原告の勝訴、敗訴に関わらず、裁判所は、改宗目的の拉致監禁実行犯に相当な理解を示し、自由を拘束しての棄教目的の脱会説得に対し、明確な判断を示して来なかった。そして、拉致監禁件数は一時期に比べれば激減したものの、拉致監禁事件は起き続ける。
富澤裕子、美津子アントール、寺田こずえ、今利理絵 の4件に続く民事裁判といえば、後藤裁判となる。後藤裁判の 2014年1月28日の第一審判決は、それら4件の判決の間違った判断を覆すことができたのか?

Photo: Morning Glory November 2014
覆すことができたかどうかを確認するための、一つの基準は、アメリカのエイラーズ裁判での判決である。
アメリカでは、1980年のピーターソン裁判控訴審で、「カルトから子供を救出する時、子供が一時期でも監禁に同意したら、子供の行動の制限は重大な自由の剥奪にはならない」 との判決が下り、ディプログラマー(脱会説得者)にお墨付きを与えてしまった。それを、覆したのが、1985年のエイラーズ裁判である。判決文には、次のような箇所がある。
★アメリカのディプログラミングの盛衰(9)
http://humanrightslink.seesaa.net/article/179985659.html
被告が実際のところ、監禁されていたというのは、疑いの余地はない。ピーターソン裁判のミネソタ最高裁の判決をもとに、「原告は被告の行動に同意した証拠があるので実際のところ監禁はなかった」と被告は強弁している。それとは対照的に、原告は、少なくとも監禁の4日目までに逃走の機会を得る手段として同意したふりをしただけだと証言している。原告の見かけの同意は、不法監禁に対する防衛にはならない。多くの人は、似たような状況では、監禁犯への恐怖から、または、逃走の手段として、同意したふりをするだろう。
それ以前の、誤った判断を覆すためには、これくらいの明確な内容が必要である。後藤第一審判決は、エイラーズ裁判の位置まで到達できたのか?
答えは、NO である。
確かに、第一審判決は、12年5ヶ月の監禁のうち、偽装脱会を告白した後の10年間において、不法行為があったと認定され、部分的にせよ宮村峻の責任が問われたことは画期的であった。しかし、深刻な問題点があった。以下、第一審判決文より抜粋。
★後藤徹氏裁判判決文D−主文のとおり判決する。
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-251.html
平成7年9月11日の亡■<後藤徹氏の父>宅における状況は,原告においては,渋々ではあったものの,亡■<後藤徹氏の父>らの求めに応じ,自らワゴン車に乗り込んでおり,当該状況の態様をもって,直ちに原告が主張するような原告に対する 拉致行為があったものと認めることはできず,その際の被告■<後藤徹氏の兄>らの行為に違法性を認めることはできない。
また,(東京→新潟→荻窪プレース→フラワーホームの移動に関して) 原告自身,家族から 脱会説得を受けた場合の対処方を心得ており,偽装脱会を行って時期をみて統一教会のホームに戻ることを企図しながら,話合いに応ずる姿勢を示していたことが窺われ,また,本件証拠上,その間を通じて,被告■<後藤徹氏の兄>らに対して各滞在場所から自身を退出させるよう求めたり,機会をねらって各滞在場所からの退出を試みたり,各移動に際して抵抗を試みたりしたことが窺われないことからしても,原告が自身の置かれた状況を一応容認していたことが窺われるところであって, その間の被告らの行為については,直ちに違法性を認めることは困難であるというべきである。
明らかな抵抗しなかったから、自分で歩いて車に乗ったから、退出を試みたりしなかったら、また、偽装脱会中の話し合いに応ずる姿勢を示したからなどの理由により、被告の違法性が問われないという判断だった。
「自由が拘束された中での渋々の同意、一時的な同意」 によって、被告の責任が問われてこなかったのは、あるいは、実行犯の違法性を限りなく軽減させたのは、1980年頃のアメリカでもそうだし、2000年初頭の日本での民事裁判でもそうだった。
後藤第一審判決の、上記箇所は、まさに過去の判決を踏襲 (とうしゅう) した判断であり、アメリカのエイラーズ判決のレベルには達していない。
(しかし、後藤第一審判決では、偽装脱会を告白した後の、約10年間の不法行為を認定しており、まるで、いきなり主張が変わったような判決になっているのは不思議なところだが、最後には、賠償金額を、親族の原告を思う情愛を考慮し、低額な賠償額に落ち着かせている。)
ベルギーに本拠を置く国際人権団体 「国境なき人権」 は、日本の拉致監禁問題に関する報告書を、国連・自由権規約人権委員会に提出し、後藤裁判第一審の評価を行っている。これは、2014年7月に行われた、 "自由権規約" に関する日本への審査の一環で提出されたものだ。
★「国境なき人権」怒りの反論 (下) - 後藤判決の賠償額は 被害に対し不均衡
http://humanrightslink.seesaa.net/article/402448735.html
ごくわずかの賠償金が、”ディプログラマー” の一人だけに科せられたことは、後藤判決は、日本の他の似たような例に見られるように、きわめて問題のある司法の姿勢を持続させるものである。今日まで、民事裁判で、強制改宗の試みを不法行為と認定してのは、2件のみだけである。他の民事裁判で、裁判所は、原告が、一方的 ”出口カウンセリング” による損害を被ったかどうか検証しなかったか、または、一方的な ”出口カウンセリング” は、ある状況のもとでは、合法的であるという判断を下してきた。この行為を明確に糾弾することのできなかったことは、統一教会に対する差別的態度に根ざしている可能性があると、国境なき人権は憂慮を表明する。
残念なことに、強制改宗目的の拉致被害者の中心的主張は、正当性が立証されたにも関わらず、判決は、後藤徹氏の親族の責任に対しても、”ディプログラマー”の責任に対しても、完全に認定するには程遠いもので、後藤氏が受けた不公平の重大さを軽く扱った。この判決は、日本が、宗教の自由の保護に関して、著しく自由権規約に違反しているという結論を修正していくものではない。反対に、その判決は、後藤徹氏の家族、そして、彼に強要を行い、彼の自由を奪ったことに参加した家族以外の免責された人々の不法行為に対して、正当性を与えてしまった。したがって、その判決は、似たような拉致が継続していくことを許してしまう免責の風潮を助長させるものと考えられる。
後藤一審判決は、残念ながら、それまでの誤った判断を修正したレベルには到達していない。アメリカの例を出すならば、過去の間違った判決を覆したエイラーズ判決のような立場には至っていない。後藤第一審判決は、その判決の一部において、しかし重要な局面 (監禁の最初の2年数ヶ月) において、それ以前の誤った判決を踏襲した判決だった。
では、2014年11月の控訴審判決は、どの位置まで到達したのか? (続く)
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