1月末の記事 「後藤裁判判決の意義 - 宮村峻の責任を認めた画期的判決」 で、宮村峻の責任を認めた画期的判決であることを書いた。今回の記事では、問題点を書いて見たい。
最大の問題点は、1995年9月11日の拉致から、1997年12月末までの、2年数ヶ月の期間に対し、「被告等の不法行為はない」と、裁判所が判断したことだ。これにより、松永堡智(やすとも)牧師は、首の皮一枚で助かった。
事件の経過を、もう一度、そして、ちょっと詳しくまとめてみた。
1995年9月11日:東京の両親宅で拉致され、新潟のパレスマンションに連行され、監禁される
1997年6月22日:亡き父と対面のため、父宅へ、そのまま、東京の荻窪プレースに連行される
1997年12月末:荻窪フラワーホームに連行される。その後、間もなく、偽装脱会だったことを告白
1998年1月〜9月: 宮村峻が脱会説得に頻繁に現れる。
1998年2月か3月頃:松永が宮村と共にアパートに現れる(松永は一度だけ)
2008年02月10日:12年5ヶ月の監禁から開放され、11日未明、緊急入院、50日後に退院
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