2014年12月10日

(その二) 後藤控訴審判決の歴史的意義:後藤裁判に至るまでの裁判例

後藤裁判で、被告側が最高裁に上訴したしました。詳しくは、裁判ブログをご参考に!
★後藤裁判−宮村、松永、兄らが最高裁に上告!! 1%以下の可能性にかける。
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-298.html


では、簡単に、前回の復習から。

アメリカのディプログラミングが消滅していく課程において、以下のとおり、3つのステップがあった。
1980年:ピーターソン判決:拉致監禁グループにお墨付きを与える
「カルトから救出のための自由の拘束は、ある条件下で許容される」
 ↓
1984年:エイラーズ裁判で、ピーターソン判決が覆される。
「被告が実際のところ、監禁されていたというのは、疑いの余地はない。
原告の見かけの同意は、不法監禁に対する防衛にはならない。」
 ↓
1995年:スコット裁判での、決定的判決


では、日本ではどのような経過をたどってきたのか?

2000年前後に、富澤裕子、美津子アントール、寺田こずえ、今利理絵の4件の民事訴訟が行われている。(1980年には、精神病院に収容された3名の被害者が、後藤富三郎を相手に起こしたものがあるが、ここでは、直近の4件を取り上げる。)


■富澤裕子(ひろこ)裁判 (裁判の期間:1999年〜2002年)
1997年6月鳥取教会が襲撃され拉致される。原告の勝訴だが、控訴審では、「本件不法行為は親の子に対する愛情に基づいてなされていること」等を理由に、慰謝料が一審判決の55万円から10万円に減額された。刑事告訴もしたが、不起訴。

http://www7.ocn.ne.jp/~murou/scope/scope1/hiroshima-ks.html
http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/101008.html


■美津子アントール裁判 (1999年〜2003年)
二度の監禁を受けた。脱出時に大怪我をした。2002年3月8日、東京地裁は、「(両親は)前後2回にわたって、原告美津子に対し、『話合い』の場所に同行するように求め、原告美津子が同行に同意した」として、両親らによる「拉致」を否定した。

http://www7.ocn.ne.jp/~murou/scope/scope1/mituko-1.html


■寺田こずえ裁判 (2002年〜2004年
2001年大阪市内に66日間監禁される。韓国人である夫の捜索が奏功し脱出できた。66日間の監禁に対し、損害賠償20万円。刑事告訴は不起訴。

http://www7.ocn.ne.jp/~murou/scope/scope1/terada-1.html


■今利理絵(いまり・りえ)裁判 (1999年〜2006年)
2004年一審と二審とも、「損害賠償をもって償わなければならないほどの違法性を帯びた『逮捕、監禁』『脱会強要』には当たらない」 と認定し、原告は敗訴した。原告は最高裁へ上告、2006年、最高裁は異例の和解勧告を行い、家族間で和解が成立した。裁判長は、両親らに「二度と、自由を拘束することはしないように」 と説示した。刑事告訴は不起訴。

http://www7.ocn.ne.jp/~murou/scope/scope1/imari-wakai.html
http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/110223.html


2000年の頃には、拉致監禁最盛期の1992年前後の5〜6年に比較して、件数は激減していたが、これら4件の民事裁判が大きな要因となり、拉致監禁事件の件数の減少傾向はより確かなものになっていった。しかし、拉致監禁はなくなってはいないし、後藤徹氏の12年5ヶ月に及ぶ監禁 (1995年9月11日〜)は、これらの裁判中に続行していたことになる。

拉致監禁数グラフ 1988年以降.jpg

参考リンク:米国務省「宗教自由報告書」- 拉致監禁 2000年前後の動向
http://humanrightslink.seesaa.net/article/372256576.html


これら4件の民事訴訟に関し、ベルギーの人権団体 「国境なき人権」 は、国連・自由権規約人権委員会に、2013年7月に提出した報告書に、次のように述べている。(その報告書は、後藤控訴審裁判で、原告側より、甲185号証として裁判に提出された)

■<その5> 後藤裁判 控訴審 甲185号証:棄教を目的とする拉致と監禁
http://humanrightslink.seesaa.net/article/407330734.html
(民事訴訟の箇所より、抜粋)
ところが、横浜地方裁判所は2004年1月23日、今利理絵は拉致監禁及び棄教強要を受けなかったとしてこの訴訟を棄却した。それによると、彼女は両親が連れて行った様々なアパートに 「自ら歩いて入室し,両親の求めに対し,統一協会の信仰を持った経緯や同協会の教義について話をするようになった」 とされており、彼女の 「生活状況は標準的基準に比べさほど劣悪なものではなかった」 と付け加えている。裁判所は 「したがって各々の部屋において彼女の抵抗する意思を示したと認めるに足りる的確な証拠はない」 と結論づけ、原告の訴えを棄却した。

東京高等裁判所はこの件の控訴審において2004年8月31日に下級裁判所の決定を支持し、彼女は「その当初にこそ両親の行為に抗議の姿勢を示したものの、理絵中心の生活に心掛け、ゆったりとした生活を続けるうちに、両親に対して,統一協会の信仰を持った経緯や同協会の教義についても話をするようになったことが認められ、両親から受けている制約を逃れるために暴れるなどして抵抗した様子はうかがわれない」と詳述した。

原告はさらに最高裁判所に上告したが、和解を勧告された。原告と被告は互いの宗教の自由を尊重し、「円満な親子関係及び親族関係」を築く為に努力するよう約束させられた。

別の事例として、美津子アントール(Mitsuko Antal)は1996年に約7週間、1998年には10週間の2回にわたり両親によって拉致監禁され、或る牧師から未承諾の脱会カウンセリングを受けた。彼女と夫は両親と「脱会カウンセラー」を訴え、彼らが将来同様の行為を繰り返さないように、そして「脱会カウンセラー」に賠償金の支払を命ずるよう求めた。

2002年3月8日、東京地方裁判所第4民事部は、1996年に彼女が監禁されたアパートは南京錠が掛けられ、その鍵は一度も彼女に与えられなかった事実、また、6月に彼女が「自分のハンドバッグを使って窓ガラスを割ろうと試みたが成功せず」、ガラスを割る為の他の道具が見つからないうちに両親に取り押さえられた事実を認めた。裁判所によると、1998年に彼女は「普通の錠と防犯チェーンが付いていたが通常は南京錠が掛けられていた」別のアパートに監禁され、その鍵は「原告である彼女には決して手渡されなかった」。1998年7月26日に彼女は2階の窓をよじ登って外に出て雨樋を伝って下に降りることで脱出に成功した。裁判所は彼女の両親が彼女を「その自発的な意志に基づかないまま、その自由な精神的・身体的活動を制約するような態様の生活環境の下に相当期間にわたって置」き、「統一教会の教えと活動の問題点に関して議論するよう急き立てていた」ことを認めた。

ところが裁判所はその両親の行為が「これを直ちに『監禁』に当たるとか、原告美津子が信じている統一協会から脱会することを『強要』したものと断定することは相当でない」との判決を下した。

「脱会カウンセラー」に関して裁判所は、彼が「玄関のドアの防犯チェーンが南京錠で施錠されているのを目撃するのは不可能と考えられ、したがって彼女が両親によって拘束されていた事実を知っていたと推定するのは難しい」としている。

裁判所は美津子アントールの訴えを全て棄却し、その後に上級の裁判所に為された上告も却下された。

上記に紹介した全ての事例において、裁判所が親族の行為を「拉致」及び「強制的監禁」と表現するにせよしないにせよ、裁判所は親たちの行為に相当な理解を示している。HRWF はかかる陳述が統一教会に対する差別的姿勢に由来する可能性があるものと懸念している。

寺田こずえ関連の訴訟において統一教会はこの事件に関与した2人の「脱会カウンセラー」の高澤守及び尾島淳義に対し将来二度とさらなる脱会カウンセリングを行わないように差止請求を法廷に要請したが、法廷はこの統一教会側の要請を却下し、脱会カウンセリングの実行を明確に非難しなかった。

それどころか大阪地方裁判所は事実上、監禁された人が最終的にその信仰を放棄した事例においては強制監禁実行の条件下での「脱会カウンセラー」たちの活動が受け入れられていることが示唆されており、「高高澤及び尾島の説得に応じて脱会した元信者も多数おり、被告高澤及び被告尾島の説得活動は、説得対象者の属性、対応等の具体的状況によって、態様は様々である」 としている。

第二審の大阪高等裁判所に至っては、「高澤や尾島の統一教会信者に対する説得行動によって脱会した者も相当数存在し、この場合、仮に高澤及び尾島の行為に違法性があったとしても、信者が身体の自由を制約したことに同意し、もってこの違法性を消滅させる」としている。

ものみの塔聖書冊子協会日本支部の代表者たちがHRWFに語ったところでは、エホバの証人の女性信者に関する2002年の判決はこの宗教団体の会員に対するその後の拉致及び未承諾の脱会カウンセリングに対する抑止効果をもたらしたという。

しかしながら、統一教会員を巻き込んだ民事訴訟事例はその後の拉致及び脱会カウンセリング実行に対する顕著な抑止効果をもたらしていないが、これは裁判所が改宗目的の為の拉致や強制監禁や未承諾の脱会カウンセリングを明確に非難してこなかった失策並びに裁判所の判決における統一教会に対する差別的要素がこのような慣行の永続化に寄与してきたものとHRWFは考えている。
(引用終わり)


2000年前後から、数年間の間に、統一教会関連では、合計4件の民事訴訟が起こされた。原告の限定的ではあるが勝訴が2件、敗訴が2件である。(これに、加えて、ものみの塔に関する裁判が1件ある。)

国境なき人権が、上記レポートで述べている通りだが、勝訴、敗訴に関わらず、裁判所は、実行犯に相当な理解を示し、自由を拘束しての棄教目的の脱会説得に対し、明確な判断を示して来なかった。

日本の2000年はじめのこれら日本の裁判所の判断は、アメリカの1980年のピーターソン判決に代表される 「ディプログラマーに有利な」 判断と似ている。普通にみれば、身体の自由を拘束する不法行為であるにも関わらず、不法行為とはまったく認定されなかったか、されたとしても、極端に低い損害賠償額が認められただけだった。拉致監禁グループにとっては、言い訳と、逃げ道を作ってもらった判決である。

日本でのこれら4件のあとに続く民事裁判といえば、後藤徹氏のものである。2014年1月28日の、後藤裁判 第一審判決は、それ以前の欠陥判決を修正することができたのか?(続く)

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posted by 管理人:Yoshi at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 後藤裁判控訴審 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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