
最高裁に上告された場合、最高裁の審理は公開されないので、傍聴はできない。今回の控訴審判決が、後藤裁判の様子を目撃できる最後のものとなった。
私が拉致監禁問題をはじめて知るようになったのは、約5年前のこと。その後、2010年の9月に 「この人権侵害は許せない」 との思いから、何かできることはないかと、このブログでの活動を始めた。
平均して、一年に一度は日本に帰国しているが、2011年以降は、できる限り、拉致監禁問題の行事に、私の帰国予定を合わせた。一年に一度は帰国しているので、その時期をどこにするかだけであるが・・・ 2011年には、多くの被害者、活動家と面会し、2012年には、後藤裁判口頭弁論のようすを見学し、2013年6月には、松永堡智牧師の証人尋問と、宮村峻の証人尋問の両方を傍聴した。
今年 (2014年1月) には、後藤裁判第一審の判決の場に居合わせ、ここまで、来たなら傍聴できる最後の機会も目撃したいと思い、今回の控訴審の判決 (2014年11月) も帰国を決めた。
今、これを読んでいるほとんどの読者の皆様は、控訴審判決で裁判長が、10分ほどかけて、説諭 (なぜ、主文のような判決となったのかの説明) があったことを知っていると思う。裁判に詳しい人の話を聞いても、そのような説諭はきわめて、まれなことだという。一審の時のように、主文を朗読して、"数分で終わり" というのが、普通らしい。
裁判長は、その説諭で、この事案の概要の説明を始めた。私の印象は、「この裁判長は、この事案を詳しく研究したんだな」 ということだ。はじめての人が聞いても分かるような、丁寧で的確な説明だった。その説諭の中で、裁判長は、こう述べた。(私のメモからの再現なので、その通りの言葉ではないが・・・)
家族といえども、任意の説得の範囲を超えるものであれば違法であり、本件では、最初から本人の自由が拘束され、行動の自由のない状態が継続し、事実上の監禁状態だった。実際には、家族が行ったものであるが、松永牧師、宮村さんの指導があり、直接に監禁にタッチしていないが、不法行為を手助けした。
この一言を聞けただけで、この瞬間を目撃できて、涙が出そうになるくらいだった。日本の拉致監禁歴史の中で、重大な日になったような気がした。"気がした" というのは、その時点では、判決文はまだ読んでいないので、判決文の内容の "すさまじさ" は、知らない段階である。
その数時間後に、判決文を手にした。読めば読むほどに、後藤さんの主張がほぼ完全に認定されている。それは、ワゴン車に乗せられた件で "強い抵抗を示さなかった場面" からはじまり、新潟への移送、お父さんが亡くなり、東京への移送、そして最後の荻窪フラーワーホームへの移動、そして、追い出されるまでの件で、ことどごとく、"違法な制約" とされ、後藤さんの主張が、ほぼ完全に認められている。
そのような歴史的な判決であればあるほど、それとは対照的に、なぜか、私の心は重い。(続く)
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13日、裁判所に到着し、傍聴券の抽選会場の一番後ろの列に並ぼうとしていたら、裁判所前で、何か別の裁判の件で、スピーチをしていたグループの一人が、裁判所前の道路まで長い行列ができているのを見て、私に 「何の裁判ですか?」 と尋ねてきた。
「統一教会の信者である後藤さんという人が、彼の家族・親族に拉致監禁された事件での、損害賠償請求裁判です。監禁の目的は、後藤さんに統一教会を辞めさせることでした。」とか、なんとか、答えた。そしたら、前に並んでいた、若い女性が振り返って、「堂々と発言されてすごいです」 と、言ってくれた。
それで、話をしながら待っていたら、誰かが私を ”Yoshiさん” と、呼んだのをきかっけに、その女性が、"え? Yoshi さんですか? ブログ読んでます。国連での動きは参考になりました。" と、言ってくれた。W-CARP の事務局 広報の人だった。読んで参考にしてくれている人がいるのかと、うれしく思った。
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本当、そうでしたね。
これは、被告人側の「合意の上での話し合いだった」「徹は家族を伝道しようと居座った」という主張がことごとくウソだった、ってことですね。
ウソつきたち、卑怯者たちに蹂躙された、日本の信仰の自由。
日本社会はまだ、この事実に対する認識が十分なされていません。
今回の判決を機に、日本ではまだまだやるべきことがありそうです。