に関連して、そして、後藤裁判控訴審を前に;
「刑事裁判と民事裁判は別物」 というのが私の考えである。刑事裁判で「シロ」 、同じ事案で、民事裁判では、「クロ」 というのは、よくあることだ。
アメリカの例だが、元フットボーラー、元俳優の O.J.シンプソン氏の元妻と、彼女の友人が殺害された事件で、シンプソン氏は刑事裁判では無罪、元妻の両親が訴えた民事裁判では、原告の請求が認められ、莫大な金額の賠償金 (30億円以上) がシンプソン氏に命じられた。
「刑事と民事は別物」 というのは、拉致監禁に関するアメリカの裁判例でも大いに見られることである。すでに、このブログでも何度も書いてきたことだが、アメリカの拉致監禁 (Deprogramming = ディプログラミング) を終結させたのは、民事裁判の判決によるものである。しかも、同じ事案の刑事裁判では、主犯格は無罪となったケースの、その民事裁判の結果が、大きな影響を与えたのである。
1980年代のエイラーズ裁判 (アメリカ) では、刑事裁判 (1982年) では、ディプログラマーの罪は問われなかったが、民事裁判 (1984年) では、「被告が実際のところ、監禁されていたというのは、疑いの余地はない」との画期的判決が下り、その後のジェイソン・スコット裁判につながれていった。
アメリカの拉致監禁に対して決定的な打撃を与えた、ジェイソン・スコット裁判でも、刑事裁判 (1993年)では、主犯格は無罪放免になっている。しかし、民事裁判 (1995年)では、多額の賠償金 (約4億8000万円)が認められ、アメリカの拉致監禁は終わることになる。以下、参考記事。
★アメリカのディプログラミング:3つの重要裁判
http://humanrightslink.seesaa.net/article/381139822.html
アメリカで拉致監禁 (ディプログラミング) を終結させてきたのは、刑事裁判の結果ではなく、民事裁判の判決だった。刑事裁判での犯罪に対する無関心を、民事が修正し、多額の賠償金を被告に科し、それが決定的・画期的結果をもたらしてきた。
日本ではどうか? 日本では、拉致監禁事件に関連して刑事裁判での判決はない。後藤徹さんを含め、被害者は告訴したが、1件も起訴はされていない。
拉致監禁アパートで起きた、丸山隆による女性信者レイプ事件 においては、被害者が告訴を取り下げたので、判決までには至らかなった。 (我らの不快な隣人 - 米本和広著 - P.200〜201)
このグラフは、1988年以降の日本での拉致監禁件数を示したものである。
突出しているのが、1992年と1993年の2年間と、その前後の期間である。93年は、山崎浩子さんの退会が報道された年。最盛期には、平均して、一日に一人、日本のどこかで、強制改宗のため、統一教会員が拉致されていたということである。
2000年前後に、4件の民事提訴が、拉致監禁被害者により行われた。
- 富澤 裕子(ひろこ):民事提訴 1999年、原告勝訴 2002年
- 美津子 アントール: 民事提訴 1999年、原告敗訴 2003年
- 寺田 こずえ: 民事提訴 2002年、原告勝訴 2004年
- 今利 理絵(いまり):民事提訴 1999年、最高裁の和解勧告 2006年(原告 = 今利夫妻)
これら民事裁判が、拉致監禁数の減少傾向の方向を決定的にした。では、なぜ、民事裁判により、それが起き得るのか?
脱会説得に失敗し、訴えられたら、お金がかかるのである。賠償金はたいした額ではなかったとしても、裁判費用 (弁護士費用) がバカにならない。裁判費用は、裁判に勝とうが、負けようがかかるのである。「火の粉を払え」で、ルポライター米本氏が分かりやすく説明している。以下は、その引用である。
★勝訴判決は「保護説得の抑止力」となるのか?!
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-452.html
(引用文のカッコ内、斜体は私の注、引用部分以外にも、裁判費用等について、ひじょうに興味深い部分があるので、リンク先で、是非、確認してください。)
高額な裁判費用
(ミツコ・アントール、今利理絵の提訴後) さっそく「黒鳥・清水両牧師を支援する会」が結成され、支援金集めと日本基督教団の各地域組織に決議文を要請という大衆運動的な取り組みが始まった。私も、事件の真相を知らなかったためにカンパに応じた。
この大がかりな動きによって、「保護説得を受けた信者が牧師と親を訴えた!」は、全国の“救出カウンセラー”と保護説得を予定していた信者家族に知られることになった。(マスコミは報道していない!)
また、支援金の集まり具合が支援する会の機関宣伝紙に掲載され、毎回の如く、カンパ要請の檄文が載った。あと300万円足りないといった文面だったと記憶する。
これによって、「提訴されると高額な裁判費用がかかる」ことが全国の関係者に知れ渡ることになったのである。
実際、ある牧師は、息子をマンションに監禁した親(埼玉県入間市)からの説得要請を、「裁判に訴えられたら、多額のお金がかかるから」という理由で断っている。
脱会説得者だったほとんどのキリスト教の牧師達は、脱会説得が失敗した場合のリスクを考えたということだ。上記、4件の民事提訴を契機に、「保護説得」 を辞めざるを得なかった。すなはち、「拉致監禁」 の減少傾向が確かなものになった。
しかし、その後も、拉致監禁を行っている牧師とか、職業的改宗家がいた。新潟の松永牧師とか、宮村峻氏である。後藤裁判は、これら、牧師とか、職業的改宗家との闘いであり、拉致監禁の息の根を止めるため、最も効果的な方法だ。
アメリカがそうだったように、日本でも、拉致監禁に重大な影響を与えてきたのは、刑事裁判ではなく、民事裁判の結果だった。そして、これからもそうだと、残念ながら、そう確信している。”残念ながら” という意味は、本来なら、刑事事件として、きっちりと裁いて来なかった・・・という意味である。
明日 (2014年6月5日 午後2時半)は、後藤裁判の、控訴審第一回法廷となる。すぐに結審して、判決日が決まるのか、あるいは、何回か、尋問とかがあり、判決日は、その後になるのか?
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民事裁判の抑止力。意外と、すごいんですね。
万民の救いを説く宗教と、人を断罪する裁判とは相反するようなところがありますが、こういうことも面倒くさがらずに取り組まなければ、大業を成し遂げることはできない、ということでしょうか。
「打たれて奪ってくる」というみ言があり、これまでマスコミや反牧から打たれっぱなしでした。
でも、すでに時満ちて、反撃してもいい時代、反撃しなければならない時代になったのかもしれませんね。
直接的に裁判に携わっている方々に、神様のご加護がありますよう、心から祈ります。