2014年10月25日

<その5> 後藤裁判 控訴審 甲185号証:棄教を目的とする拉致と監禁

後藤徹民事裁判、控訴審で提出された書面を紹介しています。甲185号証の続きで、国際的人権団体「国境なき人権」 が、国連・自由権規約人権委員会に提出した報告書です。

今回の第四章では、日本の拉致監禁ケースについての、刑事、民事両方のこれまで経緯を説明しています。(2013年6月時点での報告書なので、後藤徹民事裁判の一審判決については含まれていません。)

原文は、国連のウェブサイトで閲覧できます。←リンク先をクリック、そして、ワードのロゴをクリックして下さい。

甲185号証の2 目次部分
本記事で紹介するのは、下記赤字部分
序文

1) 日本の国際的義務違反
>> 宗教の自由 (ICCPR(市民的及び政治的権利に関する国際規約)第18条)
>> 個人が自由及び安全保障を享受する権利 (第9条) 及び移動の自由 (第12条)
>> 拷問その他の虐待の対象とならない権利 (第7条)
>> 結婚し家庭を築く権利(第23条)
>> 有効な救済を享受する権利 (第2条)及び 差別を受けない権利(第26条)


2) 拉致・監禁及び 強制的脱会カウンセリング(ICCPR 第7、9、12、18 及び 23条違反)
>> 親の当然の心配から拉致決定まで
>> 拉致監禁の実行
>> 強制的脱会カウンセリング
>> 拉致監禁の結果
>> 12年5ヶ月にわたり監禁された後藤徹氏の場合


被害者保護に対する警察の失敗 (ICCPR第2、18及び26条違反)
>> 警察が対応を渋った事例
>> 警察が被害者への語り掛けを怠った事例
>> 警察の介入が拉致被害者の解放に役立った事例
>> 警察が加害者側に味方した事例
>> 統一教会員が警察を信頼できなくなった事例


4) 刑事免責の継続 (ICCPR第2、18及び26条違反)
>> 加害容疑者に対し刑事訴訟が為された事例が皆無
>> 民事訴訟


勧告事項


以下、甲185号証の2 第四章:
読みやすくするため、段落間に行をあけたり、文中、色を加えたり、枠をつけたり等の作業を行いましたが、文章自体は、裁判所に提出された原文のままです。
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4) 刑事免責の継続 (ICCPR第2、18及び26条違反)

エホバの証人でも統一教会でも幾つかの事例において、日本では民事裁判が拉致及び未承諾の脱会カウンセリングの加害者に対し被害者への損害賠償を命じてきた。これらの事例の一部では、民事裁判によって拉致及び自由の剥奪の実行が非難された。2つの事例で法廷は牧師の「説得」行為を違法と見なした。これらの事例の幾つかの裁判記録には、拉致及び脱会カウンセリングの実行者によって犯罪が行われた事実が記載されている。

ところが統一教会員24名が自分たちを拉致し強制的な脱会カウンセリングをしたとして、その加害者に対し刑事訴訟を提起したが、それら加害者たちに対してはこれまで刑事責任が問われたことは一度もなかった。幾つかの事例では犯罪が行われたことを検察当局者が認識していながらも何の理由説明もなくその刑事告発を保留してきた。

結果として日本では、親による拉致や自由の剥奪という条件下での脱会カウンセリングは、被害者への損害賠償を支払わされるリスクはあり得ても、刑法の下に処罰されるリスクは全くなかったのである。


>> 加害容疑者に対し刑事訴訟が為された事例が皆無

日本の刑法第220条では「不法に人を逮捕し、又は監禁する行為」に対し3ヶ月以上7年以下の懲役刑を課している。「強迫行為」については第223条で3年以下の懲役刑を課している。

HRWF に知らされているところでは、拉致監禁及び強制改宗の犠牲者となった統一教会員が1980年から2008年の間に刑事告訴した事例が24件ある。1980年に光恵 T. 、朋子 O.、秀夫 M.は、彼らが監禁された精神病院と「脱会カウンセラー」を告訴した。その他のケースでは、拉致監禁の実行犯に対する刑事告訴がなされた。最近の訴訟としては、今利理絵(2000年)、富澤裕子(2000年)、元木恵美子(2002年)、そして後藤徹(2008年)の件がある。

HRWF が知るところでは、申し立てられた犯罪を調査する際に警察はこれらの事例のいずれにおいても令状を取らず、その活動を申し立てられた容疑者や目撃者から任意で得られる証拠を収集することだけに限定した。その証拠は後に、申し立てられた加害者のいずれかに対し処罰を課すべきか、その事件の次の措置を決定する前に検察庁がさらに調査する必要があるかを決定する為に検察庁に伝えられた

寺田こずえは日本統一教会からHRWFに提供された拉致及び未承諾の脱会カウンセリングの加害者に刑事処罰を課する為の努力についての陳述書の中で次のように回顧している:
私が2002年2月19日に大阪府警察署に刑事告発した後、警察はこの事件を調査し、私は警察官の事情聴取を受けました。警察官と一緒にパトカーに乗って高知県に行き、私の拉致のルートを検証しました。要所要所で彼らは車を降り、現場検証を行いました。こういった全ての調査が私の要請により任意で行われましたが、逮捕や家宅捜査といった強制調査はありませんでした。検察官は如何なる調査も命令せず、自らも何も実行しませんでした。

被害者が刑事告発した24件の全事例について検察側は申し立てられた加害者のいずれに対しても刑事訴訟を提起する決定をしなかった。大部分の事例において「起訴猶予」または「嫌疑不十分」という理由が挙げられた。

日本の刑事訴訟法第248条には「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況 により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」と記されている。法務省訓令には刑事告訴を提起しない理由について幾らかのより詳しい情報が与えられている。これらの訓令によると、「起訴猶予」が適用されるのは、犯罪の事実は明白であるが、事件の特殊状況により起訴が必要でない場合とされている。その状況とは、とりわけ、容疑者の性格や年齢、犯罪の重大さや状況、或いは犯罪後の状況に関連し得る。

UPF日本の或る責任者が2013年4月23日にHRWFに語ったところによると、強制拉致監禁及び未承諾の脱会カウンセリングの加害者に対する刑事告発を提起した統一教会員の中でかつて訴えの却下を検察側に求めた者は一人もいなかった。彼らは検察側から最終的に申し立てられた加害者のいずれも告訴されず起訴猶予になったことを通知されて落胆させられてきた。検察側はこれらの事例のいずれにおいても、何故それらの事件の状況から起訴猶予が認められると決定されたのかについての説明を一切してこなかった

寺田こずえは2002年2月19日に大阪地方検察庁に刑事告訴を行った。2年半以上後の2004年10月4日になって検察庁は彼女に同件が「起訴猶予」を理由に刑事訴訟に値しない旨を通知してきた

寺田こずえは日本統一教会からHRWFに提出された彼女の経験を詳細に綴った陳述書の中で、強制監禁に関与した「脱会カウンセラー」たちの処罰を怠った検察当局を非難している。彼女はかかる刑事免責が継続すると更なる被害者を生み続けることになると訴えた。もしも1997年に富澤裕子に強制的な脱会カウンセリングを強いた「脱会カウンセラー」が告発されていたなら、彼は寺田こずえの両親を彼女の2001年の拉致監禁へと導くことはできなかったはずだったと彼女は指摘した。富澤裕子は2000年4月に刑事告発したが、鳥取地方検察庁により却下された。

法務省訓令によると、「嫌疑不十分」というのは、犯罪が実際に起こったと証明する証拠が十分でない場合に適用される。HRWFが得た情報によると、検察側は告訴人への回答の中で何故得られた証拠が不十分と見なされたのかという詳しい説明は一度もなされたことがない。

2008年6月、12年5ヶ月にわたり監禁された後藤徹は、彼の監禁に関与した加害者たちに対し刑事告発した。2009年12月9日に検察当局は、彼の監禁から解放後の診断書に飢餓と身体的虐待が証明されているにも関わらず「証拠不十分」を根拠に刑事訴訟手続きを開始しないことを決定した。そのため警察は事実を確証する為に加害者として訴えられた者たちに対する家宅捜査を行っていない。

HRWFに知らされた幾つかの事例では検察当局が刑事告訴の可否を決定し訴訟人に通知するまでに最大で4年半という非常に長い期間を要した。

今利理絵は1995年10月22〜27日と1997年1月10日〜6月15日の2回にわたり拉致監禁され、彼女の親族は彼女が信仰を放棄するという条件で彼女を解放したが、しかし彼女は1997年9月4日に刑事告発した。その刑事告発の4年半後の2002年4月2日、横浜地方検察庁川崎支部は彼女に本件が刑事告訴に該当しないとの決定を通知してきた。強制監禁の加害者とされた一部に関して検察側は、犯罪が行われたとの「証拠が不十分」であり、その他に対しては「起訴猶予」という概念を適用した。

魚谷俊輔氏は統一教会員の拉致事件に対する検察当局の取り扱いについて次のように総括した:
検察当局の決定のパターンは、証拠があまり多くない時は「証拠不十分」を根拠にその件を不起訴処分とし、否定できない証拠がある場合には「起訴猶予」を根拠にその件を不起訴処分とするだけであり、どちらにしても彼らはその件を起訴しなくないわけです。

HRWF が知るところでは、申し立てられた加害者を刑事告訴しないという検察当局の決定に対しこれまで不服を申し立てた拉致被害者は後藤徹氏が唯一である。

2010年6月23日、後藤徹氏は刑事訴訟手続きの再開を期待して、東京検察審査会に審査請求を行った。 検察審査会は非公開で、参加者の氏名も明かされない。後藤徹のケースで開かれた審査会は、東京都の有権者から抽選で選ばれた11名の一般市民で構成された。この制度は米国の大陪審制度に似ている。起訴に持ち込むには、同審査会で11名のうち8名以上が「起訴相当」と判断しなければならない。東京第4検察審査会「議決書」は、裁判所の判決と同じような体裁で書かれている。

2010年10月6日、後藤氏からの請求について東京検察審査会は、本件が強制、逮捕、監禁、傷害のケースなのか否かを判断するには疑問が多い、との理由で不起訴相当との決定を下した。したがって同審査会は彼が自らの家族によって強制監禁されたという彼の報告は信用せず、単に彼の家族及び警察によって提出された情報だけに基づいて決定しているが、その警察は事実を確証する為に申し立てられた加害者の自宅で取り調べを一度も行っていなかったのである。後藤氏が閉じ込められて統一教会の信仰する棄てるよう強制されたと申し立て、それが彼の刑事告訴の核心点であるにも関わらず、同審査会は「脱会カウンセラー」の役割を調べもしなかったのである。

同審査会は(その棄却決定の中に引用されているとおり)後藤氏が事実監禁されていた可能性を示唆していた彼の家族による供述には何の疑問も呈していない。例えば同審査会は家族が他のアパートに移動した際に後藤徹氏が自発的にその移動に加わったことや、「(徹氏の兄の)友人3人が着たが、統一教会からの奪還防止の為に手伝ってもらったものであり、逃走防止の為のものではない」ことを引用している。彼の親族はまた、荻窪フラワーホームに引越する前に彼らがドアに南京錠を設置し、「窓のクレセントを鍵のかかるものに取り替えたこと、玄関とリビングの間の扉に鍵のかかるドアノブに取り替えた」と述べ、「南京錠使用の理由は統一教会が申立人を奪還する為に入ってくるのを防ぐ為だった」と説明した。

ところが後藤徹氏がHRWFに語ったところでは、彼は決して統一教会から自分を守って欲しいと頼んだことはなく、2008年に彼が解放された時も彼は直ぐに統一教会に助けを求めて急いだほどである。審査会はまた、監禁中に親族によって身体的に傷つけられたという後藤氏の訴えを棄却した。審査会は彼の親族があまりに「愛おしい家族を心配していた」からであって、彼の申し立ては「疑わしい」と考えている。

後藤徹氏が何故自分からアパートを去らずに12年5ヶ月も家族と一緒に留まっていたという理由についての審査会の説明は、彼は改宗して「家族に誤解を解いて救いたいという」目的で自発的に留まったというものだった。

司法制度を通して正義を達成しようという後藤徹氏の試みは2011年1月31日に失敗に帰したので、彼は家族及び「脱会カウンセラー」に対し民事訴訟を提起した。 本書の執筆時点でこの件は未決であり、2013年の4月、5月及び6月に弁論がなされた。

日本の刑事司法制度が強制監禁の被害者に正義を獲得させる為の手段を提供しないということを繰り返し立証してきたため、多くの被害者たちは加害者に対する刑事訴訟が棄却された後、代わりに民事裁判に起訴してきた。ところが、民事裁判も統一教会員に対して不利な方向に冷遇することが多かった。


>> 民事訴訟

HRWF が知る限りでは、1980年以降に統一教会員により5件、エホバの証人により1件の民事訴訟が始められた。HRWF が集めた証拠に基づいて同組織は、原告が自らの信仰を放棄するよう強要する為に実際に親族によって強制的に閉じ込められたことを確信している。事実、どの事例においても裁判所は被害者が自らの意思に反して自らの移動の自由が制約される状況に置かれていたことを認めた。

一部の事例の裁判では被告によって行われた行為が「誘拐」「監禁」「身体的自由の拘束」に相当し、違法であると見なされた。
 
例えば、1980年に統一教会員の秀夫、光恵び朋子は、彼らが監禁された精神病院と「脱会カウンセラー」後藤富五郎に対し民事告訴を起こしたが、その「脱会カウンセラー」が裁判の経過中に死去した。1986年2月28日、東京地裁はその判決の中で、3名を精神病院に閉じ込めたことは違法と認めたものの、「脱会カウンセラー」については言及がなかった。地裁は精神病院に3名の被害者に対し合計250万円を賠償金として支払うように命じ、これが最終判決となった(注42)

別の事例として、両親によって強制監禁された富澤裕子は1997年6月7日から1998年8月30日までにわたる2回目の監禁の後、彼女の両親と「脱会カウンセラー」の高澤守に対し民事訴訟を起こした。

2000年8月31日、鳥取地方裁判所民事部は被告が 「原告にその信仰放棄を強要する為に暴力、強制、誘拐、監禁及び対話の強制を用いた」 と判決し、 「監禁は原告の意志に反するものであり、原告はその事件が起きた当時31歳であった。両親によって取られたこの行動は、たとえ血を分けた親であるとしても、許容し得ないものである」 と明示した。「脱会カウンセラー」 高澤守については、同裁判所は彼が 「少なくとも違法な活動を支援しており」、それゆえ原告の両親と共に 「連帯責任を負っている」と判示した。

被告側はこの決定を上訴したが、2002年2月22日に広島高等裁判所松江支部は両親と「脱会カウンセラー」が 「成人女性をその意志に反して監禁したが、かかる行為は誘拐及び監禁行為に他ならない」 との見解を繰り返し表明した。

別の事例として、2001年10月から12月まで60日間にわたり棄教目的で強制監禁された寺田こずえは彼女の両親と「脱会カウンセラー」の高澤守及び尾島淳義に対し民事訴訟を起こした。高澤守は上記の1997及び1998年の富澤裕子の事件でも強制的脱会カウンセリングに関与していた。

大阪地方裁判所第8民事部はその2004年1月28日の判決の中で、「(こずえは本件当時29歳の主婦であったことが認められ,こずえを1005号室に連行し,同室に滞在させたことは,こずえの意思に反する身体の自由の拘束に当たるというべきで,不法行為に該当する」と明示した。高澤守に関しては、同法廷は彼が「両親がこずえの意思に反してその身体の自由を拘束し、これを継続したことについて、高澤は積極的な関与をしたものと認められる」とし、したがって「不法行為」を犯したとの判決を下し、彼女の両親と高澤守に対し原告が受けた精神的苦痛に対する損害賠償及び訴訟費用代として原告に20万円を連帯して支払うよう命じた。

その抗告審判において大阪高等裁判所は第一審の判決を支持し、2004年7月22日に「こずえは、高澤及び尾島の説得活動に対して一貫して拒否する態度を示すことによって、両親に上記のような信念を表示していたのであるから、両親がこずえの身体を拘束し続けたことは、不法行為を構成する違法性がある」としている。

別の事例においては、監禁の状況は上記の事例と明らかに類似しているにも関わらず、民事法廷が違法行為は行われなかったと見なしている。

例えば、今利理絵は1995年に数日間、1997年には5ヶ月間にわたり親族によって拉致監禁された。その民事訴訟において彼女とその夫は給与の逸失利益及び負傷の損害賠償として1500万円の賠償金を求め、また、両親が将来類似の試みを行うことを防止する差止請求を発するよう裁判所に求めた。

横浜地方裁判所の判決の中に記録されているように、今利理絵の法廷での抗弁によると、彼女が1995年に監禁された場所は彼女が「逃亡できないように追加の鎖や南京錠やクレセントロックで厳重にロックされ」、そのうえ彼女の両親が彼女の携帯電話を没収した。法廷文書にはまた、彼女は4日後に2階に位置していた監禁場所から「安全ピンで窓を閉鎖していた器具をこじ開けてベランダに出て雨樋を伝って下に降り地面に飛び降りる」ことによって逃亡できたことが記されている。

彼女の弁護士は彼女が1997年に5ヶ月間にわたり「統一教会の信仰の放棄を強要する為に」監禁され、彼女が「不法な監禁及び強制的ディプログラミングであることを訴えたにも関わらず、彼らは統一教会に関する議論を彼女に強要した」と申し立てた。加えて彼女は「監禁中、絶えず心理的な脅威と不安に晒され、そのため体重が監禁前の53kgから43kgに減少した」ことを申し立てた。

ところが、横浜地方裁判所は2004年1月23日、今利理絵は拉致監禁及び棄教強要を受けなかったとしてこの訴訟を棄却した。それによると、彼女は両親が連れて行った様々なアパートに 「自ら歩いて入室し,両親の求めに対し,統一協会の信仰を持った経緯や同協会の教義について話をするようになった」 とされており、彼女の 「生活状況は標準的基準に比べさほど劣悪なものではなかった」 と付け加えている。裁判所は 「したがって各々の部屋において彼女の抵抗する意思を示したと認めるに足りる的確な証拠はない」 と結論づけ、原告の訴えを棄却した。

東京高等裁判所はこの件の控訴審において2004年8月31日に下級裁判所の決定を支持し、彼女は「その当初にこそ両親の行為に抗議の姿勢を示したものの、理絵中心の生活に心掛け、ゆったりとした生活を続けるうちに、両親に対して,統一協会の信仰を持った経緯や同協会の教義についても話をするようになったことが認められ、両親から受けている制約を逃れるために暴れるなどして抵抗した様子はうかがわれない」と詳述した。

原告はさらに最高裁判所に上告したが、和解を勧告された。原告と被告は互いの宗教の自由を尊重し、「円満な親子関係及び親族関係」を築く為に努力するよう約束させられた。

別の事例として、美津子アントール(Mitsuko Antal)は1996年に約7週間、1998年には10週間の2回にわたり両親によって拉致監禁され、或る牧師から未承諾の脱会カウンセリングを受けた。彼女と夫は両親と「脱会カウンセラー」を訴え、彼らが将来同様の行為を繰り返さないように、そして「脱会カウンセラー」に賠償金の支払を命ずるよう求めた。

2002年3月8日、東京地方裁判所第4民事部は、1996年に彼女が監禁されたアパートは南京錠が掛けられ、その鍵は一度も彼女に与えられなかった事実、また、6月に彼女が「自分のハンドバッグを使って窓ガラスを割ろうと試みたが成功せず」、ガラスを割る為の他の道具が見つからないうちに両親に取り押さえられた事実を認めた。裁判所によると、1998年に彼女は「普通の錠と防犯チェーンが付いていたが通常は南京錠が掛けられていた」別のアパートに監禁され、その鍵は「原告である彼女には決して手渡されなかった」。1998年7月26日に彼女は2階の窓をよじ登って外に出て雨樋を伝って下に降りることで脱出に成功した。裁判所は彼女の両親が彼女を「その自発的な意志に基づかないまま、その自由な精神的・身体的活動を制約するような態様の生活環境の下に相当期間にわたって置」き、「統一教会の教えと活動の問題点に関して議論するよう急き立てていた」ことを認めた。

ところが裁判所はその両親の行為が「これを直ちに『監禁』に当たるとか、原告美津子が信じている統一協会から脱会することを『強要』したものと断定することは相当でない」との判決を下した。

「脱会カウンセラー」に関して裁判所は、彼が「玄関のドアの防犯チェーンが南京錠で施錠されているのを目撃するのは不可能と考えられ、したがって彼女が両親によって拘束されていた事実を知っていたと推定するのは難しい」としている。

裁判所は美津子アントールの訴えを全て棄却し、その後に上級の裁判所に為された上告も却下された。

上記に紹介した全ての事例において、裁判所が親族の行為を「拉致」及び「強制的監禁」と表面するにせよしないにせよ、裁判所は親たちの行為に相当な理解を示している。HRWF はかかる陳述が統一教会に対する差別的姿勢に由来する可能性があるものと懸念している。

例えば今利理絵の事例で横浜地方裁判所は 「親たちは親の情から彼女と親密な環境で統一教会の教理について議論する必要性を確信するようになっていった」 と説明し、さらに東京高等裁判所は「両親の行動は、社会的に多くの問題を引き起こしている宗教団体であるとの認識を有していた統一協会により愛する娘を奪われ、両親の承諾もなく合同結婚式によって配偶者を決めて入籍し、しかもその娘との会話も十分できなくなってしまった悲痛な思いと、親として娘の命、健康、生き方を心配し、娘の幸せを願う情愛の気持ちから、統一協会の信者となった娘と統一協会の教義や活動の問題点等についてじっくり話し合い、娘が統一協会に対する信仰を考え直す機会にしてもらいたいとの願いからであると認められ、彼女に危害を加えてでも改心させようとする意思は全くうかがわれない」と付け加えた。

富澤裕子と寺田こずえの事例では裁判所は両親の行動に対する理解を表明し、そうすることによって原告に与えられた損害が比較的に軽かったことを正当化した。裁判所は富澤裕子と寺田こずえが各々14ヶ月と2ヶ月強制的に監禁されたことを認めたものの、被告に対し各々僅か15万円と20万円の損害賠償の支払いを命じただけだった。HRWFはこの2人の女性に支払われた損害賠償額は彼女たちが強制的監禁の過程で被った損害及び不利益に釣り合っていない可能性があると見ている。

富澤裕子の事例では鳥取地方裁判所民事部は原告が受けた心身の損害及び法廷費用に対する損害賠償として原告に55万円を共同責任で支払うよう被告側に命じた。この第一審の判決に対する上告に対し広島高等裁判所は「監禁の期間は長かったにも関わらず」彼女に支払うべき損害賠償額を15万円に減額した。その損害賠償金額について地方裁判所の判決を修正した理由として高等裁判所は「本件不法行為は親の子に対する愛情に基づいてなされている」としている。

寺田こずえの事例でも大阪高等裁判所は子供に対する親の愛情に言及し、その結果として「両親の行動については、原告こずえの意思に反してでも1005号室に滞在させ、脱会を説得しようとしたことは、原告こずえの実の父母の心情として当然のことであり、これを全面的に非難することはできない。以上からすれば、被告両親の原告こずえに対する行為は、通常の身体拘束行為による違法性・有責性に比べて、その程度は低いといわなければならない」としている。裁判所は両親が元統一教会信者たちからの統一教会に関する情報及びそれまでに元信者たちが統一教会に対し起こした民事訴訟についての両親の不安・懸念に言及した。

裁判所がこれまでに未承諾の脱会カウンセリング行為を違法行為と見なしたのは、富澤裕子の事例とエホバの証人の女性信徒の事例の僅か2件に過ぎない。

エホバの証人の或る女性信者(守秘の理由から匿名とする)は夫によって1995年7月に16日間にわたり拉致監禁された。彼女は「脱会カウンセラー」として行動した牧師に対し民事訴訟を起こした(注43) 。 2002年8月7日、大阪高等裁判所第10民事部は、彼女の心身の自由を侵害する違法行為は同牧師が彼女の夫と共同で行ったものとの判決を下した。同裁判所は牧師が夫に監禁場所を脱出できないものにする為の改造方法を提供したこと、牧師がその建物に関連した荷物と人員を運んだこと、牧師がいつもその建物の鍵をコピーしたこと、それに牧師が何度も訪問し、「原告が拒否しているにもかかわらず、執拗に自分の話を聞くように求めたものである」 ことを指摘し(注44) 、「牧師の役割は事実上どう考えても小さいとは言えず、彼が行った行為は原告に対し相当の心身の苦痛を負わせる違法行為であった」 と結論づけ、同牧師に対し原告に30万円並びに弁護士費用の返済分として10万円を支払うよう命じた。

富澤裕子の事例では、鳥取地方裁判所民事部は被告が 「原告に信仰の放棄を強制する為に暴力を行使し拉致監禁し話し合いを強要した」 とし、加えて被告たちが将来 「上記の手段によって原告の信仰を放棄させることを原告に強要する」 ことを禁ずるとの判決を下した。

富澤裕子の両親と「脱会カウンセラー」による上告を考慮するに際し広島高等裁判所は「脱会カウンセラー」が 「被控訴人が違法に逮捕、監禁されている状態を知りながら、それを利用してなされたものであり、…正当な宗教活動を逸脱しているものというほかなく、控訴人高澤の説得行為は違法性を阻却されるものではなく、控訴人夫婦らの幇助者として連帯して損害賠償責任を負うものである」 としている。

ところが控訴審は両親と「脱会カウンセラー」に富澤裕子への支払いを命じた損害賠償額を55万円から15万円に減額した。

加えて鳥取地裁は 「被告が原告に信仰放棄を強要する為に暴力、拉致監禁及び強制的話し合いを用いて原告にその信仰を放棄することを強制することを禁じた」 一方で、広島高等裁判所はこの決定を覆し、富澤裕子に関しては両親と「脱会カウンセラー」に対しその違法行為を繰り返すことを禁ずる必要はないとした。同法廷は彼女が自分の家族と韓国で暮らしていること、そして両親と「脱会カウンセラー」が再び彼女を拉致する意図は持っていないという法廷の判断に言及した。

他の事例では法廷は原告が未承諾の脱会カウンセリングに遭って苦痛を受けたかどうかを検討すらしなかったり、或いは未承諾の脱会カウンセリングが或る一定の状況下では合法的であると見なされた。HRWF は未承諾の脱会カウンセリングを明白に違法判決できなかったのは統一教会に対する差別的態度に由来する可能性があると見て懸念している。

寺田こずえ関連の訴訟において統一教会はこの事件に関与した2人の「脱会カウンセラー」の高澤守及び尾島淳義に対し将来二度とさらなる脱会カウンセリングを行わないように差止請求を法廷に要請したが、法廷はこの統一教会側の要請を却下し、脱会カウンセリングの実行を明確に非難しなかった

それどころか大阪地方裁判所は事実上、監禁された人が最終的にその信仰を放棄した事例においては強制監禁実行の条件下での「脱会カウンセラー」たちの活動が受け入れられていることが示唆されており、「高高澤及び尾島の説得に応じて脱会した元信者も多数おり、被告高澤及び被告尾島の説得活動は、説得対象者の属性、対応等の具体的状況によって、態様は様々である」 としている。

第二審の大阪高等裁判所に至っては、「高澤や尾島の統一教会信者に対する説得行動によって脱会した者も相当数存在し、この場合、仮に高澤及び尾島の行為に違法性があったとしても、信者が身体の自由を制約したことに同意し、もってこの違法性を消滅させる」としている。

ものみの塔聖書冊子協会日本支部の代表者たちがHRWFに語ったところでは、エホバの証人の女性信者に関する2002年の判決はこの宗教団体の会員に対するその後の拉致及び未承諾の脱会カウンセリングに対する抑止効果をもたらしたという。

しかしながら、統一教会員を巻き込んだ民事訴訟事例はその後の拉致及び脱会カウンセリング実行に対する顕著な抑止効果をもたらしていないが、これは裁判所が改宗目的の為の拉致や強制監禁や未承諾の脱会カウンセリングを明確に非難してこなかった失策並びに裁判所の判決における統一教会に対する差別的要素がこのような慣行の永続化に寄与してきたものとHRWFは考えている

(注42) HRWF はこの判決の本文を入手できていないため、判決のさらなる詳細については不明。

(注43) 彼女の夫は彼女を16日間監禁した後に良心の呵責から彼女を解放したため、彼女は夫に対しては訴訟を起こさなかったが、後で二人は離婚した。

(注44) 同牧師は「1995年7月11〜27日の期間中に何度となくその建物を訪れ、原告の拒否にも関わらず執拗に原告に対し彼の話を聞くように強要したのに加え、同牧師は夫に依頼されるとその建物に関連した荷物や人物を運び、その建物の合鍵を常に身につけて携帯していた。」(判決文より抜粋)

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以上、第四章終わり

次回は、甲185-2号証の最終章「勧告事項」 に続きます。

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posted by 管理人:Yoshi at 15:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 後藤民事裁判提出資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
悔しくてしかたありません。
その愛情ある家族は
例えば後藤氏の髪をどのくらい切ってあげて、
どのくらい服を買ってあげたのでしょうか?


Posted by Etsuko at 2014年10月27日 02:00
Etsukoさん、

コメントありがとうございます。

甲185-2号証の最終部分を先ほどアップいたしました。控訴審判決まで、あと2週間です。その2週間で、あと何をアップできるかと考えていますが、できる限りの最善を尽くしたいと思っています。
Posted by Yoshi at 2014年10月29日 09:36
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