2014年02月02日

第四回 荻窪・松濤ウォーク、判決日、そしてお墓参り

2014年1月28日の後藤裁判の判決を目撃するため、1月27日(月)早朝、成田に到着。その午後に、後藤さんが生死を賭け自由を求めて歩いた、荻窪から松濤二丁目までの10キロを歩いた。私としては、これで四回目のウォーク。初回の2011年4月は一人で歩いたが、二回目以降は、毎回、いろんな仲間が入れ替わり、一緒に歩いてくれた。

今回は、国際色豊かに、私を含めて3名全員が、(日本から見て)海外永住している人たちだった。アメリカから二人(うち、一人はミツコ・アントールさん)、オーストラリア(私)一人というメンバーだった。その翌日、28日(火)は、後藤裁判の判決日。29日(水)には、宿谷麻子さんのお墓参りをして、東京での予定を終えた。

今回は、写真を使って、その3日間をお伝えしたい。

1052.JPG
写真:後藤徹さんが、2008年2月10日まで、監禁されていたアパート。
最上階(8階)が、後藤さんが監禁されていた場所。このアパートから、松濤二丁目の交差点まで、後藤徹さんの歩いた跡をたどり歩いた。今回のウォーキング・メンバーのミツコ・アントールさんは、このあたり土地勘があり、いろいろと説明してくれた。


Ogikubo Walk Shijuku Buildings.jpg
写真:山手通りより新宿高層ビル街を望む
青梅街道から、山手通りに入ると、左手にこんな光景が見えてくる。後藤さんが、「やっと、自由になれたんだ」 と、実感した光景。しかし、山手通りは、歩いてみると分かるが、アップダウンがあり、普通の人でも、疲れる場面である。後藤さんにとっては、足の痛み、体力の限界を迎えつつあるところだった。


Ogikubo Walk Death Bridge.jpg
写真:死の歩道橋
「死の歩道橋」 というのは、私が付けた名前で、正式名称は、富ヶ谷交差点歩道橋。後藤さんが命がけで歩いた2008年とは、様変わりしている。古い階段は、取り外され、今は、エレベーター付きの歩道橋になっている。後藤さんにとっては、岩のように立ちはだかった歩道橋だ。後藤さんは、階段を登る必要のない横断歩道を探したが、なかった。超えない限り進むことのできない後藤さんは、両手でレールにつかまり、足の痛みを我慢しながら、一段づつ登っていくしかなかった。

もう、このあたりは、渋谷区なのだが、後藤さんは、統一教会本部への行き方を知らない。知っているのは、渋谷区松濤ということだけ。本当なら、この 「死の歩道橋」 あるいは、ちょっと手間から左に入っていけば、彼の教会の本部へは、最短距離となるが、そんなことを後藤さんが知る由もない。後藤さんにとっては、通り過ぎてしまった形となった。松濤二丁目の交差点で、体力の限界と、足、ひざの激痛で、動けなくなった。二人目に声をかけた人が、偶然にも同じ教会の教会員で、タクシー代を払ってくれて、後藤さんは、アパートを出てから、4時間後、保護され、その夜、緊急入院となった。

退院後、2008年6月、荻窪警察署に告訴状を提出したが、検察は不起訴処分を下し、検察審査会は、その決定(不起訴) を支持した。これで、刑事事件としての追求の道は閉ざされた。2011年1月、民事提訴した。


tokyo district court 2014.jpg
写真:判決日当日 東京地方裁判所前で私
判決は、午後3時だが、お昼ごろ支援者メンバー(10名弱)と、地裁近くでランチをとった。午後、2時40分、傍聴券の抽選があり、これまでになく激しい競争率だったが、昨年の尋問から数えると、三連勝で傍聴券を手に入れることができた。判決後は、場所を何箇所も変えながら、仕事後の合流組も加わり、そして後藤徹さんも含めて、夜の11時頃まで過ごした。


Asako Shukuya Ohakamairi.jpg
写真:宿谷麻子さんのお墓にて
判決日の翌日、29日(水)仲間二人と、麻子さんのお墓参りをした。墓前に後藤裁判の報告をおこなった。


20140129 Mt Fuji.jpg
写真:新幹線車窓より富士山
3日間の東京での日程を終え、西に向かう。日本の冬を体験するのは30年ぶりだが、実にきれいな富士山だった。

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もっと写真を撮っとけばと反省
今夕(2/2)、成田発で帰国。
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posted by 管理人:Yoshi at 07:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 荻窪・松濤 Walk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
yoshiさん、レポートありがとうございます。27日、28日、29日とどの写真も日がさして、晴れていたのですね。特に27日は快晴ですが、この季節の快晴は寒かったことと思います。西へ向かう新幹線からの富士山はまるでyoshiさんの心象風景がそのまま映し出されているようで、こちらまで感動してしまいます。
写真とコメントを読みながら、後藤裁判はいろいろな人の義憤と共感と志を持って支えられていたのだなと感じさせられます。今回の判決は多くの智慧と行動と根性と、、それらもろもろの結晶なのですね。まだ通過点という事ですが、yoshiさんのレポートが続けて見られるのは密かな楽しみです。(別に密かにする必要はないのですが)
ご健康に気をつけ、これからも変わらす、富士山のような大きく高く温かい視点からのレポート願いします。
Posted by kiy at 2014年02月02日 12:19
kiyさんがとても見事なコメントを書かれています。私も全く同感です。

写真の一枚一枚がとても重みを感じます。

天気も心も晴れ晴れ。
人権後進国日本にも希望の光が差し込んできました。
^_^
Posted by みんな at 2014年02月03日 09:05
昨日、メルボルンに戻ってきました。日本には、短い滞在でしたが、充実した日々でした。

kiy さん、みんなさん、コメントありがとうございます。書きたい記事がいっぱいあるのですが、一度にはできないので、ひとつづつ書いていきます。これからもよろしくお願いいたします。
Posted by Yoshi Fujiwara at 2014年02月04日 07:56
2008年2月10日は後藤さんが、12年5ヶ月の監禁から開放された日だ。あれから、6年経ったことになる。後藤さんは、体力の限界の中、渋谷まで10キロの道のりを歩き生き延びた。浮浪者としか見えなかった後藤さんは、寒さと体力の限界の中、命を落とす可能性もあった。後藤さんの強い精神力に敬服する。

ひそかに、考えていることだが、2016年か、2018年の2月10日の午後4時に荻窪の監禁アパートから、松涛二丁目の交差点まで、歩きたいと思っている。

2016年というのは、2008年はオリンピックのあった年で、(夏季)オリンピックの年としておくと、覚えやすいので。考えてみたら、後藤さんは、監禁中に、3回のオリンピックがあったことになる(1996年、2000年、2004年)

2016年というのは、監禁から開放の10周年ということで。まだ、私の頭の中にあるアイデアだし、後藤さんの裁判の今後の進展状況もあるし、まだ、考える時間もあるが、そのアイデアだけでも記しておきたい。
Posted by Yoshi at 2014年02月09日 21:09
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