アメリカ連邦政府の諮問機関である「国際宗教自由に関するアメリカ委員会」の報告書には、はじめて、日本の拉致監禁問題が取り上げられた。「アメリカ委員会」の報告書は、国務省の報告書と違い、世界のすべての国のレポートを網羅するのではなく、宗教の自由の深刻な問題のある国だけを取り上げるレポートである。そして、そのレポートを引用し、ワシントン・ポストが日本の拉致監禁問題を扱った。
2012年以降、そういう変化が可能になったのは、「国境なき人権」が、客観的な立場で、日本の拉致監禁問題を調査し、「拉致監禁は存在する」という結論に至り、報告書にまとめたからである。「国境なき人権」の調査団だけで、そのような報告書が可能になったのか?きょうは、「国境なき人権」報告書の陰の立役者の一人について書いてみたい。
「国境なき人権」報告書で、貴重な情報提供を行った日本のジャーナリストがいる。第三者からの情報というのは、客観的な立場(価値中立の立場)に立たない限り、参考にはならない。このジャーナリストの、それまでの研究・調査がなければ、「国境なき人権」の報告書は、かなり別の形になっていたかもしれないし、もっと時間がかかったかもしれない。そうなっていたら、2012年以降の拉致監禁問題をめぐる世界的な変化は、空白の年月になっていたかもしれない。
その貴重な情報提供をしたジャーナリストとは、「我らの不快な隣人」の著者、米本和広さんである。では、米本さんは、どのくらい「国境なき人権」報告書に影響を与えたのか?

★アーロン・ローズ博士のコメント
「国境なき人権」拉致監禁に関する報告書で、「はじめに」の部分より引用
http://www.hrwf.org/images/reports/2012/1231%20report%20final%20jap.pdf
ところで、この問題を調査するに当たり情報提供をしてくれた米本和広氏について触れておこう。米本氏は多筆なフリーのジャーナリストで、新宗教やカルト批判の調査報道では有名な人物だ。その彼が過去10年間、棄教目的の拉致とその影響について取材してきた。米本氏は市民的自由と、それを定着させるための法律に関心を持つ、知的公平さを持つ著述家だ。
★フォートレー代表のコメント
国境なき人権のフォートレ代表は、欧州国連本部の人権理事会のサイド・イベント(2012年10月31日)で次のように語っている。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/305874601.html
そして、私たちは、世界中の人権社会に関心をもってもらうため、報告書を作成することにいたしました。なぜなら、いかなる人権団体もこの問題を扱っておらず、透明性を完全に欠いており、まったく人々は、この事に気が付いていません。同じことが、日本のメディアにも、日本以外のメディアについて言えます。
この問題は、日本では完全にタブーです。そのタブーは、統一教会員ではない、勇気あるジャーナリスト、米本和広氏によって、打破されました。米本氏は、エホバの証人、統一教会を含めた新宗教運動に対し多くの否定的な記事を書いてきました。しかし、統一教会やエホバの証人の多くの信者が、個人の権利、移動の自由、宗教を持つ自由、信念選択の自由が、侵害されてきたと、気づきました。
★報告書内の引用の回数
次に、「国境なき人権」の報告書自体をみていきたいと思う。「国境なき人権」報告書内に、Kazuhiro Yonemoto (or Yonemoto)は、全部で、15回出てくる。そのうち、 7回は脚注で、7回が本文で、1回は米本さんのブログ「火の粉を払え」のURLの一部として出てくる。
脚注というのは、本文で言ったことに対する情報源(引用元)とか、より詳しい情報とかが記されるもので、報告書、学術的研究レポートには必須のものだ。60ページのレポートに15回ということは、平均して、4ページに一度出てくる程、貴重な情報を提供しているということだ。(たとえば、学術論文の重要性は、その論文がどれだけたくさん引用されているかによって決まってくる。貴重な論文・研究であれば、他の学者の間でも、数多く引用されるのと同じである。)
ちょっと話はそれるが、「国境なき人権」報告書を潰すにはどうしたらよいか?答えは簡単である。「情報源として多く引用されている、あの『米本』を潰せばいいのだ・・・」と、拉致監禁グループは考えるはずである。「潰す」というその意味は、「米本」は、独立した(価値中立の)ジャーナリストではなくて、統一教会寄りのジャーナリストであって、「米本」情報は、客観的なものではない・・・ということを示す事である。
この件(拉致監禁グループの米本さんに対する攻撃)に関しては、米本さんのブログ「火の粉を払え」の、2013年1月4日付け記事「統一の御用ライターか破壊ライターか(苦笑 」を参考にして頂きたい。この記事では、「左」からの火の粉だけではなく、まるで双生児の「右」からの火の粉も書いている。
★米本さんのメディア活動と価値中立であること
米本さんの、拉致監禁問題に対する活字・メディアを通しての活動について、年を追って紹介したい。
参考URL:
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-2.html
http://humanrightslink.seesaa.net/article/372256576.html
1999年9月:別冊宝島『救いの正体』で、「ドキュメント救出」を発表
2004年:月刊現代2004年11月で、『書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇』を発表
2008年7月:「我らの不快な隣人」発刊
2009年2月:ブログ「火の粉を払え」開設、現在(2013年11月)に至る
価値中立的であることを重大視する米本さんの姿勢が端的に現れている箇所を、彼の書籍「我らの不快な隣人」37〜38ページより引用させていただく。
脱会をめぐる全体の構造を解き明かすには、実際に監禁された側(青年)と、監禁した側(親)の両者から話を聞く以外にはないと思った。
調べてみると、統一教会系出版社から(略)拉致監禁の体験を綴った出版物が出されていた。しかし、体験を語っている人たちは現役の信者であり、事実を針小棒大に書いている可能性がある。(この部分、注あり。その書籍の367ページ)
一方、監禁下で説得を受けて脱会した元信者は統一教会をやめて良かったと思っている人たちである。取材を申し込んでも、正直に自分の拉致監禁体験を語ってくれるとは考えにくい。もし、真実を語れば、統一教会を結果として利すことになり、親を含め、”世話”になった人に弓を引くことになってしまうからだ。
価値中立的に書くには、「統一教会」にも「拉致監禁」にも批判的な元信者を探すしかない。雲をつかむような話だったが、三年後にある元信者の母親の紹介で、ようやく一人の元信者に連絡を取ることができた。
「価値中立」を別な言葉でいえば、「平等」「公平」「偏らない」「考え方が柔軟」「いいことはいい、悪いことは悪い」という姿勢につながっていくものだと思う。「価値中立」でない人たちは、「価値中立」であるということが理解できないか、理解しようにも頭がそこまで回らないか、分かっていても、軌道修正できない人たちだろう。自分こそが正しいと思っているからである。
しかし、「価値中立」を貫くことを、意識して行うのではなくて、ごく自然にできてしまうのが米本さんだと思う。無理して「価値中立」を貫くのではなくて、ごく自然にできるから、長く同じ姿勢でいられるのだと思う。
2012年以降の、拉致監禁を取り巻く世界的な動きに寄与したのは、「国境なき人権」による報告書である。「国境なき人権」の報告書に大きく寄与したのは、「価値中立」を貫いた米本さんの資料である。
現在、米本さんは、大腸ガンの手術からの回復途上である。米本さんの拉致監禁問題に対する徹底した信念と行動に最大の敬意を表して、着実な回復をお祈りしたい。
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ようやく、いくつかのブログを読めるほどに回復いたしました。
がん体験記を書き終えたら、また反拉致監禁戦線に復帰いたしますので、よろしくお願いいたします。
わざわざ、コメントありがとうございます。「がん体験記」の更新の間隔が今回は短かったので、たぶん、調子がよくなってきてるのかな?と想像しておりました。回復しつつあっても、無理はされませんように。
深い洞察力と正義感に感激。
早く元気になってください。
「この問題(統一教会信徒に対する拉致監禁問題)は、日本では完全にタブーです。そのタブーは、統一教会員ではない、勇気あるジャーナリスト、米本和広氏によって、打破されました」
この評価は全うだと思います。
そして、「国境なき人権」がこうした評価を公にしてくれたことに、心から敬意を表します。
このような評価を受ける日本のジャーナリストが果たして、どれだけいるだろうか。
新刊マンカ「絆」にも描かれていましたが、編集者、出版社、デスクがことごとくタブー視する中で、この問題を中立的な立場で客観的に報じた米本さんの功績は後世にわたって讃えられるべきだと思います。
米本さんの素晴らしさを再確認させてくれる記事を書いてくださったYoshiさんに感謝です。
12/17の判決をきっかけに、米本さんが再評価され、マスコミに取り上げられるようになることを希望します。