今回の記事では、伊藤芳朗弁護氏の、後藤裁判との関連において、裁判に提出された陳述書・意見書をもとに、関係者のそれぞれの証言・主張をみていきたい。なぜなら、そのつながり・延長として、エイト君の「伊藤弁護氏批判」の記事が出てきたからからである。
伊藤芳朗弁護士関連で、後藤裁判に提出された書類は次の四点であり、提出者は三名である。
2012年7月18日 陳述書 米本和広氏 (原告側)17ページ
2012年10月4日 意見書 山口広氏 (被告側)8ページ
2012年11月14日 陳述書 伊藤芳朗氏 (原告側)3ページ
2012年12月7日 陳述書 米本和広氏 (原告側)4ページ
(ページ数は正確なものではなく、A4サイズに印刷された場合のだいたいの目安)
まず最初に、2012年7月18日、伊藤芳朗弁護士の証言が陳述書として提出され、その年の後半に、合計4件の書面が提出されたことになる。
★伊藤芳朗弁護士の証言
2012年7月18日付け、米本和広氏の陳述書が提出された。甲107号証である。ルポライターである米本氏が、伊藤芳朗弁護士とインタビューを行い、そのインタビュー内容を綴った形で裁判所に提出した陳述書である。陳述書の最後には、「今回提出する陳述書は、伊藤芳朗弁護士にチェックを受けたものです。」とあり、この陳述書は、伊藤芳朗弁護士の証言と言えるものである。その陳述書をもとに、伊藤弁護氏の証言をまとめたい。
ルポライター米本氏による伊藤弁護氏の紹介:
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-112.html より抜粋/要約
(注/小見出し/強調等は私 Yoshiによる。)
インタビューしたのは、被告代理人たちも所属する「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の弁護士であり、1991年〜1993年に元信者が統一教会を被告として提起した東京の「青春を返せ裁判」の原告の代理人を務めた伊藤芳朗氏である。この時、伊藤芳朗氏は、「青春を返せ裁判」原告であった本件被告、GT氏(注:徹氏の兄)の代理人でもあった。
伊藤芳朗弁護士の統一教会との関わり:
1987年、統一教会の被害相談を手伝ったのがきっかけ。その後、山口広弁護士等から「被害弁連(全国弁連の東京地区の組織)を手伝ってくれないか」とリクルートされる。
1990年、青春を返せ訴訟をやるので手伝ってくれないかと頼まれる。
青春を返せ訴訟は91年から始まったが、その頃になると、伊藤芳朗弁護士はコアな弁護士の一人になっていた。山口広弁護士、飯田正剛弁護士、渡辺博弁護士、紀藤正樹弁護士と伊藤芳朗弁護氏がコアなメンバーで、伊藤弁護氏は弁護団会議には毎回出席し、意見を述べるようになった。
被害弁連の会合に参加しなくなった理由:
(被害弁連に)所属はしているが、2004年にホーム・オブ・ハートの事件を担当するようになって以来、会合には出ていない。(注:紀藤正樹弁護士が、ホーム・オブ・ハート側を、児童福祉法違反・監禁で刑事告発、伊藤芳朗弁護士は、被告発人、すなわち、紀藤氏が告発したいホーム・オブ・ハート側の弁護人を務め、両者は、一つの問題に対し、闘う相手となった。)
私がホーム・オブ・ハートの被告発人側の弁護人になった途端に、紀藤弁護士が根回しをして、私(= 伊藤芳朗弁護士)が被害弁連の会合に参加できないようにした。ある日私が被害弁連の定例会に出向いたところ、代表の伊藤和夫弁護士が私を別室に連れて行き、「総意だから君はしばらく出て貰っては困る」と言われた。私が、「理由を言って下さい」というと、「君はホーム・オブ・ハートに関わったから」ということだった。
何人か私を擁護してくれた弁護士さん達もいたそうですが、「紀藤さんがどうしても伊藤さんを出席させることは許さないというので,仕方がなかった。」ということだった。紀藤弁護士とはそれまでにも路線対立があったので、私をパージする格好の口実だったと思う。統一教会案件を担当したのもこの頃が最後になった。
宮村氏と知り合った経緯:
桜田淳子さんの参加した合同結婚式の1992年から、週刊誌は毎週、テレビ局は全局が毎日ワイドショーで取り上げるといったすさまじい報道合戦が始まる。
この頃に、被害弁連内でクローズアップされたのが宮村峻氏だ。当時のテレビ局は、統一教会を脱会した元信者を出演させたいと必死だった。それに応えたのが宮村氏だった。彼は自分が脱会させた元信者をどんどんテレビ局に供給した。また、テレビ局は、被害事件を解説する弁護士も必要だった。それに対しても、宮村氏は緊密な関係にあった紀藤正樹弁護士(被告代理人山口貴士弁護士が所属するリンク法律事務所所長)を紹介した。そのうちに報道に火がつくと、紀藤弁護士一人では手が足りなくなり、私(= 伊藤芳朗弁護士)や渡辺博弁護士など何人かが穴埋めするような形で、テレビに出演した。
「拉致監禁を媒介とする脱会方法の存在に、いつ頃から気付いたか?」の問いに:
(陳述書からその箇所をそのまま全文引用、強調、段落作成などは、管理人による)
元信者の話を聞くうちに統一教会問題にどっぷりつかるようになっていった。このことは先に話しましたが、数十人から話を聞くうちに「なんだか変だなあ。やめるプロセスが変だなあ」と思うようになりました。
誰だかは言えませんが、今でもはっきり覚えていることがあります。元信者のその女性は、宮村氏の指導で、自分は親兄弟によって拉致監禁された、あのときの悔しさだけは忘れないと、話していたことです。
そんな話がぽつぽつと聞かれるようになって、宮村氏が常習的にやっている脱会説得の手法は、法的に逮捕監禁に当たるものであることが次第にわかってきました。
例えば、現役の統一教会信者を車のバンで後ろから尾行し、スキを見て捕まえて、無理矢理車に連れ込んで、そのまま事前に用意したマンション等の一室に連行して監禁し、信仰を失うまで外に出さない、という方法です。
これは、法的には明らかに逮捕監禁罪にあたる違法行為です。
拉致し監禁するバリュエーションはそれぞれですが、拉致され、マンションに監禁され、脱会するまで解放されないという点で、元信者の話はいずれも同じでした。
しかも、こういう逮捕監禁をするときには、宮村氏や、宮村氏の意を酌んだ元信者の家族(子どもの脱会に成功した親たち)が現役信者の親族らに事細かく指示してやらせるけれども、宮村氏は直接には関わらないようにしていました。
警察への対応も、マニュアル化されていて、警察が関わってくるようなことが発生したら、これは「親子の話し合いだ」と突っぱねろ、と。親子の話し合いだと言われると、警察はどうしても民事不介入の原則から、踏み込むようなことはできませんからね。
山口弁護士に疑問をぶつける:
コアな弁護士との打ち合わせの場だったか、個人的な場だったかは忘れましたが、山口広弁護士には「宮村氏のやり方は問題だよ」と疑問をぶつけたことがありました。そうしたら、山口さんはこう言うのですよ。「伊藤さん、ぼくたちは信者が辞めた後のことに関わればいいから。辞める前のことに一切関わっちゃいけない」彼はそうしか言わない。狡いと思いましたね。
「山口広弁護士は、宮村氏が拉致監禁説得をしていることを知っていましたか。」との問いに対して:
もちろん!です。
宮村氏にはどうにも不透明なことが多すぎるという印象を持ちました。そうしたことから、宮村氏への不信感は決定的になりました。
それで、私は山口広弁護士に対して、「一緒に(反統一教会)運動をする上で、会計が不明朗だと後々問題になるかも知れないから、宮村さんに会計報告を求めた方がいいのではないか」と話し、会計報告を求めました。
伊藤弁護氏への攻撃が始まる:
そうしたところ、宮村氏の私に対する攻撃が激しさを増すようになりました。それも、宮村氏が直接私に対して攻撃するのではなく、原告団の中で最も宮村氏の言いなりになってしまった元信者らを使っての攻撃でした。たとえば、こうした元信者らは、「伊藤弁護士を弁護団から外してもらわないと、自分達はやめる」と言い出し、私が何か事務連絡をする度に、それに対して猛抗議をするようになりました。
また、原告団の連絡網を私が作成して配布したところ、ある元信者が、「個人名を勝手に書いてばら撒いた」と言った批判をしてきました。原告団を結成して裁判闘争を共闘している以上、原告団全員の名前が分かってることは当たり前のことですが、いくら説明しても、「弁護士としてあるまじき行為だ」といった抗議を一々私の事務所に電話や文書でして来たり、「伊藤弁護士はおかしなことをしている」といったことを頻繁に言いふらしたわけです。
「青春を返せ裁判」を降りてから:
そこで私は、これ以上私が「青春を返せ裁判」に関わると裁判全体にとってマイナスになると判断し、原告らの代理人を辞任することにしました。オウム騒動の前でしたので1994年のことです。
辞任すると同時に、原告全員に宮村氏のことを糾弾する内容の文章を送りました。このとき私を支持してくれた何人かの原告らは、宮村氏のやり方に抗議して訴えを取り下げ、共に裁判から撤退しました。担当していたT君やNさんを含め約10人はいたように記憶しています。
「青春を返せ裁判」からは身を引いたものの、私はその後も全国弁連の活動を続けました。そして、宮村氏の活動の実態を多くの人達に知らせて、人々が宮村氏の悪行に巻き込まれないようにしないといけないとの衝動に駆られたことから、「宮村氏の脱会活動が、脱会活動に名を借りた金儲けであり、実態は拉致監禁であり、棄教の強要に過ぎない」ということを、知り合いの弁護士や日本基督教団の牧師など、脱会活動に関与している人達や統一教会信者らの父兄に話しました。
金の臭いがふんぷんとする。脱会のやり方が乱暴で、違法性が強い。信者の家族が私たちを頼ってきた場合、クリーンじゃない人物を紹介したら紹介責任を負わなければならない。
宮村峻氏の人物像と、元信者の行き着く二つのタイプ:
宮村氏はとにもかくにも支配的な人です。それゆえ、宮村氏の手によって脱会した元信者たちは2つのタイプに分かれます。
1つは、宮村氏の支配を受け続ける人、つまり神格化された宮村氏に依存する人たちです。そうした人たちは、宮村氏の意に絶対に背かない。もう1つは、宮村氏の支配を嫌がり、彼を毛嫌いするようになるタイプです。 従順派は宮村氏の指示に逆らうことなく従います。だから、宮村氏がGTさん(注: = 原告の徹氏のお兄さん)に「弟を出すなよ」と言えば、間違いなくそれに従います。
実は、後藤徹さんが拉致監禁されてから1年半か2年後のことですが、日本基督教団の牧師さんから「宮村さんがある信者を拉致し、1年半だか2年だったか、ずっと監禁している」と聞いたことがあります。思わず、「それ、犯罪じゃないですか。信じられない話ですね」と口にしたことがあります。
その信者が後藤徹さんだったことを、徹さんが告訴したことで知りました。牧師さんなど他の脱会説得者ならともかく、宮村氏なら長期間の監禁はあり得る話です。「信じられる話」です。
以下、私の解説・感想:
陳述書によれば、伊藤芳朗弁護士は、1987年に統一教会の被害相談を手伝ったのがきっかけで、1990年から「青春を返せ訴訟(提訴は91年)」を受け持った。その頃には、山口広弁護士、飯田正剛弁護士、渡辺博弁護士、紀藤正樹弁護士とともに、伊藤芳朗弁護士は、被害弁連のコアな弁護士の一人となっていた。
宮村峻氏の脱会説得の方法や、不明朗な会計に不信感を持った伊藤芳朗弁護士は、その事を、山口広弁護士にぶつけることになるが、結果的に、宮村氏一派からの攻撃を受けることになる。1994年、伊藤弁護氏は、「青春を返せ訴訟」を降りることになる。
2004年、ホーム・オブ・ハート訴訟の件で、伊藤弁護氏は、被害弁連をパージされた格好になり、(現在でも所属はしているが)会合には出ていない。
少なくとも、1987年から、1994年「青春を返せ訴訟」の代理人を降りるまでの約7年間は、伊藤弁護氏は、山口弁護士と共に歩んだ仲であるし、山口広弁護士を志を同じくする立場だったはずである。2004年までを含めるならば、その17年間は、統一教会からの被害者救済のため、被害弁連の一員として働いた弁護士である。そのような人物からの証言が衝撃的でないはずがない。
山口広弁護士は、どのように答えたのか?
★山口広弁護士の反論
上記陳述書(甲107)に対し、2012年10月4日付けで、山口広弁護士による意見書が提出された。
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-122.html
(以下、要約、 強調、小見出し等は、私、Yoshi による)
米本陳述書(甲107)と、米本氏に対して:
25年間にもわたる全国弁連の活動の一時期、その活動の一端に関わったことのある伊藤芳朗弁議士から聞いたこととして、米本和広氏の陳述書 (甲107)が提出されました。
米本氏ついて、思い込みが激しく、自分が一度描いたストーリーに執着しすぎて、事実関係を冷静かつ公平に見て論評することが出来ない性格であり、その性格が災いして、社会に重大な害悪をもたらしていると、私は考えています。
本件訴訟とは関連がなく、また、内容が伝聞に過ぎず、事実と著しく異なるばかりでなく、悪意ある誹謗中傷にみちた甲107が、証拠として提出されること自体異様なことです。このように本件と直接関わりのない陳述書等の証拠を延々と大量に提出し続ける原告の訴訟戦術は常軌を逸していると考えています。
甲107の問題点を指摘する前提として4点:
1. 全国弁連は弁護士の情報連絡のための会であって、何かを決定してその方針で各弁護士の言動を拘束するような団体や組織ではありません。甲107はその前携を見誤った言説に溢れています。
2. 弁護士として脱会カウンセリングの実態も判らないのに、ああすべきだとかこうすべきでないなどと述べることは慎重でありたいと考えてきました。勿論、個別事案で相談されたら必要な法的アドバイスはしましたが、脱会カウンセリングのあり方に関して全国弁連として積極的に何かを決めることはしていません。
3. 弁護士には守秘義務があります。特に伊膝弁議土は、2頁11行目で、「GT氏<後藤徹氏の兄>の代理人でした」と述べたとされているのに、そのGT氏のことや、彼が原告として長年かかわってきた「青春を返せ裁判」のことについて、甲107にあるように、米本氏に対して述べたとして色々書かれていますが、これは明らかに弁護士法、弁護士職務基本規定違反であり、実際に伊藤芳朗弁護士が話したこととは考えられません。
4. 私は本書面で甲107の記述について逐一反論するつもりはありません。その必要もないと思います。しかし、申107は、統一協会の違法な組織的活動を擁護する立場に立つものであり、統一協会による被害を少しでも抑止して被害者を救済し、新たな被害者が生じることを防ぎたいと思って活動してきた全国弁連の活動を誹謗し、中傷し、その 25年にわたる活動をおとしめる狙いに満ちており、事実にも反しています。
最低限必要と思われる事項に限定して反論(9項目):
1. 伊藤氏は 「『カルト宗教だと負け』という裁判所の枠組みみたいなものがあって、ことごとく敗訴してしました」と述べたことになっていますが、もしそう述べたのなら深刻な認識の誤りです。
2. 1991、2年頃のテレビ出演をめぐる 5頁の記述は著しい事実誤認です。宮村氏が 「手配師のようなことをしていた」事実はありません。各弁護士の判断で各メディアの要請に答えていたのです。
3. 私は、伊藤弁護士が宮村氏の脱会カウンセリングに直按関与したことが一度もないことを宮村氏に確認しました。ですから、伊藤氏は宮村氏の活動の実情を直接見聞して知る立場にありません。直接見聞きしていないのだから、その活動について具体的な話をできるはずがないのです。6頁の「バンで尾行」「無理矢理車に連れ込み」「マンションに監禁」といった話は伊藤氏が本当に述べたとすれば、一体何を根拠にそう述べたのか疑問です。
4. 伊藤氏が語ったとされている7−10頁の記述も著しく事実に反します。私は、脱会カウンセリングをめぐる訴訟が起こされて以降は、改めて、関係者から脱会カウンセリングの実情について説明を受け、これら関係者に対し、違法行為と評価される可能性のある行動については控えるべきであることを発言するようにしてきました。
私は、弁護士は脱会カウンセリングに違法性があれば注意助言するべきであると考えています。しかし、軽々しくその内容に立ち入って安易に論評することは控えるべきだと考えてきました。
伊藤弁議士の話や米本氏の記憶として、私の話*が 9、10頁に書かれていますが、その内容も全く事実に反します。私が伊藤弁議士に話をしたのは上記のとおりの認識について述べたのです。私の発言を米本氏か伊藤弁護士は著しく歪曲しています。
(注:*私の話:「伊藤さん、ぼくたちは信者が辞めた後のことに関わればいいから。辞める前のことに一切関わっちゃいけない。」「(信者を説得する家族を説得すのは)効率が悪いよ」などの発言)
5. 11頁の「他の事件では認められないような請求も相手がカルト宗教だと安易に認められてしまう、という裁判所の傾向もあります」という記述は伊藤氏の発言とすれば明らかな事実誤認です。
6. いわゆる 「東京青春を返せ訴訟」の内情らしきことを伊藤氏が語ったとして、12、 1 3、14頁に種々書かれていますが、あまりに事実に反しておりますし、原告団の内情を誤って伝えるものになっています。
7. 12、13、14、15頁に、宮村氏がかかわる水茎会やその会計のこと、全国弁連との関係などについて書かれていますが、これも著しく事実に反しています。少なくとも、伊藤弁護士が事実や推論で語ることはできないはずです。
「宮村さんに会計報告を求めた方がいい」と伊藤氏に言われた記憶はありませんし、仮にそんな意見が出たら、どうして人の財布をのぞく必要があるのかと言うでしょう。少なくとも「毎月 300万円くらいの金額を宮村氏は得ている」いう伊藤弁護士の推論は聞いていません。
8. 15,16、17頁にJT弁議士のことが書かれています。うつ病で自殺されたJ弁護士のことについて、そのような記述まですることは許せない思いです。
9. 全国弁連の長きにわたる活動の中で、本当に尊敬すべきさ全国各地の弁護士の方々や統一協会問題に取り組んでこられた牧師等カクンセラーの方々、そして元信者や家族の方々と触れあい、長きにわたって苦労を共にすることができたことは何にもかえがたい私にとっての宝です。
そのような全国弁連の活動によって培ってきた成果を、米本氏の言説でおとしめられることは、私にとっては容認できないことです。
以下、私の解説・感想:
山口広弁護士は、まず、意見書の最初のほうで、「25年間にもわたる全国弁連の活動の一時期、その活動の一端に関わったことのある伊藤芳朗弁議士」と言っているが、これは、意図的かどうかは知らないが、間違いである。
伊藤芳朗弁護士は、2004年にホーム・オブ・ハート訴訟の件で、全国弁連をパージされる格好になるまでの、17年間を、たとえ意見の違いはあったとしても、活動しているわけである。25年間のうちの17年間は、一時期とは言わない。
山口弁護士は、彼の意見書の中で、「全国弁連は弁護士の情報連絡のための会であって、何かを決定してその方針で各弁護士の言動を拘束するような団体や組織ではありません。様々な考え方や信念をもつ弁護士が、それぞれの考えに従って、弁護土業務を担当する過程で考え、入手した情報交換をするのが本旨の連絡会です。」と明確に述べている。伊藤弁護氏も、彼自身の考え方や信念を持つ弁護士だったはずであり、伊藤弁護氏が会合に出向かなくなった2004年まで、全国弁連の活動に関わっていることになる。
また、山口弁護士は、こうも言っている。
「申107は、統一協会の違法な組織的活動を擁護する立場に立つものであり、統一協会による被害と少しでも抑止して被害者を救済し、新たな被害者が生じることを防ぎたいと思って活動してきた全国弁連の活動を誹謗し、中傷し、その 25年にわたる活動をおとしめる狙いに満ちており、事実にも反しています。」山口広弁護士の過去25年間の、統一教会被害者のための献身的救済活動や、山口弁護士の全国弁連に対する情熱は意見書から伝わって来るが、甲107は、そのような活動を決しておとしめようとはしていない。
「全国弁連の長きにわたる活動の中で、本当に尊敬すべきさ全国各地の弁護士の方々や統一協会問題に取り組んでこられた牧師等カクンセラーの方々、そして元信者や家族の方々と触れあい、長きにわたって苦労を共にすることができたことは何にもかえがたい私にとっての宝です。
そのような全国弁連の活動によって培ってきた成果を、米本氏の言説でおとしめられることは、私にとっては容認できないことです。」
統一教会員に対する拉致監禁によって受ける「人権侵害」に対し、加害者である脱会説得者を擁護する姿勢や、全国弁連と脱会説得者との関係を糺(ただ)しているのである。決して「統一協会の違法な組織的活動を擁護する立場に立つもの」ではない。
山口弁護士の意見書は、「深刻な認識の誤り」「事実はありません」「事実に反します」「著しく歪曲しています」「明らかな事実誤認」「誤って伝えるもの」「記憶はありません」「〜の推論は聞いていません」と、言葉豊富に、「甲107での証言は事実に反する」と主張し、被害救済活動している全国弁連に対する誹謗であり、中傷であると、言っている・・・のである。
山口弁護士の意見書に対し、1ヵ月後に伊藤芳朗弁護士(2012年11月14日)、そして、2ヵ月後に米本和広氏が陳述書(2012年12月7日)を提出した。
★伊藤弁護氏の陳述書
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-132.html
(2ページのもので、全文を引用させて頂く。カラー・強調等は、私 Yoshi による)
2012年11月14日提出
陳 述 書
伊 藤 芳 朗
1 はじめに
当職は昭和62年に弁護士登録した弁護士です。
弁護士登録1年目のとき,日弁連が霊感商法被害相談を行った時に手伝ったことがきっかけで,山口広弁護士たちが主宰する霊感商法被害弁連に所属しました。以後,長い間,山口広弁護士,渡邊博弁護士,飯田正剛弁護士,紀藤正樹弁護士とともに,主力の5人メンバーとして被害弁連を支えてきましたが,1989年からオウム被害対策弁護団の中心メンバーでもあったところ,1995年のオウム騒動によって忙しくなったことと,2004年にホーム・オブ・ハートの代理人になったところ,それを口実に被害弁連を事実上締め出された(「除名」とまでは言われていません)ことで,統一教会被害問題には関わらなくなりました。
2 今回,山口広弁護士(以下, 「山口先生」といいます。)が,米本氏の陳述書(甲107)の内容に疑義を唱える意見書(乙ハ22)を提出されたようですが,当職が米本氏にインタヴューを受けたことは間違いありませんし,陳述書(甲107)の内容も事前にお見せいただいて確認しております。陳述書の内容に間違いはありません。すべて,当職が経験したことを正確に書いていただいています。
3 むしろ,当職にとって,山口先生が宮村氏の代理人をしていることのほうが驚きです。日本基督教団の脱会活動とは異なり,宮村氏の行う脱会活動は行き過ぎで,違法性の色が濃く,さらに父母から集めるお金の使い道も不透明で,脱会した後の元信者への扱いにも疑問が多く,問題だということは上記5人のメンバーでよく話し合っていたことですし,5人のメンバーで意思一致して,宮村氏を全国弁連から締め出しました。少なくとも当職が被害弁連を締め出されるまでは,宮村氏と被害弁連は関わりを持たないと決めてそれを守っていました。どうして,当職がいなくなってから,被害弁連と宮村氏との関係が復活してしまっているのか,大変残念に思います。(被害弁連の他の弁護士が宮村氏のことをどのように考えているかは分かりませんが, 少なくとも山口先生が宮村氏の代理人であるということは, 宮村氏と被害弁連との関係が復活したと考えられます。)同時に,当職は山口先生を最も信頼して活動していましたので,山口先生が宮村氏の代理人であることをとても残念に思います。
4 当職は,本来であれば素直に陳述書を作成・提出すればよかったのかもしれませんが,やはり,長年「反統一教会」の立場で弁護活動をしてきましたので,ものすごく抵抗感がありました。しかし,後藤さん(原告)のお話を聞き,そのようなステレオタイプの考え方ではいけないと思い,散々悩みました。その結果,どうしても,かつての仲間である山口先生たちを裏切るようなことはできないと思い,陳述書の作成や証人としての出廷はお断りしました。しかし,米本氏の陳述書にある通り,宮村氏が長年にわたり一人の信者を拉致監禁しているという話は日本基督教団の牧師からも,また元信者たちからも聞いていましたところ(当職の記憶では8年経過していた頃だったと思います),それが原告であると知り,また,その仕打ちがあまりにもひどかったので,「統一教会は反社会的集団で反対ではあるが,後藤さん(原告)が受けた仕打ちは非人道的で違法であり,許されざることである。」という思いも強く,米本氏のインタヴューに答える形ならと協力した次第です。
5 また,このようなこともありました。甲107が裁判所に提出された直後,オウム真理教被害対策弁護団のメンバーであり,現在も毎月同弁護団で一緒の若手の弁護士から,「ある事件で,米本さんというジャーナリストの陳述書が提出されたのですが,そこに伊藤先生のインタヴューが載っているので,本当に伊藤先生が話をしたのか,確かめるように言われたんです。」と電話がかかってきました。当職は,このような何のしがらみもない若手の弁護士さんを巻き込んではいけないという思いと,正々堂々と当職に電話をしてくれば良いものを,人を巻き込んでしか確認しようとしない山口先生たちにメッセージを送りたいと思い,「そのことには答えません。あなたに頼んできた弁護士さんに,『聞きたいことがあるなら,伊藤は逃げも隠れもしないから,正々堂々と直接私に確認すればいいじゃないか。』と伊藤が言っていた,と伝えてください。」とだけ申しました。
ところが,その1,2週間後,今度は,別の民事訴訟(未公開株詐欺事件)で相被告の代理人を務める別の若手の弁護士さんと法廷でお会いしたとき,閉廷後に裁判所の廊下で全く同じ質問を受けました。その弁護士は,「私は米本氏の陳述書も読みました,この事件(別件の民事訴訟)での伊藤先生の代理人活動を拝見していて,先生のことを信頼しています。ですから,敢えて私に,米本氏の陳述書が本当に伊藤先生のおっしゃったことを書いているのかどうか,教えてください。私は伊藤先生のおっしゃることを信じます。」と言われましたので,今度は上記の弁護士さんと同じような返し方はできないと思い,「米本さんの陳述書に書かれていることは,私が話したことです。そして,すべて真実です。」と答えました。彼は,「分かりました。」と言ってくれました。
今もって,山口先生が当職に電話一本下さらないことを,とても残念に思っています。
6 最後に,山口先生は米本氏のことまで悪く書いていますが,本当にどうしてそこまでして宮村氏のような人物を擁護するのか,理解できません。米本氏は,ヤマギシ会について批判的見地から取材・報道しているジャーナリストとして,ヤマギシ会に囲われている子どもたちを救出するため,日弁連に人権救済申立てを行い, 当職が日弁連人権擁護委員会幹事として同申立案件を担当しました。米本氏は取材の結果を日弁連に報告し,日弁連の行動を促したのです。当職はその調査メンバーの一人として現地調査を含めいろいろ調査し,その結果,日弁連から意見を出すこともでき, 結果的にヤマギシ会の子どもたちを救うことができました。
米本氏の報告はすべて真実であり, 本当に良くここまで踏み込んで調査されていると,当時皆で感心していたことを覚えています。米本氏はよこしまな感情で事実を曲げて伝えるような人物ではありません。山口先生,もう一度,以前のフェアな姿勢を取り戻してください。お願いします。
以 上
平成24年11月14日
以上のとおり相違ありません。
伊藤 芳朗 ○印
以下、私の解説・感想:
後藤さんを支援する裁判ブログによれば、伊藤芳朗弁護士は、この陳述書に、弁護士職印の印鑑証明書まで添付していた。伊藤芳朗弁護士は、職を賭けて、最大限の誠意をもって、真実を語ったということだろう。内容自体については、読んで頂いたとおりで、最後は「山口先生,もう一度,以前のフェアな姿勢を取り戻してください。お願いします。」と、結んでいる。
★米本和弘氏の陳述書
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-140.html
(3ページなので、全文を引用させて頂く。)
陳述書
2012年12月7日
1.弁護士山口広氏の、2012年10月4日付の意見書で、私のことに言及している「意見書」の「2」の部分について、事実に基づいて反論しておきます。
2.山口氏が言及している記述部分を、時系列で書いておきます。下線部分は私と山口氏が直接関わった出来事です。これを読めば、いかに山口氏が意見書でデタラメを述べているか、一目瞭然でしょう。
1997年7月:「ヤマギシの子どもを救う会」が結成される。私は、山口広氏に設立総会の講演を依頼する。山口氏は快諾する。
総会後、同会は日弁連にヤマギシの子どもたちの人権救済の申し立てを行う。(その後、日弁連に救済の申し立て委員会が組織される。その委員の一人がこの裁判で陳述書を提出している伊藤芳朗弁護士である)
1999年9月:別冊宝島『救いの正体』で、
@<【検証!ライフスペース「ミイラ事件」】自己啓発のセミナー屋さんは、いかにして「定説」主義のグルとなったのか>
A<【脱会カウンセラーの現場から】ドキュメント「救出」> を発表。
@はライフスペースを批判した記事、Aは統一教会員の脱会方法に「保護(拉致監禁)説得」が行われていることを初めて暴露した記事である。
なお、同書には「ライフスペースを考える会」の名前で<高橋弘二さん、早く「グルの夢」から目覚めてください>の記事が載っている。この企画は私が宝島編集部に持ち込んだものである。
1999年12月:『洗脳の楽園−ヤマギシ会という悲劇』(洋泉社)を発表する。
2000年3月17日:全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の年2回の全国集会が東京で開かれる。その直後に、山口氏から「会いたい」という電話連絡が入る。
京王プリンスホテルのバーで山口氏と会う。「米本さんが書いた別冊宝島の『ドキュメント救出』がものすごいハレーションを起こしている」と教えてくれる。
「集会の後の懇親会で、明日の『宗教と人権ネットワーク』に、米本さんの参加を断るべきだ、いや参加を認めるべきだで、意見は二分された。米本さんは参加するつもりかどうか」と質問される。(甲30号証・『我らの不快な隣人』300〜303頁)
2000年3月18日:『宗教と人権ネットワーク」(議長は山口氏)で、私は全国弁連の弁護士、及び強制説得を行っている牧師から激しく批判される。(同上)
2000年〜2002年:南山大学の宗教学の教授渡邉学氏と元オウム信者と私の3人で主催する「カルト学習会」がほぼ毎月開かれていた。出席者は常時、10数人以上。山口氏は常連参加者だった。学習会の後の懇親会にも山口氏はいつも参加し、私と飲食を共にし、交流を深めた。
2004年:月刊『現代』(講談社)のルポ <書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇(甲106の2資料1)> を書くために、山口氏に取材を申し込むが、拒否される。
2004年10月:同雑誌にルポを発表。その直後に、全国弁連の機関誌『弁連通信』で、山口氏は「お粗末な米本論文」というミニ書評を発表する。
その中で、次のように書いている。
「彼のジャーナリストとしての根性やこれまでの業績については高く評価していた。しかし、たいへん残念だが、この論文についてはそうコメントするしかない」(全文はhttp://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-7.html)
このルポ以外の記事では、ジャーナリストとしての私のことを高く評価していたと書いているのである。
2007年:甲30号証『我らの不快な隣人』(情報センター出版局)の取材で、山口氏に何度かにわたってインタビューを申し込むも、そのつど断りのファックスが入る。
毎回、添え書きとして、私のジャーナリストとしての仕事を高く評価する旨のことが書かれていた。
3.以上の事実経過からすれば、今回の意見書で私に言及したところはすべてがデタラメであることが理解できると思います。
(1)「ヤマギシ会及びライフスペースといったカルト的団体の被害者の会の運営においても、彼は、反対運動に熱心に取り組んでいた方々が展開していた運動のあり方等について、自分と異なる意見を持つ人々を許容することが出来ず、激しい批判をあびせ、反対活動を結果として分裂させたり、疲弊させたりしました」(意見書2頁1〜5行)
このような事実はありません。
時系列で紹介したように、私は「ライフスペースを考える会」を世に知らしめたいという目的で、宝島編集部に会のメンバーを紹介し、記事に載せるようにお願いしました。
(2)ヤマギシ会についても同じです。
ヤマギシ会に反対する組織には「ヤマギシを考える全国ネットワーク」がありましたが、ヤマギシの子どもたちを救うという視点がまるでなかったため、子どもの祖父母たちが中心となって、「ヤマギシの子どもを救う会」を設立しました。
私はこの会を応援する立場から、山口氏に設立総会への参加を要請し、講演を依頼。山口氏は快諾し、実際、講演しました。
子どもを救う会の設立が反対運動の分裂をもたらしたというのなら、山口氏はその分裂に加担したということになります。
山口氏の意見書は滑稽きわまりないものです。
(3)山口氏に直接、問うてみたいものです。
なぜ、(2000年以前に)「自分と異なる意見を持つ人々を許容することが出来ず、激しい批判をあびせ、反対活動を結果として分裂させたり、疲弊させたり」していたという私と、2000年以後に何度も酒席を共にしていたのか。
なぜ、「ジャーナリストとしての私を高く評価する」と書いたのか、と。
4.「これまで彼が引き起こした問題は、現在彼が惹起している霊感商法や統一協会の被害対策活動に対する妨害活動のミニ版だったと考えられます」
これは巧みな言い回し、本質を隠蔽するレトリックです。
私は、「霊感商法や統一協会の被害対策活動に対する妨害活動」など一度足りとも行ったことはありません。
それどころか、私が証人としてふさわしくないという書面への反論を書いた、前回の陳述書の資料として添付した「火の粉のブログ」の記事を再読していただければわかる通り、私は激烈なる統一教会批判を繰り返し行っています。最新の記事を読んでいただければ、そのことは明らかであります。
(最新の記事は
「悪辣東電の上をいく素敵な人たち」
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-365.html#more
「腐臭の源は高額エンドレス献金&アベル・カイン」
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-366.html#more
「新しい腐臭は冷たい風に乗って韓半島から」
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-367.html#more
「ようこそ、オカルトの世界へ」
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-370.html#more
※URLを打ち込まないでも、グーグルで「火の粉を払え」で検索をかけてもらえば、すぐにヒットします)
私が惹起しているのは、反統一教会陣営が行っている拉致監禁の問題であって、被害対策活動ではありません。
5.総括
先に述べた事実経過が記憶から喪失されているのならともかく、山口氏の意見書は私への悪印象を裁判官に与えようとする以外のなにものでもありません。
このやり方は、裁判をゲームとして捉えている弁護士に典型的に見られる手法です。
真実を明らかにすることを旨とする「司法、裁判」を侮辱する「意見書」だと言っても、決して過言ではありません。
以上
以下、私の解説・感想:
伊藤弁護氏の陳述書にしても、米本和広氏の陳述書にしても、非常に読みやすい内容であると思う。短く、的確にまとめられている。米本氏は事実に基づき、それを述べて反論している。山口弁護士は、反論するには、その事実を否定するしかない。
以上、四つの文書を取り上げた。これは、2012年の後半に、後藤裁判で提出された文書である。2013年になると、後藤裁判での尋問が始まり、互いの弁護士が、自分側に対する尋問(主尋問)や、相手側に対する尋問(反対尋問)が行われ、2013年6月14日、冒頭で紹介したエイト君の、伊藤芳朗弁護氏についての記事が出るわけである。
この記事のタイトルは「カルト新聞は、今日も書きたい放題 (3)」であるが、カルト新聞もエイト君も出てくる場面はなかった。どうしても、伊藤芳朗弁護士に証言について、昨年のやりとりをまとめておく必要があったからだ。続きは、次回以降ということで・・・・久しぶりの記事ですが、クリックよろしくお願いします。
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関連資料URL:
★紀藤正樹弁護士の仮面を剥ぐ
http://humanrightslink.seesaa.net/article/276483965.html
★紀藤正樹弁護士の仮面を剥ぐ 2
http://humanrightslink.seesaa.net/article/284096513.html
★渡辺弁護士たちが青くなった甲18号証(上) - 「火の粉を払え」より
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-308.html
★統一教会文教祖の死去:全国霊感商法対策弁護士連絡会の「アピール」
http://humanrightslink.seesaa.net/article/298867943.html
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