2011年04月06日

悪の選択理論 – 犯罪者が自らを守ろうとする防衛理論

昨年の末から、今年の初めにかけて、当ブログにて、「アメリカのディプログラミングの盛衰」というレポートを紹介した。その中で、始めて聞く言葉がいくつもあったが、Choice of Evils 「悪の選択(防衛理論)」 もその一つだった。アメリカの拉致監禁裁判で、ディプログラマー側がよく使った防衛理論である。

悪の選択防衛理論は、その(犯罪)行為は、より大きな犯罪行為を防ぐためのものであり、やむを得ない手段であり、必要に迫られた手段 ( necessity )であったと主張し、犯罪者を有罪判決から守ろうとする防衛理論である。

アメリカで放映されたテレビ番組で Choice of Evils というのがある。たとえば、こんなあらすじである。

「倉庫でティーンネージャーの男の子が死体で発見された。彼の母親アリソンが疑われた。アリソンの元夫(少年の実の父親)は、刑務所暮らしをしている。アリソンの現在の夫が逮捕されたのをきっかけに、彼女は息子を殺害したことを認めたが、彼の実の父親が凶悪人物であり、そのようになる可能性のある息子の犯罪行為から人々を救うためだったと主張した。刑事は、田舎に住むパーフェクトな母親を、有罪判決にもっていくのに苦労する。」

ここで、母親が使った理論が、悪の選択防衛理論である。上記の赤字部分である。アメリカの刑事事件ではよく使われる手法である。上のテレビ番組の場合だと、その母親が、いつもはパーフェクトな母親であり、そして、元夫(少年の父親)が、極悪非道な犯罪人であり、そして、少年の行動に異常だったり、過激な点があれば、説得力はより強くなる。

では、悪の選択理論は、アメリカのディプログラミング裁判ではどのくらい効果があったのだろうか?

ディプログラマーが刑事事件、あるいは民事裁判で訴えられたとする。まず、公判では、その教団の不正・搾取・反社会的行動を効果的に述べ、そして、彼ら(ディプログラマー)は、そういう悪の集団から信者の救出のため、彼らにより悪の行為をさせないために、彼らの将来のためを思い、行動を起こしたのだと主張する。(もちろん、洗脳理論やマインドコントール理論も同時に用いる。)

この論理に多くの陪審員も裁判官も納得し、ディプログラマーに有利な判決が下りた。中でも代表的なのが、1978年ピーターソン裁判(ミネソタ最高裁)である。「子供をカルトから救出する時は、子供の行動の制限は監禁にはならない。」と判決を下した。ディプログラマーがお墨付きをもらった裁判だった。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/177968999.html


1989年のアドルフソン裁判第一審では、悪の選択理論の巧妙さに陪審員は、ディプログラマーに無罪判決を下した。
http://books.google.com.au/books?id=9SOuChpzhQcC&pg=PA193&lpg=PA193&dq=Britta+Adolfsson+Case&source=bl&ots=C6b4UNc3Q7&sig=Zh1dpxurhtnPRV_muLdDqei0UZs&hl=en&ei=mFmcTdjOH4KecLb64ewF&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=4&sqi=2&ved=0CCkQ6AEwAw#v=onepage&q=Britta%20Adolfsson%20Case&f=false

しかし、永久には「悪の選択理論」は通用しなかった。アドルフソンの上告裁判では、「将来の訴訟においては、悪の選択防衛理論は除外するすること」を決定し、「ここで、私たちは、その教会に在籍することが彼女への重大な損害・被害のおそれがあったと被告が関知したとしよう。被告が追求した救済方法は(刑事法違反 であることを知りつつ)、危険の迫っている損害・被害を避けるため、最も害の少ない方法だったということを、被告は示すことができなかった。」と述べた。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/182304325.html

1990年には、アメリカでは、「悪の選択理論」では、ディプログラマーを防衛できなくなってしまった。それから、数年の内に、ディプログラミングに壊滅的打撃を与えるジェイソン・スコットの裁判が始めることになる。

「悪の選択」理論は、犯罪行為を犯した人が、その行為の正当性を主張するものである。と、いうことは、その行為自体(誘拐、監禁等)は認めていることである。

「悪の選択理論」を学んで、どうしても、浮かんでくるのが、日本の「緊急避難」論である。米本和広氏の「我らの不快な隣人」P171〜172で、1987年の事であるが、「緊急避難」という言葉を使った弁護士の話が出ている。今、進行している後藤裁判で、宮村氏やその弁護士は、決して使うことのできない理論である。拉致監禁したことを認めてしまうことになってしまう。

「悪の選択」「緊急避難」にしても、過去の防衛理論だということだ。もし、今どき、「拉致監禁も緊急避難の場合は、やむ得ないと思う。」とか発言する人間がいたとしたら、その時点で、個人の自由・人権を蹂躙していることを認めたことになり、どういう場合が緊急避難なのか、きっちり説明しないといけないし、賢い人なら、決して使わない言葉である。

xxx
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