2012年06月30日

拉致監禁集団はカルト - 紀藤弁護士のカルト観によれば

やや日刊カルト新聞の自由報道協会での記者会見(2012年5月22日開催)について取り上げている。会見したのは、藤倉主筆、エイト氏、紀藤正樹弁護士だ。前回の記事では、記者会見の話題から少し離れて、紀藤正樹弁護士の“素顔”を見てきた。

今回は、再び、その記者会見に戻り、内海氏(精神薬の薬害を考える会)と、紀藤正樹弁護士のやりとりを中心にみていきたい。

このブログに初めてとか、久しぶりに来た来た方は、このカテゴリーの最初から読んで頂くと、理解しやすいかもしれない。

1 プロローグ - 「やや日刊カルト新聞」の自由報道協会での記者会見
2 心の腐った 「やや日刊カルト新聞」 主筆
3 「所詮、カルトはカルト」- やや日刊カルト新聞の危険な思想
4 紀藤正樹弁護士の仮面を剥ぐ



まずは、今日の記事で扱う会見内容を紹介したい。

http://www.ustream.tv/recorded/22769377

<藤倉氏の「所詮、カルトはカルト」発言に続いて; 

紀藤氏:
私も、ちょっと、意見がありまして、内海さんは、カルトの定義を理解されていません。

まさに、今、言われた通りなんですが、カルトの定義というのは、「事実は事実だから、その事実は正しいからカルトじゃない」という単純な論議じゃないです。

カルトというのは、全体として社会問題を発生しているのかどうか、というのが基本的な視点、それから、社会問題を越えて人権侵害まで至っているかどうかというのが次の視点なんですね。

サイエントロジーは、先ほどから言ったように、宗教欺瞞性があるんですよ。宗教か、宗教じゃないかはっきりしないところで、伝道をするんですね。実際、被害に遭ってる人もいるし、東京都の消費者センターでも問題になっているし、我々も被害救済をやっています。統一教会ほどではありませんけれど。ヨーロッパでは、有罪になっている事件が2件も出ている団体である。

それをご理解頂いた上で、事実が事実と言ったら、そういう言い方をされれば、こういう場での発言が正しいのかどうかわかりませんが、ある第三国があって、そこで発する事実が事実だから、それは事実として正しいけども、その強権的な国家は正しいのかといわれたたら、正しくないというのと同じ何じゃないかな。事実は正しいと思いますよ。事実は正しいと思うけど、でも、それが、どういうお金で集められて、どういう組織で集められているのかということを考えないと、その影響を受けてしまう、知らず知らずに影響を受けてしまうというところが問題だと言ってるんです。

藤倉氏:
わかりやすく言えば、自由報道協会のバックが実は暴力団だっというのを、「正しい事をやってるのだから良いじゃないか」となるかどうかということです。

紀藤氏:
まー、今の方がわかりやすい。

内海氏:
カルト論争は、どうかというか、私は専門じゃないとお話しましたけど、今、紀藤先生がおっしゃられたのは、社会的被害が大きいとか、社会的被害をもたらすことが、単純にいうとカルトの定義だというふうにおっしゃられたんですけど、僕は医者だから、そう思ってしまうのかもしれませんが、その今の定義だけでいえば、さっき紀藤先生もあるとおっしゃられた精神医療とか、精神医学というそのもの自体が最も大きな、その定義にのっとれば、カルトと言っても差し付けなくなちゃうんじゃないかという気がしますし、

紀藤氏:
それ、違います。それ、団体じゃいから。カルトというのは団体性を持つんですよ。

内海氏: 
精神医療というのは、精神医学会というきわめて大きな団体、精神病院協会とか、きわめて大きな団体が統轄しているもので、

紀藤氏:
あのー、すみません、こんな議論してもしょうがないから、本読んで下さい。私の本、読んで下さい。読んで頂ければわかりますよ。

内海氏:
読みましたけど、読みましたけど、同じですよ。

紀藤氏:
カルトという定義じゃないから。それは、思いこみですよ。

<ここで、司会者が入り、次の人の質問へと進む>



紀藤弁護士の二つの視点:

藤倉氏の「所詮、カルトはカルト」発言(前々回の記事で紹介)のあと、紀藤弁護士が、「私も、ちょっと、意見がありまして・・・」と、質問者の内海氏に対し、「内海さんは、カルトの定義を理解されていません。」と始め、カルトについて、二つの視点を示した。(この二つの視点は、本日の記事の記事で何度も出てくるので、よく覚えていて欲しい。)

1 <最初の視点> 全体として社会問題を発生しているのかどうか?

2 <次の視点> 社会問題を越えて人権侵害まで至っているかどうか?


非常に分りやすい二つの視点だと思う。この二つの視点を、紀藤弁護士が都合良く「悪」のレッテルを貼りたい新興宗教団体や、精神世界を重要視するグループだけに当てはめるのは、非常にもったいないことである。この二つの視点は、他の社会現象に当てはめることができれば、この二つの紀藤視点は、より普遍的な視点ということではないか?

この二つの視点にすっぽりと入ってしまう集団がある。

拉致監禁集団である。1回に付き400万円の報酬を受け取り、拉致監禁によって脱会した女性の元統一教会員4名を愛人にした宮村峻氏を筆頭に、キリスト教会の(保護説得とキリスト教牧師は言うが)拉致監禁牧師、拉致監禁の事実を知りながら「拉致監禁はなかった」と嘘をつく弁護士、拉致監禁を擁護するジャーナリスト、政治家等の形成する拉致監禁集団が、完全に二つの視点の中に入ってしまう。もちろん、紀藤正樹弁護士もこの中に、すっぽりとに入っている。

統一教会員に対する強制的脱会説得のための拉致監禁は、一般の人々が知っていようが、知っていまいが、これまで4000名以上が被害にあった問題であり、教会員の自由を完全に奪い、信教の自由を奪い、著しい人権侵害である。紀藤弁護士の二つの視点を使えば、拉致監禁集団は「カルト」ということになる。

紀藤氏はさらに、「サイエントロジーの宗教欺瞞性、東京消費者センターでの問題等」を持ち出している。
これに対しては、内海氏のブログ「東洋医の素人的処方箋」のブログ記事「やや日刊カルト新聞という最凶カルト」から引用させて頂く。

http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-131.html
(紀藤弁護士は)被害を出している団体だからカルトだと定義した。実際被害を出しているかどうかはサイエントロジーが処理すべき問題だし、そんなに問題視される被害だと主張するなら裁判に訴えればいい事である。それこそ自称人権派の紀藤弁護士が裁判援助してやればよろしかろう。



知らず知らずのうちに影響を受ける事は悪か?

さらに、紀藤氏は、次の通り述べている。
事実(精神医療の問題点)は正しいと思うけど、でも、それが、どういうお金で集められて、どういう組織で集められているのかということを考えないと、その影響を受けてしまう、知らず知らずに影響を受けてしまうというところが問題だと言ってるんです。


知らず知らずのうちに影響を受けてしまう」と紀藤氏は言っている。

人は、社会の中で生きていく以上、人の影響を受ける。家の中では親の影響を受け、学校に行けば、先生の影響を受け、友達の影響を受け、スポーツをすればあこがれの選手に影響を受け、就職すれば、会社やボスの影響を受ける。毎日のニュースに影響を受け、テレビドラマに影響を受け、小説を読んでは影響を受け、芸術作品や自然にも影響を受ける。生きている以上、他から影響を受けない日はない。

2012年4月10日の「精神医療問題」に関する記者会見で、「市民の人権擁護の会」の米田氏の会見を聞いて、影響を受けて、何が悪いのだろうか? だいたい、記者会見を開くのは、その問題をより多くの人に知ってもらうため(影響を与えるため)に開くものである。

影響を受けて、さらに、深く興味を持ったり、研究したりするためには、より自発的な個人の意志がなければならない。それは、各個人のするべきことで、人がとやかくいうものではない。知らず知らずのうちに影響を受けようが、知りながら影響を受けようが、次の行動を起こすことは、個人の意志とか判断によるものである。

それとも、紀藤氏は、「市民の人権擁護の会」の影響を受けてしまう事が悪くて、たとえば、ご自身の最近の著作「マインド・コントール(2時間でいまがわかる)」を読んで、影響を受ける事は悪くない事と、お思いなのだろうか? 

紀藤氏の理論を借りるならば、こう問うこともできる。

真実を隠して(嘘をついて)裁判に勝ち、拉致監禁を行った首謀者の紹介で、拉致監禁被害者の意志に反して婚姻無効裁判を起こし、都合の悪い国際人権団体の取材を無視したような人物の書いた著作物に、(そのような著者の経歴は知らされずに)知らず知らずのうちに(もし、そういう事が可能であるならば)、影響を受けてしまう可能性については、どうお思いなのだろうか?

私の考えとしては、「それは、本を読んだ本人が決めることである」ということである。しかし、紀藤氏が、他の人々、団体に「ある尺度」を使い判断するのであれば、同じ尺度で自身の行動も測(はか)られるべきである。


二人のカルト論争 - 逃げる紀藤弁護士

記者会見の質疑応答で、内海氏と紀藤氏の間で、論争が続く。(上記のテキストの繰り返しになるが、もう一度。)
内海氏:
今の定義だけで言えば、精神医療とか、精神医学というそのもの自体が最も大きな、カルトと言っても差し付かえなくなるのではないか?

紀藤氏:
それ、違います。カルトというのは団体性を持つんですよ。

内海氏:
精神医療というのは、精神医学会というきわめて大きな団体、精神病院協会とか、きわめて大きな団体が統轄している・・・

紀藤氏:
あのー、すみません、こんな議論してもしょうがないから、本読んで下さい。私の本、読んで下さい。読んで頂ければわかりますよ。

内海氏:
読みましたけど、同じですよ。

紀藤氏:
カルトという定義じゃないから。それは、思いこみですよ。

<ここで、司会者が割って入り、次の人の質問へ移る>


内海氏の立場(精神医療は問題ありという立場)から見ると、紀藤氏の二つの視点によると、これまた、すっぽりとカルトに入ってしまう集団があるようである。

内海氏は、紀藤氏の示した二つの視点をもとに、「精神医療・精神医学(を統括している団体)は、カルトと言ってもいいのではないか?」と問題を提起した。紀藤弁護士は「私の本を読んでください。読んでいただければわかりますよ。それは、思い込みですよ。」と、逃げてしまった。

それは内海氏の「思いこみ」ではなく、紀藤氏の示した二つの視点から導き出される結論である。


宗教学者の視点

宗教学者は “カルト” を、どう見るのだろうか?

イギリスの著名宗教学者アイリーン・バーカー博士は、宗教ジャーナリスト室生忠氏のインタビューで次のように語っている。(室生忠編著 大学の宗教迫害 日新報道 P.190 ならびに、室生忠氏のウェブサイトより要約して該当箇所を引用)

http://www7.ocn.ne.jp/~murou/scope/scope1/interview.html
<「カルト」の定義について>

バーカー博士: 
カルトには様々な定義がありますが、いずれにせよ、 学術的にはあくまで価値中立的な用語です。

しかし、世間一般においては「私の嫌いな宗教」という意味で使われる、偏見を作りだすための否定的なレッテルに すぎません。これは問題です。単に「悪い」というイメージを表すだけで、何ら正確な情報をもたらさないため、混乱を深めさせるだけだからです。

<欧米のメディアでのカルトの属性>

バーカー博士: 
「カルト」と「セクト」という二つの言葉が使われて いますが、具体的な内容が特定されることは稀ですね。洗脳している、金を集めている、質問を受けつけない、などの属性が挙げられることはありますが、その 多くはカトリック教会や他の宗教・思想団体にも当てはまることで、特定の団体の特徴を表すのに適切なものではありません。ある団体を糾弾するのに役立つだけの言葉です。
 
<日本では、犯罪を犯す団体、反社会的な集団、あるいは人格を破壊する団体というような意味で使われるが、欧州においても同じか>
 
バーカー博士: 
確かにそうした意味も含まれますが、要するに自分の嫌いなグループに対してはカルト≠ニいうレッテルを貼るのです。それは否認のレッテルに過ぎず、何を認めないのかという意味内容は特定されていない。ただ単に「悪い」ということを意味しているに過ぎません。
 
<宗教学の専門用語として、「カルト」と「宗教」を明確に分けることは可能か>
 
バーカー博士: 
それはできません。すべての概念は人間が作ったもの で、神が与えたものではありませんよ。われわれがどこかで線引きをするのは、そうすることが便利だからで、たとえば、宗教を「神に対する信仰」と定義する と、仏教が除外されてしまう。一方では「究極的関心」と定義する人もいますが、それではマルクス主義も入ってしまう。

われわれはそうした中から、便利な概 念を選んでいるに過ざないのです。概念は必要なものですが、同時に恣意的なものだということを知らなければならない。


バーカー博士は、「”カルト”という言葉は、偏見を作り出し、否定的なレッテルを貼るにすぎないものである。カルトの属性は、他の宗教や思想団体にも当てはまることで、特定の団体の特徴を表わすのに適正ではない。」と言っている。要するに、学問の世界では、カルトは定義できないのである。
参考資料:カルトって何ですか ? (米本和広氏の火の粉を払え)

定義できないところに「あなたは、カルトの定義を理解していません」と、紀藤弁護士は、まるでカルトの専門家のように、まるで "カルト" を管理する責任者かのように、知ったかぶって発言したにも関わらず、最後は「それは、カルトの定義じゃないから。思い込みですよ」と言ってしまう所は、笑えてしまう。


拉致監禁集団は "カルト"

紀藤氏にとっては、自分の示した二つの視点(その属性からカルトを見抜く視点)が、自らがラベルを貼った “カルト” ではなく、他のグループに適用される事は予期しなかったようだ。

紀藤氏の視点を使えば、”カルト” と呼ばれる団体は、いくらでも出て来る。内海氏の指摘した「精神医療を統括している団体」もそうだし、紀藤正樹弁護士自らが、行動を共にしている「拉致監禁集団」も “カルト” である。これは、思い込みではない。紀藤弁護士の示した視点に、ずっぽり 100% 当てはまっている。


これで、藤倉主筆について2回、紀藤弁護士について2回、その記者会見で、あと残っているのは、エイト君だ。

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この記事へのコメント
被差別階級を生み出す行為

<バーカー博士:要するに自分の嫌いなグループに対してはカルト≠ニいうレッテルを貼るのです>

なるほど、紀藤は統一教会、サイエントロジーが嫌いで、悪のレッテルを貼って社会から排除したいだけなんですね。
「反社会的団体」でも「カルト」でも、何でもいい。とにかく、一般社会が統一教会やサイエントロジーを毛嫌いするように、うまくレッテル貼りできれば、それでいい。

これって、江戸時代に「エタ」「ヒニン」とレッテル貼りして行った「部落」差別と一緒ですね。
「あいつはエタだ、相手にしちゃあなんねえぞ」「あいつは部落の人だから、付き合うなよ」と家族や近所でささやくように仕向ける。
卑怯きわまりない、えげつない行為です。

紀藤は被差別階級が生まれるようなことをやっているわけです。
こんな人間が弁護士をやっているんだから、あべこべもいいとこだ。
こんなヤツに弁護士をやらせちゃダメです。早く辞めさせましょう。
Posted by みんな at 2012年07月02日 09:08
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