アメリカではなぜ、ディプログラミングが終わったか? 一言で言えば、裁判所が、ディプログラミングは違法であると判決を下し、刑事裁判では、犯罪者には禁固刑、罰金、そして、民事裁判では多額の損害賠償金を科したからである。
節目の重要な裁判の判決(アメリカ)を二つ紹介したい。(これまで、記事を読んでおられる方には復習になるし、このページを始めて読んでも、OKのはずだ。)
1984年 エイラーズ裁判
エイラーズの拉致監禁事件は1982年。刑事裁判は不起訴、その後の、民事裁判で、「監禁されていたのは疑いのない事実」とし、1980年ピーターソン判決(ミネソタ最高裁)を無意味なものにした。ピーターソン判決とは、「カルトから救出のためのディプログラミングは許される」という判決であり、ディプログラマーはこの判決に、お墨付きをもらっていた。その判決をひっくり返したのが、このエイラーズ裁判だった。
http://mn.findacase.com/research/wfrmDocViewer.aspx/xq/fac.%5CFDCT%5CDMN%5C1984%5C19840306_0000010.DMN.htm/qx
1995年 スコット裁判
1991年、その後の決定的裁判となるジェイソン・スコットの監禁事件が起きる。1993年、刑事裁判では、首謀ディプログラマーのリック・ロスと、ロスの二人のアシスタントが訴えられた。刑事裁判では、首謀者のリック・ロスは無罪放免、二人のアシスタントに対しては、執行猶予30日懲役1年という軽いものだった。
ジェイソン・スコットは民事訴訟を起こし、その判決が、1995年に言い渡された。詳細は前回の記事を参考にして欲しいが、懲罰的損害賠償金(合計400万ドル = 4億円)の内訳は、CANに対し100万ドル(約1億円)、首謀ディプログラマー リック・ロスに対し250万ドル(約2億5000万円)、ロスの二人のアシスタントに対しそれぞれ25万ドル(約2500万円)だった。CAN(Cult Awareness Network = 反カルト団体)は破産し、ディプログラミングの息の根は止まる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jason_Scott_case
参考文献:我らの不快な隣人 P163-165 米本和広氏
私は、日本の裁判については、まだまだ勉強することが多いのだが、今の段階での私の知識・情報に基づいて、アメリカの裁判と、日本の裁判を関連づけてみたいと思う。
アメリカ1984年のエイラーズ裁判に相当するのが、日本では2006年3月の今利裁判の最高裁での和解であると思っている。
エイラーズ裁判では、それ以前の、「カルトから救出のためのディプログラミングは許される」という判例を覆した画期的な裁判だった。この裁判の判決時の1984年には、ディプログラミング件数は減少傾向にあったが、この裁判を契機に1980年代後半に向けて、さらに減少していくことになる。
今利裁判では、1審、2審では原告(今利側)の負けで、最高裁で異例ともいえる和解が成立した。最高裁判事は今利さんの両親に 「二度と同じ事をしないように」と、説示した。(← http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/110205.html ) 今利裁判の最高裁での和解が成立したのは2006年だが、今利理恵さんが1999年に起こした裁判により事情は急変する。
ルポライター米本氏は、「宮村峻研究 by Mr. Harada」のある記事へのコメントで次のように語っている。「80年代の後半から、もっと絞って言えば90年代以降から、拉致監禁が毎日のように発生し、(略) ただ、99年に今利理絵さんが裁判を起こされたのをきっかけに、拉致監禁は激減しました。」(← http://miyamurakenkyu.seesaa.net/article/182025236.html#more 2011-01-26 18:56 のコメントより引用 )
エイラーズ裁判も、今利裁判も、拉致監禁、ディプログラミングを減少へと追いやっていったが、決定打には、次の裁判まで待たなければならない。
エイラーズ裁判の判決から5年後の1991年には、ジェイソン・スコットの拉致監禁が起きる。しかし、スコット氏の1993年の刑事裁判では、アシスタントに執行猶予付き判決のみで、首謀者は無罪放免だった。首謀者のリック・ロスは大喜びだったろうが、まさか、その後の展開は、予想もしなかっただろう。
今利裁判の最高裁の和解から、2年後の2008年、後藤徹氏が、12年5ヶ月の監禁から捨てられるように、解放された。検察は不起訴、そして、検察審議会も不起訴相当との判断を下し、刑事裁判の道はなくなった。宮村氏は、今後の展開が予測できるだろうか?
スコットの監禁から4年後の、1995年、民事裁判での判決が下りた。上記の通り、多額の損害賠償金が被告に課せられ、ディプログラミングを終焉させる裁判となった。
後藤徹氏は、つい先日の事だが、解放から3年後の2011年2月に民事訴訟を起こした。被告はディプログラマー宮村峻氏、松永堡智(やすとも)牧師、そして親族等であり、損害賠償2億円を求めている。
http://kidnapping.jp/news/20110203.html
私の中では、後藤徹氏のこの民事裁判は、アメリカでのディプログラミングに対し決定的な打撃を与えたジェイソン・スコット裁判と同じ位置にある。
スコット刑事裁判で首謀者が無罪放免になり、後藤刑事裁判は門前払いだった。しかし、アメリカの例を見ると、刑事裁判の結果よりも、民事裁判の方がより大きな影響を与えてきた。節目の判決は民事裁判で、刑事裁判の判決や不起訴を覆してきたのである。1984年のエイラーズ裁判もそうだし、1995年のスコット裁判もそうだ。
これから、何年かかるかわからないが、後藤氏には、健康でいて、これからの民事裁判で、真実を証して頂きたいと思う。今利裁判では、1審、2審敗訴だった。裁判に勝つとか、負けるとか、気にする事もないのかもしれない。堂々と、訴えて欲しい。
長く続いた、この連載の最後に、(別に狙った訳ではないが・・)後藤徹氏の民事提訴のニュースが入ってきた。フェファーマン氏のレポートを訳しながら、アメリカの事情を学びながら、今の私の持っている知識・情報で日本の裁判と比較してみた。私の知識が深まれば、見方も変わってくるかもしれないが、今の時点での、私の考えを書いた。
後藤氏の裁判が、日本の宗教的拉致監禁の終焉に向けて、大きな役割を果たしていくものと確信している。もし、他にも、起こせる裁判があるのなら、それに超したことはないが・・・
しかし、裁判が終わり、将来、拉致監禁がなくなっても、拉致監禁の残した多くの問題の解決のため、やるべきことがたくさん残っている。
更新状況:
2011-02-07 夜:記事アップ
2011-02-08 夕方:今利裁判部分に、米本氏のコメントを引用として追加
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http://humanrightslink.blogspot.com/2011/02/goto-takes-deprogrammers-to-court.html
<スコット刑事裁判で首謀者が無罪放免になり、後藤刑事裁判は門前払いだった。しかし、アメリカの例を見ると、刑事裁判の結果よりも、民事裁判の方がより大きな影響を与えてきた。節目の判決は民事裁判で、刑事裁判の判決や不起訴を覆してきたのである>
この話は、とても勇気を与えてくれますね。アメリカの前例にならい、日本でも大逆転となることを期待したいところです。
ただ、私見ですが、日本の場合、霊感商法問題など、統一教会に対する世論の風当たりは強く、アメリカのように、純粋な人権侵害問題というふうには行かないと思います。
実際、マスコミは、拉致監禁された婚約者を捜していた男性信者がストーカーとして逮捕された事件は報じても、後藤さんの民事訴訟については報道しておりませんから(統一教会側の落ち度かもしれませんが)。
宮村らの拉致監禁グループは「相談されたからアドバイスしただけ。実行したのはあくまでも親族」というふうにシラを切り通し、逃げおおすだろうと思います。
だから、彼らに裁きが下ることについては多くは期待できないと思います。
ですから、彼らの悪事が世に暴露され、善良ヅラしている弁護士や牧師や議員(コメンテイター)らのバケの皮がはがされ、拉致監禁の被害に遇われた方々の名誉や屈辱が晴らされることを望みたいと思います。
いつもコメントありがとうございます。拉致監禁をしている人々は、とにかくこの問題が公になることをいやがります。裁判は通常、その判決で影響を与えるものですが、拉致監禁者は、訴えられただけで、かなり動揺するようです。後藤民事訴訟は、
1. 訴えただけで価値があり
2. 公判で脱会説得者を引きずり出してくる事に価値があり
3. 判決が出ることに価値がある
と、思っています。もちろん、3番目の判決は、被害者の思い通りにいかないということもあると思います。アメリカの例をとると、時には後退、時には前進でした。劇的な最後になるよう、いろんな情報を提供して、サポートしていきたいと思っています。
いつも客観的な記事と難しい英訳を載せてくださるこのブログは、火の粉を払えと同じくらい後藤さんの裁判の大きな支えになったことと思います。
教会の方が、yoshiさんを紹介されず残念でした。教会内における差別がなくなるよう願ってやみません。
これからも、長く続く裁判になることと思いますが最初の一歩が重要なことは宇佐美さんの時に実感したので、後藤さんが一審で勝利されたのは何よりだと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
コメントありがとうございます。スパム対策で、古い記事の一部、コメント承認制にしていたところがあって、ホーリーナッツさんのコメントの掲載が遅れてしまいました。
今朝、宿谷麻子さんのお墓参りをして、今、実家の岡山です。3日ほど、ゆっくりして、オーストラリアに帰ります。
朝日の記事の事実の後に書いてある下の内容を見て『なんだこりゃ』と思いました。
『判決は「拉致された事実はない」としつつも、男性は一人での外出や外部との連絡を親族らから禁止されていたと指摘。「説得の方法として限度を逸脱した」と判断し、親族とカウンセラーの賠償責任を認めた。
判決後の会見で親族の一人は「問題のある信仰を見直して欲しいと、本人に付き添って説得していた。判決は実態を正しく認識しておらず残念だ」と話した。』
最初の内容より後の方が印象に残るように意図的に書かれていると思いました。
これをみて、これからがほんとの闘いなのだなと思うことでした。正に『勝って兜の緒を締めよ』ですね。
日本を楽しまれてオーストラリアに帰られてからの記事を楽しみにしています。
日本語の最後に英語記事のリンクがつけてあると、英語圏の人に送れるのでとても
助かります。ほんとうに、ありがとうございます。