2014年11月には、その夫婦は、高澤守牧師と親族15名を刑事告訴した。(その後、2015年5月に高澤守牧師は、自殺した。事件についての詳細は、当ブログ 前記事のリンク先を参考に)
2015年9月15日、被害者である告訴人が広島地方検察庁から呼び出しを受け、栗田検察官のと面会した。その面会の中で、栗田検察官は、告訴を却下する理由の説明を行った。(注:「国境なき人権」 のレポートは、名前はローマ字表記なので、漢字は分からないが、ここでは ”栗田” とした。)
栗田検察官の、拉致監禁被害者の刑事告訴を却下するであろう理由の核心部分は次の通りである。
当ブログ 前記事より:
★広島検察、監禁被害者夫婦の告訴 棄却方向か?
http://humanrightslink.seesaa.net/article/427833739.html
すべての親族は、彼等が行った犯罪行為を認め、拉致監禁があったことは疑いのないことである。これは故意犯である。
しかしながら、私 (注: 私 = 栗田検察官) は、宗教からの脱会を強要することが善なのか悪なのか、彼等の目的が国家による刑事罰を受けるものなのかどうか、判断できない。たとえば、もし、両親が息子、娘を拉致監禁し、"振込め詐欺" グループから脱出を強要したならば、善の目的のための正しい強要である。国家は彼等を罰するべきではなく、同じ論点がここにもあった。
きょうは、この検察官の、この発言をみていきたい。
人の手足を縛り、寝袋に詰め込み、車に押し込み、300キロ以上離れた場所に連行し、監禁した。これは、疑いようのない犯罪行為である。広島地方検察庁の栗田検察官も、「すべての親族は、彼等が行った犯罪行為を認め、拉致監禁があったことは疑いのないことである。これは故意犯である。」と認めている。
しかし、栗田検察官によれば、国家が罰するべきではない犯罪行為があるという。”振り込め詐欺”の例を出して、「たとえば、もし、両親が息子、娘を拉致監禁し、"振込め詐欺" グループから脱出を強要したならば、善の目的のための正しい強要である。国家は彼等を罰するべきではなく、同じ論点がここにもあった。」と説明した。
”振り込め詐欺” グループに入った子供に、そこからの脱会を強要することは、善の目的で正しい強要であり、国家は強要した両親を罰するべきではない。それと同様に、統一教会からの脱会を強要することは、善の目的であり、国家が、その強要した人を罰するべきではない。”と、いうのが、広島地方検察庁 栗田検察官の主張である。
栗田検察官は、この論理で、告訴人である被害者夫妻を、言いくるめようとしたのかも知れないが、あまりにもお粗末な、それ以上に、国家が意図的に犯罪者を見逃したり、作り出したりできる、恐ろしい論理である。
栗田検察官によれば、「手足を縛り、寝袋に詰め込み、車で連行、アパートに監禁」 という行為が、その目的によって、許されることがあるという。その判断基準は、その目的が善か悪かということ。
このブログの熱心な読者なら、覚えておられる方もおられるかもしれないが、アメリカの拉致監禁 (ディプログラミング) 裁判で、拉致監禁側によく使われた 「悪の選択論」 というのがある。一言でいえば、「大きな悪を防ぐために、やむを得ず、小さい悪 (犯罪行為) を行ったので、許してね」 という、拉致監禁側の行為を正当化し防衛しようとする時に使われる犯罪者のための防衛理論である。
アメリカの例であるが、「悪の選択論」 は、1980年代の後半までは通用したが、1989年のアドルフソン裁判で、「その教会に在籍することが彼女への重大な損害・被害のおそれがあったと被告が関知したとしよう。被告が追求した救済方法は(刑事法違反 であることを知りつつ)、危険の迫っている損害・被害を避けるため、最も害の少ない方法だったということを、被告は示すことができなかった。」と判決し、「悪の選択論」 は、拉致監禁事案では通用しなくなった。
「悪の選択論」 参考リンク:
★悪の選択理論 – 犯罪者が自らを守ろうとする防衛理論
http://humanrightslink.seesaa.net/article/194602114.html
★日本版 「悪の選択」 論 - 拉致監禁正当化理論
http://humanrightslink.seesaa.net/article/390177347.html
アメリカのオリジナル「悪の選択論」 は、
(1) 統一教会の反社会性を訴え、そして、
(2) 暴力を犯したことを認めたうえで、
拉致、監禁を正当化するという流れになる。しかし、日本では、アメリカの如くには、使うことが出来なかった。なぜなら、「悪の選択論」 を使うことは、暴力の存在を認めてしまうことになるからだ。後藤民事裁判では、被告等は 「後藤徹は、氏族メシヤの使命を果たすため、勝手に居座った。」 と主張した。
栗田検察官の主張は、アメリカのオリジナル 「悪の選択論」 とほぼ同じ内容である。否定することのできない暴力行為は確認されているので、いまさら、「暴力行為はなかった」 なんて、警察、検察は言うことはできない。栗田検察官は、暴力行為を認めた上で、統一教会の反社会性 (悪) に目を向け、その暴力行為を正当化してしまった。
アメリカでは、「悪の選択論」 が使われ、犯罪者の延命に一時的には効果があった。「悪の選択論」 を使ったのは、暴力行為を犯した被告 (拉致監禁犯) である。訴えられた被告 (拉致監禁を行った犯罪者) が、自己の暴力行為を正当化しているのである。そして、その巧妙な主張に、裁判官や陪審員も納得してしまった経緯がある。決して、警察や、検察が使った論理ではない。アメリカの警察、検察は、暴力行為に対して、刑事起訴を行っている。あくまでも、「悪の選択論」 を使ったのは、犯罪行為を犯し、起訴された拉致監禁犯の被告である。
日本の広島地方検察庁の栗田検察官は、拉致監禁犯が自らを守るために使う論理を、検察官の立場でありながら、犯罪者擁護のために、使っているのである。広島地方検察庁は、犯罪者の側に立って、犯罪行為を擁護している。
善悪の判断をするのは検察のすることではない。検察は、法に従って、犯罪行為を取り扱い、処理することが仕事である。広島地方検察庁は、被害者の刑事告訴に基づき、起訴しなければならない。
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書きたことは、まだまだあるが
長くなるので、この辺で。では、また。
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>栗田検察官によれば、「手足を縛り、寝袋に詰め込み、車で連行、アパートに監禁」 という行為が、その目的によって、許されることがあるという。その判断基準は、その目的が善か悪かということ。
本当に日本の検察官が話した言葉なのか、信じがたい話です。
>たとえば、もし、両親が息子、娘を拉致監禁し、"振込め詐欺" グループから脱出を強要したならば、善の目的のための正しい強要である。
これもそうです。
「"振込め詐欺" グループから脱出」させるために、子どもを拉致監禁し、説教する。この場合は「緊急避難」の法理として認められ、違法行為は免責されます。
しかし、目的の善悪で、犯罪行為が免責されることは決してありません。
栗田発言の正否が法廷で裁かれることになったら、彼は完全にアウトです。
いままでと何も変わった感じはなく、日本が法治国家でない一面が現れています。
これでいいのかどうか知りませんが、良しとするなら、その責任の重みがわかっているのか?検察官には自問していたきたいです。
もっと勉強してほしいです。
現在監禁中と思われる事件もオッケーですか?脱会すると言っているにもかかわらず、解放されないのかもしれません。これを良しとする判断の責任は重すぎると思います。
★緊急速報−新たな監禁事件が発生!
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-654.html
今、私、超多忙で週の後半になるまで時間が取れません。週の半ばか、後半にかけて、一つの記事にまとめたいと思います。ご了解下さい。
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