2013年02月21日

「表現の自由」と「宗教の自由」の関連性

前回からの続きである。ローズ博士は、拉致監禁問題、宗教の自由についてのイベントで、「表現の自由」について長い時間を割いた。なぜ、「宗教の自由」イベントで、「表現の自由」について語ったのか? 「宗教の自由」と「表現の自由」の関連性とか、書いてみたいと思う。

ローズ博士は、次のように語っている。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/286224977.html
表現の自由は、いくつかの国で脅威にさらされています。あなたが、宗教の自由について語る時、表現の自由についても、語らなければなりません。

突き詰めた分析において、宗教の自由は、表現の自由と切り離して考えることはできません。

ローズ博士は、「表現の自由」と「宗教の自由」について、切り離して考えることの出来ないものだと言っているが、それに対して、説明は特にしていない。私が考えてきた事を書いてみたいと思う。

「表現の自由」と「宗教の自由」の類似点

表現の自由と言うのは、文字通り、自らの考えを、個人的に伝えたり、グループ内で発表したり、大勢に向かって演説したり、印刷物にして配ったり、今の時代なら、ブログで発表できる自由だろう。要するに、心の中にある考えを、外にむけて発表することのできる自由である。

宗教の自由には、ある宗教を信仰する(信じる)自由と、それらを実践する(礼拝に参加したり、教えを広める布教活動、信者の集会を持つなど)自由がある。実践できる自由がなければ、自由ではない。信仰に基づいた生き方を人に伝えたり、信仰に基づき体制批判をおこなうこともあるだろう。要するに、心の中になる考え(信仰や、信仰に基づいた思想)を、外に向けて発表したり、実践する自由である。

どちらも、心の中にあるものを、外に向けて出すことのできる自由といえるだろう。心の中にあるものが、自分の趣味のことかもしれないし、自分の好きなタイプの異性のことかもしれないし、腐敗した政治体制のことかもしれないし、神仏に関することかもしれないし、かつて所属した宗教団体への批判かもしれない。

「表現の自由」はないが、「宗教の自由」は保障されている国は、無いと思う。その逆、「表現の自由」はあるが、「宗教の自由」はないという国も、多分ないだろう。昔のソビエトや、その当時の東欧関係国、今の 中国、北朝鮮とかをみれば、一目瞭然だろう。

中国では、チベット仏教徒、法輪功の学習者などに対し、国家による抑圧を加えているし、メディアの検閲を常に行っている。自らの内面を変えない者たち、すなわち、「表現の自由」とか「宗教の自由」を追求する人々は、それが政治的信念であろうが、宗教的信念であろうが、国家により迫害を受けてしまう。歴史的にみれば、自由を求めたが故に、多くの人が犠牲になった。「表現の自由」も「宗教の自由」も、人が命をかけて求めるほど尊いものだ。

長くなってしまったが、「表現の自由」と「宗教の自由」には類似点が多く、様々な自由の中でも、関連性の高い自由ということになると思う。ローズ博士は、その事を、「突き詰めた分析において、宗教の自由は、表現の自由と切り離して考えることはできません。」と言ったのだと思う。

ローズ博士は、会見の冒頭で、こうも言っている。「ある人権が、他の人権より大切であると言う事は政治的には正しいことではありませんが、私は、個人的な意見として、宗教の自由の権利が、もっとも重要なものであると感じています。

ローズ氏の発言をまとめると、「人権の本質は自由であり、自由の中では宗教の自由がもっとも重要なものであり、表現の自由とも、密接に関係している。」と、いうことになるだろう。

次は、拉致監禁問題の本質へと話が進む予定である。

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posted by 管理人:Yoshi at 06:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 人権とか、自由とかについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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