私の子供が15か16の頃までは、一緒によく釣りに行った。私は、船は苦手(船酔い)なので、桟橋とかでよく釣った。車で、片道2時間半くらいかかる所にもよく行った。魚がえさに食らいついてきた時の、手にビビッと感じるあの感触はたまらない、そのためなら、1時間でも、2時間でも待つことができる。
さて、昨日、大晦日、ディプログラミングの盛衰(6)をアップして、次の(7)を週の半ばにアップする予定で、翻訳作業を開始した。ビビッと釣りで感じるあの感触を、その記事を訳しながら、感じてしまった。もう、そうなると、途中でやめる訳にはいかず、作業も終わってしまった。まだ、昨日のを読んでいないと言われそうだが、別に推理小説ではないので、飛んでも大丈夫である。
前置きが長くなったが、アメリカの裁判では、いつも勝ってばかりではない。負けたこともある。負けたからといって、永久に負けたわけではない。私がビビッと来たのは、その判決理由である。このピーターソンの拉致監禁は、1976年5月で、裁判はその約2年後である。
出典URL:
http://www.religiousfreedom.com/index.php/index.php?option=com_content&view=article&id=483:the-rise-and-fall-of-deprogramming-in-the-united-states&catid=47:deprogramming-issues原文と日本語訳 青文字は訳者による
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The Susan Peterson Case
スーザン・ピーターソンのケースThe Peterson case, however, presented a set-back to religious freedom and temporarily encouraged the deprogrammers. In this case, the Minnesota Supreme Court decided that
once a person stopped resisting her captors, even though she was ‘cooperating’ under duress, the fact that she had been held against her will did not constitute a “meaningful deprivation of personal liberty sufficient to support a judgment for false imprisonment.”
ピーターソンのケースは、しかしながら、宗教の自由にとっては、後退であり、ディプログラマーの活動を一時的に勇気づけたものだった。このケースでは、ミネソタ最高裁判所は、「
たとえ、強要によって“協力”している状態であったとしても、拉致犯に対して抵抗を止めたなら、彼女が意志に反して監禁されていたという事実は、不法監禁という判断を裏付けるため、個人の自由を奪われたという重要で意味のある十分な構成要素にならない」と、結論を下した。
In May, 1976, Mrs. Margaret Jungclaus spoke to Kathy Mills, a professional faith-breaker credited with 41 “deprogrammings,” about the possibility of deprogramming Jungclaus’ daughter, Susan, who had become involved with a religious organization called The Way Ministry. At that time, Susan was 21 years old and engaged to a fellow Way member, Kevin Peterson, whom she later married. At this meeting, deprogrammer Mills suggested that Mrs. Jungclaus’ daughter -- a person Mills had never met -- had been “brainwashed.” Before Mrs. Jungclaus decided to have her daughter “deprogrammed,” however, she discussed the matter with a Lutheran clergyman from Bird Island, Minnesota.
1976年5月1日、マーガレット・ジュンクロウスは、The Way Ministry という宗教団体で活動している娘のスーザンのディプログラミングの可能性について、41件のディプログラミングに成功したプロの信仰破壊者キャシー・ミルズと話した。その時、スーザンは21歳、同じ教団の仲間のケビン・ピーターソンと婚約中であり、のち結婚した。その打ち合わせで、ディプログラマーのミルズは、ミルズが会ったこともないジュンクロウスの娘の事を “洗脳されている”と、示唆した。ジュンクロウスは、娘をディプログラムするかどうか決定する前に、彼女は、ミネソタ州バード・アイランドのルーテル教会の牧師に相談することにした。
On May 24, 1976, Susan was picked up at Moorhead State University, where she had been studying, by her father and the minister. The three drove to a house occupied by Veronica Morgel, Kathy Mills’ mother, who was also a “deprogrammer.” Susan’s father took his adult daughter to a small bedroom in the Morgel house where she was held against her will from May 24 to May 31. Susan screamed and cried and pleaded with several people to let her go, but her pleas were ignored. Her protest continued until approximately 3:00 a.m. on May 31. During this time Kathy Mills told Susan that papers had been drafted to commit her to Anoka State Hospital if she refused to cooperate with the deprogramming. She then ceased objecting, played a more passive role, and attempted to gain her captors trust. After a closely guarded trip to Ohio for “rehabilitation,” on June 9, Susan escaped by flagging down a police car after sneaking out of the house. She was taken to the Northeast Minneapolis Precinct by two police officers and was then freed to leave with her fiancé’s father.
1976年5月24日、スーザンは、彼女が通ってるムアヘッド大学で、お父さんと牧師が車で迎えに来た。3人は、キャシー・ミルズの母で、ディプログラマーでもあるベロニカ・モーゲルの住んでいる家まで走った。スーザンの父は、成人した娘を、モーゲルの家の小さい寝室に連れて行った。そこで、彼女は、彼女の意志に反して5月24日から5月31日まで監禁された。スーザンは、泣き叫びながら、そこの人々に開放するよう求めたが、彼女の願いは無視された。彼女の抵抗は、5月31日の朝3時頃まで続いた。この期間、キャシー・ミルズは、もし、スーザンがディプログラミングに協力しないなら、アノカ州立病院に収容させるための書類を準備している事を、スーザンに伝えた。スーザンは、それ以来、抵抗をやめ、消極的な方法で、拉致犯の信頼を得るよう努めた。6月9日にリハビリのため、護衛付きでオハイオまで移動後、スーザンはすきを見て家を出て、パトカーに手を振って止めて、救出された。彼女は、二人の警察官に付き添われ、北東ミネアポリス警察管区に移送され、婚約者の父が迎えに来て自由となった。
Susan later filed a civil lawsuit. A jury trial was held, and on February 17, 1978, judgment was entered in favor of Susan against Kathy Mills in the sum of $6,000 and against Veronica Morgel in the amount of $4,000. However, on appeal, the Minnesota Supreme Court overturned this ruling and sided with the abductors, saying:
スーザンは、のちに民事裁判を起こした。陪審員による裁判が開かれ、1978年2月17日、キャシー・ミルズに対して6000ドル、ベロニカ・モーゲルに対して4000ドルのスーザンに対して有利な判決が下った。しかし、上告審である、ミネソタ最高裁判所は、その判決を覆し、誘拐犯側に有利な次のような判断をした。
“When parents, or their agents, acting under the conviction that the judgmental capacity of the adult child is impaired, seek to extricate that child from what they reasonably believe to be `a religious or pseudo-religious’ cult, and the child at some juncture assents to the activities in question,
limitations upon the child’s mobility do not constitute meaningful deprivation of personal liberty sufficient to support a judgment for false imprisonment.” [emphasis added]
両親や、両親の協力者が、成人した子供の判断能力が著しく欠いている状況のもと、彼ら(両親等)が合理的に信じられる宗教的、または偽宗教的カルトから子供の救出を模索する時、
子供の行動の制限は、不法監禁という判断を裏付けるため、個人の自由を略奪されたという重要で意味のある十分な構成要素にならない。[太字は原文の作者による]
Justice Wahl, in a dissenting opinion, noted that under the theory advanced in the court’s decision, an individual’s `acquiescence’ in the latter stages of deprogramming operates as consent which `relates back’ to the events of the earlier three days and constitutes a `waiver’ of her claims of those days.” Recognizing the danger of the majority’s holding, Justice Wahl denounced it as a “dangerous precedent.” Justice Otis, in a separate dissenting opinion, also protested, stating:
ワール裁判官は、異議を唱える意見として、裁判の決定で展開された理論は、ディプログラミング後半で、個人が “おとなしく従う事”を、最初の3日間の出来事にさかのぼっても同意とみなし、これらの日々の彼女の要求の“権利放棄”となっていると指摘した。成人した大人を監禁することへの危険を認識し、ワール裁判官は、その判決を“危険な判例”と非難した。オーティス裁判官も、異議を唱え、次のように抗議している。
I join in the views expressed by Justice Wahl, and particularly take issue with a rule which authorizes what is euphemistically described as “limitations upon the adult child’s mobility” whenever a parent, or indeed a stranger acting for a parent, subjectively decides, without the benefit of a professional opinion or judicial intervention, that the adult child’s “judgmental capacity” is impaired and that they should be “extricated” from what is deemed to be a religious or pseudo-religious cult.
私は、ワール裁判官の提示した意見に加勢する。特に、次の裁定を取り上げたい。それは、親または、親のために働く、実質見知らぬ人が、専門家の意見を聞くことなく、裁判所の介入なく、成人した子供の判断能力が著しく欠けていると判断し、彼ら(子供等)が、宗教的または偽宗教的カルトから救出されるべきと主観的に決定していることを、“成人した子供の行動についての制限”と婉曲的に述べ、権威を与えた事だ。
Despite these warnings, this case became the key decision and was relied upon by the anti-cult movement throughout the United States as justification for their deprogramming activities. However, the Minnesota Supreme Court decision was subsequently repudiated by a Federal Court in the William Eilers litigation.
これらの警告にかかわらず、この裁判は、全米で、ディプログラミング正当化のため、反カルト運動により頼りとされる主要な判決となった。しかしながら、このミネソタ最高裁判所の判決は、その後、連邦裁判所のウィリアム・エイラーズのケースにより、完全に否定された。
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日本語訳終了
ここから管理人(訳者)のコメント:
訳しながら、自分の日本語で本当に意味が通じているんだろうかと思うことがある。本文中、青色部分、「抵抗をしていなければ、拉致監禁にはならないよ。」という理論である。この理論、どっかでお目にかかったことがないだろうか?
後藤氏の検察審査会議決通知書のいたるところに出てくる論法ではないか?靴を履いて車に乗ったから、監禁ではない。大声で助けを求めなかったから、監禁ではない。女性だけが部屋に居るとき脱出しようとした形跡がないから監禁ではない等々である。その論法の類似性に、ビビッて感じてしまった。
ここからは、私の推測であるが、拉致監禁容認派、特に弁護士の先生方は、賢い人たちだと思う。その
検察審査会議決通知書を英訳するほど能力/財力のある人々である。それなら、アメリカでどんな判決か出たかくらいは勉強して、役に立つものは利用し、まずい部分は、さらに徹底して対策を取って来たはずである。通知書の中の、「抵抗しないから監禁ではない」という論法も、ピーターソンのケースを参考にした弁護士等の影響とも考えられるかもしれない。
賢い弁護士なら、1990年にCANが壊滅していくまでのその過程は、十分に勉強されているはずである。(もし、勉強されていないようなら、この連載をあと5回ほど、お付き合い下されば、だいたいの事はわかるはず。)アメリカでは、ディプログラミングの消滅まで20年かかった。日本は、ちょっとそれよりも時間がかかっているようだが、永久に続くわけではないと信じている。
次回は、一時的に後退した信教の自由であったが、1980年代になり、新たな展開があるという話である。
参考URL:
検察審査会議決通知書 (原田氏の宮村峻研究)
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