、41件のディプログラミングに成功したプロの信仰破壊者キャシー・ミルズと話した。その時、スーザンは21歳、同じ教団の仲間のケビン・ピーターソンと婚約中であり、のち結婚した。その打ち合わせで、ディプログラマーのミルズは、ミルズが会ったこともないジュンクロウスの娘の事を “洗脳されている”と、示唆した。ジュンクロウスは、娘をディプログラムするかどうか決定する前に、彼女は、ミネソタ州バード・アイランドのルーテル教会の牧師に相談することにした。

On May 24, 1976, Susan was picked up at Moorhead State University, where she had been studying, by her father and the minister. The three drove to a house occupied by Veronica Morgel, Kathy Mills’ mother, who was also a “deprogrammer.” Susan’s father took his adult daughter to a small bedroom in the Morgel house where she was held against her will from May 24 to May 31. Susan screamed and cried and pleaded with several people to let her go, but her pleas were ignored. Her protest continued until approximately 3:00 a.m. on May 31. During this time Kathy Mills told Susan that papers had been drafted to commit her to Anoka State Hospital if she refused to cooperate with the deprogramming. She then ceased objecting, played a more passive role, and attempted to gain her captors trust. After a closely guarded trip to Ohio for “rehabilitation,” on June 9, Susan escaped by flagging down a police car after sneaking out of the house. She was taken to the Northeast Minneapolis Precinct by two police officers and was then freed to leave with her fiancé’s father.

1976年5月24日、スーザンは、彼女が通ってるムアヘッド大学で、お父さんと牧師が車で迎えに来た。3人は、キャシー・ミルズの母で、ディプログラマーでもあるベロニカ・モーゲルの住んでいる家まで走った。スーザンの父は、成人した娘を、モーゲルの家の小さい寝室に連れて行った。そこで、彼女は、彼女の意志に反して5月24日から5月31日まで監禁された。スーザンは、泣き叫びながら、そこの人々に開放するよう求めたが、彼女の願いは無視された。彼女の抵抗は、5月31日の朝3時頃まで続いた。この期間、キャシー・ミルズは、もし、スーザンがディプログラミングに協力しないなら、アノカ州立病院に収容させるための書類を準備している事を、スーザンに伝えた。スーザンは、それ以来、抵抗をやめ、消極的な方法で、拉致犯の信頼を得るよう努めた。6月9日にリハビリのため、護衛付きでオハイオまで移動後、スーザンはすきを見て家を出て、パトカーに手を振って止めて、救出された。彼女は、二人の警察官に付き添われ、北東ミネアポリス警察管区に移送され、婚約者の父が迎えに来て自由となった。

Susan later filed a civil lawsuit. A jury trial was held, and on February 17, 1978, judgment was entered in favor of Susan against Kathy Mills in the sum of $6,000 and against Veronica Morgel in the amount of $4,000. However, on appeal, the Minnesota Supreme Court overturned this ruling and sided with the abductors, saying:

スーザンは、のちに民事裁判を起こした。陪審員による裁判が開かれ、1978年2月17日、キャシー・ミルズに対して6000ドル、ベロニカ・モーゲルに対して4000ドルのスーザンに対して有利な判決が下った。しかし、上告審である、ミネソタ最高裁判所は、その判決を覆し、誘拐犯側に有利な次のような判断をした。

“When parents, or their agents, acting under the conviction that the judgmental capacity of the adult child is impaired, seek to extricate that child from what they reasonably believe to be `a religious or pseudo-religious’ cult, and the child at some juncture assents to the activities in question, limitations upon the child’s mobility do not constitute meaningful deprivation of personal liberty sufficient to support a judgment for false imprisonment.” [emphasis added]

両親や、両親の協力者が、成人した子供の判断能力が著しく欠いている状況のもと、彼ら(両親等)が合理的に信じられる宗教的、または偽宗教的カルトから子供の救出を模索する時、子供の行動の制限は、不法監禁という判断を裏付けるため、個人の自由を略奪されたという重要で意味のある十分な構成要素にならない。[太字は原文の作者による]

Justice Wahl, in a dissenting opinion, noted that under the theory advanced in the court’s decision, an individual’s `acquiescence’ in the latter stages of deprogramming operates as consent which `relates back’ to the events of the earlier three days and constitutes a `waiver’ of her claims of those days.” Recognizing the danger of the majority’s holding, Justice Wahl denounced it as a “dangerous precedent.” Justice Otis, in a separate dissenting opinion, also protested, stating:

ワール裁判官は、異議を唱える意見として、裁判の決定で展開された理論は、ディプログラミング後半で、個人が “おとなしく従う事”を、最初の3日間の出来事にさかのぼっても同意とみなし、これらの日々の彼女の要求の“権利放棄”となっていると指摘した。成人した大人を監禁することへの危険を認識し、ワール裁判官は、その判決を“危険な判例”と非難した。オーティス裁判官も、異議を唱え、次のように抗議している。

I join in the views expressed by Justice Wahl, and particularly take issue with a rule which authorizes what is euphemistically described as “limitations upon the adult child’s mobility” whenever a parent, or indeed a stranger acting for a parent, subjectively decides, without the benefit of a professional opinion or judicial intervention, that the adult child’s “judgmental capacity” is impaired and that they should be “extricated” from what is deemed to be a religious or pseudo-religious cult.

私は、ワール裁判官の提示した意見に加勢する。特に、次の裁定を取り上げたい。それは、親または、親のために働く、実質見知らぬ人が、専門家の意見を聞くことなく、裁判所の介入なく、成人した子供の判断能力が著しく欠けていると判断し、彼ら(子供等)が、宗教的または偽宗教的カルトから救出されるべきと主観的に決定していることを、“成人した子供の行動についての制限”と婉曲的に述べ、権威を与えた事だ。

Despite these warnings, this case became the key decision and was relied upon by the anti-cult movement throughout the United States as justification for their deprogramming activities. However, the Minnesota Supreme Court decision was subsequently repudiated by a Federal Court in the William Eilers litigation.

これらの警告にかかわらず、この裁判は、全米で、ディプログラミング正当化のため、反カルト運動により頼りとされる主要な判決となった。しかしながら、このミネソタ最高裁判所の判決は、その後、連邦裁判所のウィリアム・エイラーズのケースにより、完全に否定された。
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日本語訳終了

ここから管理人(訳者)のコメント:
訳しながら、自分の日本語で本当に意味が通じているんだろうかと思うことがある。本文中、青色部分、「抵抗をしていなければ、拉致監禁にはならないよ。」という理論である。この理論、どっかでお目にかかったことがないだろうか? 

後藤氏の検察審査会議決通知書のいたるところに出てくる論法ではないか?靴を履いて車に乗ったから、監禁ではない。大声で助けを求めなかったから、監禁ではない。女性だけが部屋に居るとき脱出しようとした形跡がないから監禁ではない等々である。その論法の類似性に、ビビッて感じてしまった。

ここからは、私の推測であるが、拉致監禁容認派、特に弁護士の先生方は、賢い人たちだと思う。その検察審査会議決通知書を英訳するほど能力/財力のある人々である。それなら、アメリカでどんな判決か出たかくらいは勉強して、役に立つものは利用し、まずい部分は、さらに徹底して対策を取って来たはずである。通知書の中の、「抵抗しないから監禁ではない」という論法も、ピーターソンのケースを参考にした弁護士等の影響とも考えられるかもしれない。

賢い弁護士なら、1990年にCANが壊滅していくまでのその過程は、十分に勉強されているはずである。(もし、勉強されていないようなら、この連載をあと5回ほど、お付き合い下されば、だいたいの事はわかるはず。)アメリカでは、ディプログラミングの消滅まで20年かかった。日本は、ちょっとそれよりも時間がかかっているようだが、永久に続くわけではないと信じている。

次回は、一時的に後退した信教の自由であったが、1980年代になり、新たな展開があるという話である。

参考URL:検察審査会議決通知書 (原田氏の宮村峻研究)

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