2014年11月06日

<その二> 後藤裁判 控訴審 甲184号証

<前回からの続き> 後藤裁判控訴審の原告側の提出書類甲184号証の紹介の続きである。

この報告書は、「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会(代表=後藤徹氏)」 が、国連・自由権規約人権委員会に提出されたもので、拉致監禁問題の問題点を、30ページくらいに量にうまくまとめている。今回は、日本の警察、裁判所の拉致監禁に対する扱いを、多くの例を挙げながら、説明している。

きょう紹介するのは、以下の赤字部分である。

日本における拉致と強制棄教
2013年6月30日


序論  ……………………………………………………………………………… 2

I. 一般的状況 …………………………………………………………………… 3

II. 宗教的「説得」と「リハビリテーション」 ……………………………… 5

III. 品位を傷つける扱い ………………………………………………………… 7

IV. 女性に対する暴力 …………………………………………………………… 8

V. 日本の当局による助力 ……………………………………………………… 10


A) 警察の怠慢または助力 ………………………………………………… 10

B) 起訴の不存在 …………………………………………………………… 15

C) 民事裁判所:拉致・棄教強要に対する差止請求の棄却 …………… 18


VI. 法的論証:国際的人権条約に対する違反 ………………………………… 21

結論  ……………………………………………………………………………  28


読みやすくするため、段落間に行をあけたり、文中、色、見出し、注を加えたり、枠をつけたり等の作業を行いましたが、文章自体は、裁判所に提出された原文のままです。
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V. 日本の当局による助力

A) 警察の怠慢または助力

こうした行いに対する警察の対応に関して、第一の特筆すべきことは、警察が行方不明者の捜索を拒否することである。

>>> I・タカノリの例:

現在失踪中で法的には成人している21歳の学生 I・タカノリ の事例においては、彼と一緒に住んでいた、統一教会の関連学生サークルであるCARP(大学原理研究会)の代表者が、行方不明者の届け出をするために警察に行った。

日本において行方不明者の捜索について規定している法規定は、「行方不明者発見活動に関する規則」であり、これは「国家公安委員会規則」の一部である。これらの規則は、警察法施行令に基づいている。
国家公安委員会は内閣総理大臣所管下に置かれ、日本の警察組織のトップである。その規則は日本における全ての警察によって適用されなければならない。

「行方不明者発見活動に関する規則」の第二章第6条は、行方不明者が行方不明となった時におけるその住所又は居所を管轄する警察署長は、次に掲げる者から行方不明者に係る届出(行方不明者届)を受理すると述べている:
二 行方不明者の配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)その他の親族

五 前各号に掲げる者のほか、行方不明者の同居者、雇主その他の当該行方不明者と社会生活において密接な関係を有する者

I・タカノリ のケースでは、CARP代表のM氏が上記の第6条五に従って、行方不明者届を提出するために警察の様々な部署に行った。

M氏は生活安全課に行ったが、そこは地方の警察署において行方不明者を捜索する部署である。彼らは国家公安委員会規則に従わなければならない。以下は彼の報告である。
M氏は、自分は I・タカノリ と一緒に住んでおり、「行方不明者発見活動に関する規則」と題する「国家公安委員会規則第十三号」の第六条によれば、「行方不明者の同居者」の範疇に該当することを説明した。彼は警察に行方不明者届を受理するよう求めたが、K氏(警察官)は、「家族と親族が優先。まず私たちは彼の両親に連絡しなければならない。それはやります」と答えた。M氏は、「彼の両親が宗教的な理由で彼を監禁している疑いがあるんです。ですから、彼と直接話をして、彼が自分の意思で両親と話し合いをしているのか、それとも監禁されているのかを確認してほしいのです」と答えた。しかし、警察官は「親に連絡がとれ、そこに本人もいるということが分かり次第、行方不明扱いではなくなるので、それ以上はなにも出来ない。生活安全課が出来るのはそこまで。それ以上のことは、警務課に話してほしい」と言った。

M氏は次に警務課に行ったが、そこは日本の警察組織においては主に深刻な犯罪、例えば強盗、殺人、傷害、脅迫などを、事件が起こった後で扱う部署である。彼は以下のように報告している。
警察官は言いました。「『行方不明者発見活動に関する規則』が、『行方不明者の同居人』について言っているのは、両親または親族と連絡が取れない場合にのみ、そのような人々が行方不明者届を出せるという意味だ。ここでいう同居人というのは、一緒に寮に住んで、ルームシェアしているというレベルではなく、その人が一緒にいないと行方不明者がちゃんと生活出来ないというレベルのことをいう。」

こうして警察官は行方不明者届の受け取りを拒否した。すると生活安全課のK氏からCARP代表に電話がかかってきた。彼は両親と連絡がつき、両親は「家族で話し合いをしているだけですから、安心して下さい」と彼に言ったとのことであった。CARPのスタッフがI・タカノリ本人と直接話したのかと聞いたが、警察官は「両親から本人と一緒にいると言われた時点で行方不明扱いにならないし、生活安全課でやる仕事はそこまでだからそれ以上はやる必要はない」と言った。

生活安全課も警務課も共に I・タカノリ が書いた弁護士への委任状を見せられた。そこには、家族が統一教会に反対しているために拉致監禁される危険があることを彼が知っていたことが書かれてあり、CARPのスタッフおよび弁護士に対して、自分が消息不明になったときには探し出して救出してくれるよう要請している。さらに、彼は緊急用のブザーを持っており、それが発信された場所は彼の実家を示していた。

しかし、警察は行動を起こすのを拒否したばかりか、行方不明届さえ受け取らなかった。

CARP代表は、I・タカノリの弁護士のアドバイスを受けて警務課を再び訪れ、そこから弁護士に電話をかけ、彼と警察官を直接会話させようとした。しかし、スピーカー・フォンを弁護士が通して話しかけても、警察官が故意に会話を拒否したため、何の回答も得ることはできなかった。

>>> I・ノブコ の例:

警察の同様の態度は、他の事例にもみられるが、その一例が最近の I・ノブコ の事例である。彼女が監禁されていたとき、統一教会の代表が警察を訪問し、彼女の居場所を探して欲しいと依頼した。警察官は彼の説明を聞いたが、「申し訳ないのですが、刑法で親子の問題で警察が動くことはできないんです」と答えた。統一教会の代表は、ただの話し合いではなく、監禁の可能性が高いことを説明した。警察は、「親子間では、多少の暴行があっても警察は動けないんです。あなたは家族ではないので、あなたからの依頼は受け取れません」と答えた。

しかしながら、刑法は家族の問題に加入できないという発言は、日本の刑法のいかなる規定に基づくものでもなく、伝統的に家族を神聖なものとみなすという習慣に基づくものに過ぎない。

別のケースでは、警察の怠慢は積極的な助力に変わっている。

>>> K・ミユキ の例:


最近の K・ミユキ の事例では、彼女が拉致されようとしているとき、警察は彼女を助けるのを拒否した。家族が彼女を家から強制的に連れ去ろうとしたとき、彼女は叫び声をあげ、近所の人が警察に通報した。何が起きたかを一人の警察官が確かめに来たとき、彼女の両親と親戚は彼に状況を説明した。ミユキは警官に助けを求めたが、彼はそれは家族の話し合いだと言って彼女の歎願を無視した。彼女はその後、拉致されて監禁された。

>>> 美山きよみの例:

美山きよみもまた、助けを求めて叫び声をあげ、警察が呼ばれて現場に現れた。しかし警察はあえて彼女に話しかけたり、彼女が何をしているのか確かめたりしようとはしなかった。彼女は以下のように報告している。
私の両親は警察に対して、私が統一教会に入ったので考え直させようとしているのだと話しました。両親は警察にこれは「親子の問題」だと言いました。警察は分かりましたと言って去りました。しかしドアの向こうでは、私の弟が私を床に押さえつけていました。彼の手が私の口を覆っていたので、叫ぶことができなかったのです。


>>> 寺田こずえの例:

警察の振舞いの特筆すべき例は、寺田こずえのケースにおいて見られる。監禁の初めの頃、強制的脱会説得の専門家である高澤牧師は彼女に対して、自分と警察のつながりについて、「どうせ警察が来ても、原理のことだと分かったら『じゃあ頑張ってください』と協力してくれる」と言って自慢した。彼は財布から警察の名刺を5、6枚出し、「私は警察と付き合いがある」と強調した。

実際にこれは本当であることが示された。寺田こずえは、助けを求めるメモを玄関の牛乳受けの隙間から外に出すことに成功した。一人の警官が現れたが、彼女は以下のように報告している。
警官が玄関ドアをノックしたので、私は「助けてください、不当監禁されています」と叫びました。すると両親は私の口を塞いで奥まで引きずって行きました。私が救出を求めて叫び続けたため、母は私の頭や顔を両手で6、7回連続して力一杯叩き、父は掛け布団を私の全身にかぶせ、私を畳の上に押さえつけ、上に乗って手で私の口を塞ぎました。この間、母は高澤に携帯電話で「警察です。一人で来ています」と報告し、指示を仰ぎました。

彼女の母は電話の後、玄関ドアまで行き、外の警官に 「この子は精神病なんです。統一教会に入って、親に嘘をつくような子になったんです」 「牧師さんが1時間後に来ます」 と言うと、警官はマンションの下で待っている旨を伝えて立ち去った。約1時間後に高澤牧師が到着し、警官と共に警察署に行った。更に約1時間ほどすると高澤牧師が1人で戻ってきて 「警察は私を知っていました。『あまり近所迷惑にならないように気を付けてください』 と言って事情を分かってくれました」 と話した。

寺田こずえが解放された後に、彼女が高澤牧師との通話を録音した中で、彼は自分が過去に数百名の人々を監禁(「保護」)したことを説明しており、彼女のケースでは、警察は彼女が監禁されていたことを分かっていたと認めている。彼はさらに、彼が警察署に呼ばれたとき、そこで何が起こったかを説明している。
事実を現状をよく説明すれば、ああこれは不法監禁じゃなくて、親子の話し合いなんですねということになるわけ。だから、実際そうでしょ。親も中に一緒にいるわけだから。だから、逆にお父さんお母さんとか、由美子さん抜きで私がうちの例えば教会員を誰かこう連れてね、それでこれはもう閉じこめなきゃいけないんですなんて、ああいう場に親抜きとか、やっていたらこれは監禁ということになるわけでしょ。だけれど家族が、一緒にこうね、心配のあまり何年も心痛めながらそうしたところに私も実際頼まれて行っているわけですから、そういう現状になると警察は、ああよく話しがわかりましたっていうことになるわけ。

つまり統一教会に対する偏見と敵意の故に、警察は拉致・監禁に同意したのである。そして両親の同席を理由に、警察はそれらが親子の対話であることに同意し、介入しなかったのである。こずえのケースでは、警察は近所迷惑にならないように気を付けるよう勧めただけであり、それは彼女の叫び声が聞こえないようにすることを意味した。

添付の陳述書と共に提出された証拠は、警察の助力がさらに一歩進んだことを示した。

>>> アントール・美津子の例:

美津子アントール のケースでは、彼女は警察の関連施設である運転免許センターに、運転免許証の更新に行った際に拉致された。彼女は待つように言われ、職員に救護室に連れて行かれた。するとそこには両親と叔父や叔母、その他の人々が待機していた。彼らは全員、彼女を拉致するためにそこにいたのである。彼は彼女をワゴン車に乗せて監禁場所に連れて行った。

彼女に対し強制的脱会説得を行った専門家である清水牧師の手紙は、彼女が脱出した後に出した抗議の手紙に対する返信として送られたもの(そして民事訴訟で証拠として提出されたもの)だが、その中で彼はそのときの警察の役割について説明している。
「ご両親の証言によれば、本人が行方不明の状況にあったので、当時ご両親は警察に家出人捜索願を出していました。免許センターに、本人らしき人が来ているとの通報を受け、両親と本人の母方・父方双方のおじ、おば、合計11名が現場に直行し本人を保護しました。」

つまり、既に成人していた25歳の美津子アントールは、家族が彼女の居場所を知らないという理由で警察によって「家出人」とみなされ、警察は家族に対して彼女がどこにいるかについての情報を提供したというのである。一方で、警察は成人した統一教会信者が監禁されているときに、行方不明の彼らを探そうとしない。

これは美津子の一回目の監禁のときのことであり、彼女はそこからの脱出に成功した。2年後に、彼女は再び拉致監禁された。その監禁からも脱出に成功した後、彼女の妹は、拉致監禁の計画について詳細に記した父親の手書きのメモ用紙を何枚か見つけた。

その計画書には、拉致を行う方法、誰が何をすべきか、美津子が騒いだ場合の近所への対応が詳細に記されており、そして特に計画書には「昭島警察へ事前連絡する(5/14日)」という項目が記載されている。拉致は5月16日に行われたので、警察は拉致が行われる2日前に事前に知らされていたことになる。

これは、警察による拉致監禁への積極的な助力を構築する。


B) 起訴の不存在

次に、被害者らが刑事告訴したにもかかわらず、拉致、監禁、信仰撤回の強要を行った強制的脱会説得の専門家や両親に対する起訴が行われたことは一度もなかった。

a) 捜査

日本の刑事訴訟法の下では、警察と同様に検察官も捜査を行う権限を持っている(第189条および第191条)。もちろん、警察が犯罪捜査に対する第一の主要な責任を負う。実際、ほとんどの刑事事件は初めに警察官並びに司法警察職員によって捜査が行われる。警察が事件の捜査を終えると、たとえ証拠が不十分であると思ったとしても、彼らは文書と証拠を添えて検察官に送らなければならない。警察は通常、事件に決着をつける権限を持たない。

検察官は警察に対して追加の捜査を行うよう指示するか、あるいは警察から送られてきた事件について彼ら自身で捜査を行う。さらに、検察官は警察なしに捜査に着手したり完了させたりすることができ、複雑な事件においてはしばしばそうしたことが行われる。

日本の刑事訴訟には2通りの捜査方法がある。一つは強制捜査であり、もう一つは任意捜査である。任意捜査は、被疑者や証人が警察の捜査に協力することに同意して行われるものなので、裁判所が発行する令状は必要ない。一方、逮捕や家宅捜索のような強制捜査には、裁判所が発行する令状が必要である。

過去において、統一教会信者の拉致監禁事件の捜査の全ては、令状も、強制力も、逮捕も、家宅捜索も、一切行われてこなかった。通常、警察は被害者の発言した内容、及び時として証人や強制的脱会説得を行った本人(両親または強制的脱会説得の専門家)の発言した内容に基づいて書類送検を行ってきた。そしてそれを土台として検察官はその事件を起訴すべきかどうかを決定したのである。警察によって真剣な捜査が行われたことは一度もなく、検察官によってはいかなる捜査も命じられたことはない。

b) 起訴

捜査を完了した後、検察官は証拠を調べて起訴するか否かを決定する(公訴提起)。

嫌疑不十分の場合は不起訴にできるが、検察官の判断に基づいて不起訴にすることもできる。刑事訴訟法248条に基づき、犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。

法務省の内規である「訓令」によれば、20種類の「不起訴の理由」がある。その中で我々のケースに関係があるのは以下の3種類の理由である。
不起訴の理由 法務省の内規である「訓令」に書かれている意味

a) 嫌疑なし
被疑事実につき、被疑者がその行為者でないことが明白なとき、又は犯罪の成否を認定すべき証拠のないことが明白なとき。

b) 嫌疑不十分
被疑事実につき、犯罪の成立を認定すべき証拠が不十分なとき。

c) 起訴猶予
被疑事実が明白な場合において、被疑者の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないとき。

検察官の起訴をしない自由裁量権をチェックするための制度的保障が設けられてきた。被害者または利害関係者は不起訴の決定について、検察官の決定に対する審査を行うために設立された検察審査会に申し立てを行うことができる。こうした審査会は毎年数回開かれ、あるケースが再捜査や起訴をされるべきであるかどうかを決定する。

目下の事例においては、拉致監禁の首謀者らの行動の違法性が判明したときに、彼らに対する不起訴処分を下すために、第248条が用いられてきた。

c) 拉致監禁: 捜査も刑事罰もなし

>>> 元木恵美子の例:

元木恵美子の事件では、彼女の夫が韓国大使館に助けを求めた後に、警察はようやく教会施設に監禁されていた恵美子を、警察署に連れに行った。したがって、警察は彼女の居場所を知っていたか、少なくとも居場所を知って彼女を解放する手段を事前に持っていたことになる。警察は、恵美子が家族の監視下に閉じ込められていた部屋の中に、牧師夫妻と共に入ってきた。したがって、警察は彼女が監禁されていたことに気付かぬふりをすることは出来なかった。しかし、牧師夫妻が違法な隔離という目に余る犯罪に携わっていたにもかかわらず、警察官は彼らをあえて警察署に連行しようともしなかった。

恵美子と夫は刑事告訴をしたが、検察官によって不起訴処分が下されに。彼女の両親に関しては、検察官は起訴猶予とした。牧師夫妻に関しては、検察官は次のように判断している。

被疑者松山裕及び同松山順の元木正志方での逮捕及びグローリアチャペルまでの監禁の事実については嫌疑不十分、グローリアチャペルでの監禁の事実については起訴猶予

これが意味するのは、検察官は牧師夫妻が拉致に関わったとする証拠は不十分であるとみなしたということだ。一方、教会での監禁に関しては、検察官は犯罪行為は成立すると認定したが、状況のゆえに、彼は不起訴処分を下した。その状況とは、恐らく両親が彼らの娘をその意思に反して統一教会から「救出」したいと望んでいたということである。

>>> 寺田こずえの例:

寺田こずえ の事件では、彼女は刑事告訴と民事提訴を行った。彼女は刑事手続に関して以下のように陳述している。
2002年2月19日に私が大阪府警に刑事告訴したのを受けて、警察は事件の捜査を行いました。私は警察官から事情聴取を受けました。私は、自分の拉致の経路を確かめるために、警察の車で警察官と一緒に高知県に行きました。要所要所で、彼らは車を降りて現場検証を行いました。これらの捜査はすべて、私の要請に基づいて任意で行われ、逮捕や家宅捜索のような強制捜査はありませんでした。検察官はいかなる捜査を指示することもなく、自分ですることもありませんでした。その結果として、検察官は誰も起訴しませんでした。

さらに、彼女に対する監禁と棄教の強要は民事法廷で不法行為であると認められたが、検察官は誰も起訴しなかった。提出されたすべての証拠にもかかわらず、とりわけ数百名の人々を棄教目的で監禁したことを認めた尋問調書や、民事訴訟の認定にも関わらず、検察官は強制的脱会説得の専門家高澤と彼女の両親に対する「起訴猶予」を決定したのである。

この高澤に対する起訴猶予は、決して彼の更生の可能性に基づくものではない。なぜなら、彼はインタビューの中で、両親がとても心配しているから、「間違った」信仰を信じている信者たちを今後も監禁すると述べているからである。起訴猶予はここでも事件の「状況」に基づくものであり、すなわちそれは、犯人たちは寺田こずえの統一教会の教典に対する信仰を棄てさせたかったという事実である。

検察官のこの決定は、強制的脱会説得の専門家らが活動を継続するためのお墨付きを与えることになる。

>>> 後藤徹の例:


後藤徹 の事件では、彼が解放された後に入院し、栄養失調と診断されたとき、医師は、「このような状況は家族からの虐待にあたり、生命に危険の及ぶレベルと判断し、巣鴨警察に届け出た」と述べた診断書を発行している。病院の医師からこの報告がなされたにもかかわらず、警察は決して捜査を行わなかった。2008年4月2日、12年以上にわたって監禁されていた後藤徹は、巣鴨警察署長宛に強要未遂、逮捕監禁、傷害を理由に刑事告訴状を提出した。警察は誰一人として逮捕せず、家宅捜索も行わなかった。

事件が明るみ出て最初の4か月間、警察は告訴人から簡単に事情を聞く以外何もしなかった。その間に、被告訴人らは共謀して証拠を隠滅し、口裏を合わせることができた。その結果、検察官は2009年12月9日に「嫌疑不十分」を理由に不起訴処分とした。

徹と彼の弁護士は検察官を訪ね、不起訴となった理由について口頭で説明を受けた。検察官の説明によると、被告訴人らは玄関のドアが防犯チェーンと南京錠で施錠されていたことは認めたが、彼らがそうしたのは、脱会説得の専門家が告訴人を説得している最中に統一教会の人々が彼を奪還するのを防ぐためであったと主張しているとのことであった。すなわち、彼らは後藤徹が監禁されていたことを事実上認めたが、それは統一教会が彼を救出するのを防ぐためだったと言って正当化したのである。検察はその話を持ち出して嫌疑を否定した。

伊藤芳朗弁護士は、かつては全国霊感商法対策弁護士連絡会(反カルト組織)に所属し、元統一教会信者が統一教会に対して損害賠償を請求する訴訟を起こしていたが、たまたま宮村(徹に関与した強制的脱会説得の専門家)の強制的脱会説得活動を知るようになり、同連絡会から退いた。彼は、後藤徹が12年以上にわたって監禁されていたことを聞き、徹の民事訴訟に陳述書を提出した。彼はとりわけ、警察は宮村の違法な拉致監禁活動に関して彼に対して任意で2時間の事情聴取を行ったが、供述調書さえ取らなかった、と述べた。

2010年6月23日、後藤徹は刑事訴訟手続の再開を期待して、東京検察審査会に審査申立を行った。2010年10月6日、後藤徹の申立は同審査会によって拒否された。

監禁下で棄教を強要されたという彼の主張に関しては、同審査会の決定は三段落を費やして、自分たちは徹の信仰を批判したことは一度もないという家族の主張を繰り返しているだけであり、強制的脱会説得の専門家に関しては言及すらされていない。彼らの役割は審査会の推論から完全に除外されている。施錠したことを正当化するための理由は「説得」を行えるようにするためだと言っているにもかかわらずである。

同審査会は、以前、監禁された信者の中には統一教会によって解放されたものがいることから、南京錠とチェーンは「不当なもの」ではなかったと判断している。そしてこれらの判断とは完全に矛盾して、同審査会は、後藤徹は監禁されておらず、彼は自分の家族を「伝道」するためにアパートに滞在していたのだと結論づけたのである。

最後に、彼は家族から粗末な食事しか与えられず、身長182センチで体重52キロであったことと認めておきながら、同審査会は、大切な家族として思っている被疑者らが、申立人に対して傷害を負わせたとすることに対しては疑問であると結論づけているのである。

2011年1月31日、後藤徹は家族と強制的脱会説得の専門家を相手取って民事訴訟を提起し、あらゆる必要な証拠を法廷に提出した。供述と証言は2013年の3月、4月、5月、6月に行われた。これから書面が互いに提出され、判決は今年の終わりまでには下されるものと思われる。


C) 民事裁判所:拉致・棄教強要に対する差止請求の棄却


>>> アントール・美津子の例:

アントール美津子の事例は、極めて典型的な裁判所の論法である。

民事裁判所は、彼女に対する拉致・監禁を「社会通念に照らし相当と認められる範囲を超えたもの」であると認めているが、それらは両親の情愛から出たものであり、彼女にいかなる損害賠償も認めるべきでないと判示している。それが彼女に与えた心身両面の深刻な結果にもかかわらずである。裁判所はまた、被告が将来にわたって棄教を目的とした拉致・監禁を行わないよう求めた差止請求を棄却した。

東京地裁は、その2002年3月8日の判決において、まず玄関扉の防犯チェーンには南京錠がかけられ、窓は固定されていたため美津子は脱出できなかったことと、2階の窓から脱出しようとして地面に落ちたことを認めた。しかし、裁判所は以下のように判示した。「これらの2回にわたる被告両親の『話合い』に関する行動は、それが、被告両親の、親として子の幸せを思う情愛から出たものであることが明らかであること等を考慮すれば、これを直ちに『監禁』に当たるとか、原告美津子が信じている統一協会から脱会することを『強要』したものと断定することは相当でないというべきである」

裁判所は美津子が監禁されて「説得」されたことを事実上認めていながら、彼女の差止請求を否定するために、判決に手心を加え、「監禁」や「強要」の認定を意図的に避けたのである。これは、彼女の法的な救済と保護の権利を損なう不公正な判決である。それはまた、こうした悪事が将来繰り返されるのを防ぐ目的で作られた手段を否定しているが故に、このような活動を間接的に擁護していることになる。

清水牧師の関与に関しては、裁判所は監禁後に彼が美津子に送った返信にはっきりと言及しており、美津子もそれを証拠として提出している。しかし、裁判所は彼が美津子の両親にドアのカギがなければ彼女は逃げるであろうとアドバイスしたことを認めた部分を無視しているのである。それどころか法廷は、彼は「玄関扉の防犯チェーンに南京錠がかけられている状態を見ていないものと認められる」と判断しているのである。

清水牧師による脅迫と暴言に関しては、裁判所は彼が「一生鉄格子に入っていろ」「鉄格子ではナマッチョロイ。独房だ」などと言った事実を認めている。裁判所はまた、清水牧師が座布団で美津子の顔を3回殴り、両手で肩を3回強く叩いたことを認めている。

しかし、法廷は清水牧師が美津子に宛てた返信で述べている言い訳を採用したのである。
「しかしながら、証拠(清水牧師の返信)によれば、被告清水が上記のような行動に出たのは、被告清水において、原告美津子が原告クリストファーとともに国際合同結婚式に参加したとの事実を松邑から聞き及び、原告美津子が被告両親にも被告清水にもこれを否定してきていたのが嘘であったことを知って、嘘は犯罪であるということ、嘘をつかれていたことを知った時に人がどれほど憤慨するかということ、嘘をつくことは信頼している人の信頼を裏切ることであるということを原告美津子に知らせなければならないと思い、原告美津子を諭したのに対し、原告美津子が真剣に話を聞こうとしない態度をとり続けたため、話をきちんと聞くようにと注意を喚起しようとしたものであると認められる。」

ここでも再び裁判所は以下のように判示している。「被告清水のとった上記の行動は、外形的には原告美津子に対する有形力の行使でありそれ自体としては穏当性を欠くものであったことは否定できないものの、それが損害賠償請求権を発生させるほどの違法性を帯びた行為であったとまでは認めることができないというべきである。」

裁判所は脅迫と虐待の事実を重々認識しつつも、美津子が自分の信仰している宗教について真実を述べず、彼女の宗教に関する批判的な話を強制的に聞かされることに同意しなかったという理由により、事実認定に手心を加え、違法性を殊更に低く認定して正当化したのである。

これは彼女の、自分で選んだ宗教的信仰を持つ権利、ならびにそれを明らかにしない権利に対する、直接的な侵害を構成する。

その後、この地裁判決は高裁と最高裁によって支持され、彼女は自分の受けた損害に対して法的救済を受ける機会を失った。

証拠として提出された清水の手紙の中で彼がなしている説明は、成人信者に対して、まるで子供扱いの言辞と、感情的な脅迫と思われるような内容である。彼は以下のように述べている。
私はそこで、「親の話を良く聞きなさい」 と促しました。「肩を押した」 とあなたが言っているのはその時の行為でしょう。

「真剣な話をしているのだ。もっと親の目をしっかりと見よ。」 そういう内容のことを言ったと記憶しています。あなたは自分が人を騙しておきながら、騙された人間が、失望や落胆しながらも話し合いをしようと訴えている行為を、「暴行」(『宗教新聞』)などとよく言ったものです。嘘をついて、人を傷つけることを微塵も反省していない様子がよくわかります。

彼の論法と被害者に対する圧力のすべては、彼女が統一教会に入ることによって両親を傷付けたという事実に基づいている。彼は、美津子が自分の信じる宗教について嘘をついたことをもって、彼女を犯罪者呼ばわりしている。

そしてこの種の話が、民事訴訟の判決において強制的脱会説得の専門家の違法行為を正当化するために使われているのである。

>>> 寺田こずえの例:

もう一つの関連する事例は、寺田こずえのものである。

大阪地裁は彼女に対する拉致・監禁は違法行為であると認め、彼女に対する損害賠償請求を認めたものの、差止請求についてはこれを棄却している。

原告こずえは、彼女の両親と強制的脱会説得の専門家に対して、将来にわたって棄教強要の試みないよう、差止請求をした。裁判所は、両親と強制的脱会説得の専門家が近い将来において、こずえに対して同様の行為を試みようとするものとは認めがたいという理由で、それを棄却した。

この訴訟の原告でもあった統一教会は、強制的脱会説得の専門家の高澤と尾島に対して、統一教会の会員と信者に対して将来にわたって棄教強要を試みることがないよう差止請求をした。この請求は、裁判所に証拠として提出された尋問調書の中で、高澤自身が過去において何百件もの拉致監禁・強制棄教を行ってきたことと、こうした行いを継続する意図を持っていることを認めていた、という事実に基づいていた。彼は別の訴訟で富澤裕子という女性を一年以上にわたって監禁したことにより、損害賠償の支払いを命じられたばかりであった。

しかし、地裁は差止請求を以下の論法で棄却した。
富澤事件で高澤は、富澤の両親の依頼を受けて、富澤裕子に対する説得活動を行ったことが認められる。また彼らの両親又は高澤によって拉致監禁され、高澤から棄教を強要された旨の部分がある。

しかしながら、他方で、現実に被告高澤及び被告尾島の説得に応じて脱会した元信者も多数おり、被告高澤及び被告尾島の説得活動は、説得対象者の属性、対応等の具体的状況によって、態様は様々であることが認められる。以上によれば、原告統一教会の本件差止請求は、理由がない。

したがって、高澤の「説得」によって信仰を棄てたメンバーがいたことが、裁判所の論法によれば、差止請求の棄却を正当化する理由になっているのである。すなわち、判事の見解によれば、被害者が最終的に同意した場合には、強制的脱会説得は有益なものになり得るということなのである。

これは大阪高裁でも追認されており、その判決はもっとあからさまである。

統一教会の差止請求の当否について:
第1審原告らは、第1審被告高澤及び第1審被告尾島は、第1審原告統一教会の信者数百人を拉致監禁して、棄教を強制してきたから、今後もこれを続ける可能性は十二分にあると主張する。

しかしながら、第1審被告高澤及び第1審被告尾島の統一教会信者に対する説得行動によって脱会した者も相当数存在し、この場合、仮に第1審被告高澤及び第1審被告尾島の行為に違法性があったとしても、信者が身体の自由を制約したことに同意し、もってこの違法性を消滅させる事例も多数あったことからすれば、第1審被告高澤及び第1審被告尾島のこのような行為がすべて違法となるものではない。


この認定は、最初に強制的脱会説得が行われ、この実践を80年代に非合法化した国である米国の裁判所で採用された法理と矛盾する。

>>> アメリカの例:

最初の判例は1980年に遡り、ミネソタ州最高裁は以下のように述べている。「両親やその代理人が、成人した子供の判断能力に問題があると信じて、その子供を宗教または似非宗教と見て差し支えないようなカルト団体から救出しようとして、しかも子供がある段階で、問題とされている行為を受け入れる姿勢を示したなら、子供の移動を制約することは不法監禁とみなすほどに重大な個人の自由の剥奪には当たらない。」

しかし、この判決はウィリアム・エイラーズ事件でミネソタ連邦裁判所が示した判決で覆された。エイラーズ事件の判決に当たって、判事は、エイラーズ氏を不法監禁したとの主張について、各被告に対して敗訴判決を下した。原告が被告らの行為に同意していた証拠があるので監禁は事実上なかったと被告らは主張した。しかし、判事は以下のように述べた:「誰しも同様の状況では、監禁者への恐れから、あるいは脱出の手段として同意を装うはずだ。…その状況を考慮すると、他の多くの公的機関と同じく当裁判所は、原告が同意したように見えるのは不法監禁行為を正当化する理屈にはならないと判断する。」

ウィリアム・エイラーズ事件が転換点となり、それは最終的に米国における強制的脱会説得の実践を一掃したその後の法理へと導いた。
<注 by Yoshi: 参考記事 - 後藤裁判の判決を前に>

同様に、日本の事例においても、大阪地裁の認定のように拉致監禁・強制棄教の違法性を「信者が身体の自由を制約したことに同意」したことによって「消滅させる」ことはできない。なぜなら、その同意は脅迫によって得られたものだからである。

日本の裁判所の判決は、警察の行動や検察の決定と同様に、人権分野における日本の国際義務に違反している。
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以上、甲184-2号証 第五章まで終わり。


この文書は、2013年6月に作成されたものなので、それ以降の、警察の拉致監禁に対する動き等は掲載されていませんが、石橋正人君の例(2014年1月〜)、S夫妻の同時拉致事件(2014年7月)については、以下の記事を参考にして下さい。
>>> 石橋正人君の例:
★「国境なき人権」怒りの反論 (中) - 監禁擁護の千葉県警

http://humanrightslink.seesaa.net/article/402272459.html

>>> S夫妻、同時拉致事件の例:

★夫婦 同時拉致事件 続報: 手足を紐で縛られ、寝袋に詰め込まれ、移送される
http://humanrightslink.seesaa.net/article/405268400.html

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posted by 管理人:Yoshi at 21:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 後藤民事裁判提出資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
拉致監禁の歴史を丁寧にまとめられ、凄いですね。

11/13、一緒に後藤さんを応援しましょう。
お会いするのを楽しみにしてま〜す。(^_^)v
Posted by みんな at 2014年11月07日 08:42
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