そのサイド・イベントで、5名のパネリストが会見した。まず、前回の記事の通り、アーロン・ローズ博士が語り、二番目のパネリストとして発表したのが、後藤徹氏だ。後藤氏は、日本語で語っているのだが、同時通訳の音声がかぶっていて、日本語部分が聞きにくくなっているため、ここで紹介することにした。
出典元:http://vimeo.com/52998023
後藤さんを見ていつも感心することは、背筋を伸ばして、凛とした姿であることです。映像も確認しながら、後藤さんのスピーチに進んでいただければ幸いです。会見上でスクリーンに映し出された写真を見ることができます。映像の、10分38秒のあたりから始まります。
00:10:38
私の体験をお話しさせて頂く機会を与えられましたことを心より感謝いたします。
私は二度にわたって監禁されました。一回目のときには、私は偽装脱会をした後に、キリスト教会での「リハビリ」と呼ばれる期間中に脱出しました。二回目の時には、強制改宗屋はより厳しくなりました。その結果、私は12年5ヶ月間にわたって、外界から一切遮断された状態で、自らの意思に反して拘束されることになったのです。
00:11:18
私の結婚は破壊されました。私は自分の30代を、外に出て運動することもできない状態で、小さなマンションの一室で過ごしました。私の健康と経歴は大きく損なわれました。私と家族との関係は、回復不可能なまでに傷つけられました。何よりも、私の基本的人権は組織的に侵害されましたし、私が解放された後には、信教の自由を守り、刑法を犯した者たちを起訴する責任のある日本の当局から、いかなる助けをも得ることができませんでした。これが私が本日ここに来て、皆様の助けを求めている理由なのです。
詳しいことをお話させていただきます。
00:12:13
最初の監禁の後、私は数年間かけて、家族との関係を再び築き始めました。そして私は、相互の信頼に基づいて、再び良い関係が築けるのではないかという希望を持ち始めたのです。そこで私は、1995年9月11日、東京にある自宅に帰省したのですが、突然、大人数で取り囲まれたままムリやり、ワゴン車に押し込まれ、その後、監禁用に準備されたマンションに連行されました。その時、私は31歳でした。
私は自分の家族が二度もこのようなことをしたことに対して、強い憤りを覚えました。彼らはまたしても、私の信頼を完全に裏切ったのです。
00:13:10
これがそのマンションです。(写真@)丸がついてる8階に監禁されていました。
これが玄関の図です。(写真A)防犯のドアチェーンをかけて、それを南京錠で施錠します。そうすると玄関からは決して出ることはできなくなります。
窓の鍵も、特別な鍵付きクレセントで厳重に施錠されていました。(写真B)
さて、ここで特に知って頂きたいことは、拉致、監禁を実際に行ったのは、私の家族でありますが、この拉致監禁には別に首謀者がいるということです。それが脱会説得の専門家、あるいは強制改宗を行う、反対牧師と呼ばれる人たちです。私の場合は、この二人の人物でありました。(写真C)キリスト教牧師、松永堡智と、プロの脱会屋、宮村峻です。
彼らが私の両親を教育して、拉致監禁をさせたのです。
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二回目の監禁が3か月間続いたころ、私は、再び偽装脱会をしました。私は教会に脱会届を書くことまでしました。私はあらゆる方法で忠誠心を試されました。しかし二年経っても、私が本当に教会を離れたと彼らを納得させることはできませんでした。私は自分を偽り続けることに耐えらず、実は信仰を維持していることを告白しました。
これは、私を監禁していた者たちの決意を一層強化させる結果となりました。私に対する脱会説得はさらに激しくなりました。私は叩かれ、侮辱され、顔面に熱いお茶をかけられ、助けを求めて叫んだ時には布団を被せられ、窒息しそうになったこともありました。このすべての期間中、私は運動のためにマンションを出ることすら許されませんでした。一本の電話をすることさえ許されなかったのです。皆様、考えてみてください! 殺人犯でさえ、もっとましな扱いを受けるはずです。
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監禁部屋では、毎日毎日、耳をふさぎたくなるような教会や教祖の悪口を強制的に聞かされます。こちらが何か反論すると、「バカ、アホ、悪魔」という罵声が飛んできます。あまりの苦しさに、「いっそのこと死んでしまいたい」と思うほどでした。
私は監禁から実力で脱出をしようと何度も試みましたが、そのたびに暴力的に取り押さえられました。
この過酷な監禁が8年経ったとき、私の自由に対する望みは絶望的になり、私は抗議のハンガーストライキを決行しました。無期限断食を決意しましたが、断食30日目に身の危険を感じて、家族に断食を終了することを宣言しました。
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しかしハンスト終了後、彼らは私に対する不当な扱いを認めるどころか、極めて少ない食事しか出さないなどの過酷な食事制限による虐待が、約2年弱続いたのです。私は家族の目を盗んで残飯などを食べながら、何とか餓死を免れましたが、私の健康状態は極めて深刻でした。私はこの期間中一度も病院に行くことを許されませんでした。
そして突然、監禁から12年5カ月たったある日の夕刻、脱会させることを断念した家族は、真冬であるにもかかわらず、私を無一文で着の身着のままの状態で、無慈悲にもマンションから放り出しました。
00:17:48
私は助けを求めて、統一教会本部に向かって歩き始めました。しかし、12年ぶりに長距離を歩いたため足を痛め、歩けなくなりました。ときには足を引きずるようにゆっくり歩きました。夜が更けはじめ、気温はどんどん下がってきました。そこで私にとっては奇跡のようなことが起こりました。偶然にも統一教会員に出会い、教会本部に行くのを助けてもらったのです。そこから私はすぐに病院に搬送されました。
00:18:31
(写真5)これらの写真は、監禁解放から3日目に入院先の病院で撮影した写真です。
この時は極度の栄養失調だったのですが、これは私がハンストをした結果ではなく、断食後の2年弱にわたる食事制限のためであったのです。私は、また足の筋肉が著しく退化しており、その他にも複合的な症状があると診断されました。
こうして、私はようやく自由を取り戻すことができ、統一教会に戻りました。私は31歳の時に監禁されました。これが監禁される直前の写真です。しかし、この時には既に44歳になっていました。
私は、監禁に関与した者達を刑事告訴しました。
00:19:48
ところが、警察は誰一人として逮捕せず、証拠を得るために捜査令状を取ることさえしませんでした。そして、検察庁は「不起訴」という信じられない処分を下したのです。
その後、私は逆転起訴に望みをかけて、検察審査会に不服申し立てを行いました。しかしながら、私の訴えは拒絶されました
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実際、統一教会信者に対するこのような犯罪を行った犯人がこれまでに起訴されたケースは、多くの告訴が有力な証拠とともになされたにもかかわらず、一件もないのです。このような司法当局者の態度は、日本の司法制度のもとでは、統一教会の信者は公正な扱いを受けない、ということを示しています。
私は2011年1月31日に、家族と強制脱会の専門家たちを相手取って民事訴訟を起こしました。そして最近、重要な証拠が見つかり、法廷に提出いたしました。そのひとつが、被告の一人である松永堡智牧師が統一教会信者父兄を教育するためのビデオです。(写真6)これがそのビデオの一コマですが、この中で松永牧師は具体的な拉致監禁指導をしています。
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また、これは、松永牧師直筆の拉致監禁マニュアルの一部です(写真7)。この「子供の救出に関して」のページには、「家か親戚の家で論争し、ひと暴れさせる。そして、逃げられないという自覚をさせる。そのためには6人位の大人が必要である」などとあり拉致に際しての具体的方法が書いてあります。
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(写真8)この「両親に対して」のページには、「説得者の許可なく外出はしない」「このことは、絶対に本人に言わない」などとあり、脱会説得の専門家が拉致監禁のプロセスにおいて主導権を握っていることが明記されています。
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(写真9)この「説得中」のページには「外部との関係をシャットアウトする」「絶対に逃げられないのだという意識がない限り聞こうとしない」「それで4〜6人で取り囲む必要があるのです」などとあり、監禁に際しての具体的な心構えと方法が書いてあります。
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(写真10)最後の「判定基準」のページには「以上をクリアーして外出は許される」とあり、「自分が伝道した信者の救出に熱心になるか」「生活を共にしていた信者の救出を申し出るか」「キリストの名によって祈るか」等、自ら拉致監禁に荷担する意志を表明しない限り監禁から解放されないようになっています。
言うまでもないことでありますが、ここで言う「子供」は実際には未成年者ではありません。彼らは全員、法的には成人です。
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こうした証拠に加えて、私が実際に意思に反して拘束されていたことを証言する目撃者が最近現れました。美山きよみさんは当時、脱会説得をする側で協力していたのですが、その後、統一教会に帰ってきました。(写真11)
これらすべての証拠にもかかわらず、私は、日本の司法制度が私の権利と、その他の統一教会員の権利を守ってくれるなどとは、到底言うことはできません。私が民事裁判で勝訴することも、もちろん重要なことです。しかし、人を拉致して、信仰を棄てさせるために12年間にわたって監禁することは、刑事事件として扱われるべき問題ではないでしょうか?
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拉致監禁事件が今も継続しているということを、どうかご理解ください(写真12)この写真は、この2年間で拉致監禁された統一教会信者です。この人(S.K.)は、今も消息がつかめず監禁されていると思われる人です。
この中の一人、N. I.さんは今年の1月から4ヶ月間マンションの7階に監禁されましたが、施錠に使用されていたカギを自力で解錠し、そのカギを持って脱出しました。(写真13)これが、実際に監禁に使用されていたカギです。回しますので皆さんも手にとってご覧下さい。
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皆様、拉致監禁による強制改宗は一種の精神的なレイプであり、信教の自由という人権に対する、根本的な犯罪です。それは、監禁の長さや、苦痛の内容に関係なく、それが2日間であろうと、12年間であろうと、重罪として扱われなければなりません。
私はこの会議に参加した多くの方々が、日本における強制改宗に関心を持っていただきたいと思います。そして私は、日本政府が事態を改善し、人権を守るように、皆様が影響力を行使してくださることを、強く要請いたします。ありがとうございました。
今後、ますます国際的に
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なお、後藤氏に続いて、ミツコ・アントールさんのスピーチが代読され、そして、「国境なき人権」のフォートレ代表、フランスの人権弁護士デゥバル女史、へと進んでいく。
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<私の結婚は破壊されました。私は自分の30代を、外に出て運動することもできない状態で、小さなマンションの一室で過ごしました>
拉致監禁問題は、この後藤さんのスピーチがすべてを端的に語っている、と思いますね。
後藤さんは、事細かに話せばキリがないほど、腹立たしい屈辱的な体験をされたのに、怒りを押し殺して、限られた時間に訴えたい内容を凝縮して語っておられます。
このスピーチが世界中の心ある方々の目に触れ、“人権鎖国”状態にある日本を変えるムーブメントに発展することを祈ってやみません。