2014年12月27日

(最終回) 後藤控訴審判決の歴史的意義: 闘わなければ 拉致監禁は終わらない!

アメリカのディプログラミングが消滅していく課程において、民事裁判が果たした役割において、以下のとおり、3つのステップがあった。

http://humanrightslink.seesaa.net/article/410305551.html
1980年:ピーターソン判決:拉致監禁グループにお墨付きを与える
「カルトから救出のための自由の拘束は、ある条件下で許容される」
 ↓
1984年:エイラーズ裁判で、ピーターソン判決が覆される。
「被告が実際のところ、監禁されていたというのは、疑いの余地はない。
原告の見かけの同意は、不法監禁に対する防衛にはならない。」
 ↓
1995年:スコット裁判での、決定的判決
アメリカの拉致監禁は終わる。

この連載記事で、後藤裁判控訴審は、アメリカでの、1984年のエイラーズ判決と同じレベルに至ったことを書いてきた。アメリカでは、エイラーズ判決後、拉致監禁を決定的に消滅させたジェイソン・スコット裁判が起きることになる。(実際には、ジェイソン・スコット裁判までに至る裁判で、重要なものは他にもあるが、大きな流れを示すため、3段階とした。詳しくは、このブログのカテゴリー 「 (米)ディプログラミングの盛衰」 を参考にして頂きたい。)

日本で、アメリカと同じ経過をたどって、拉致監禁が消滅していく必要もないが、裁判闘争が、拉致監禁事件に与えてきた影響など、日本もアメリカも同じである。この記事では、日本の拉致監禁を消滅させてゆく可能性のある決定的裁判について書いてみたいと思う。

20140129 Mt Fuji.jpg
Mt. Fuji from Shinkansen Window - Jan 2014

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2014年12月25日

(その五) 後藤控訴審判決の歴史的意義: "悪の統一教会" → "拉致監禁容認" は成立せず

後藤控訴審判決が、その第一審も含めての、過去の誤った判断を覆した歴史的な判決であったことは、前回の記事で書いたとおりである。きょうは、あと一つ、控訴審判決の中で、一般には気づかれないかもしれない特徴のある箇所を紹介したい。

このブログで何回か、「悪の選択論 Choice of Evils」 なるものを紹介した。詳しくは、以下のブログを読んで頂きたいが、一言で言えば、「(私の行った行為は) 大きな悪を防いだり、避けたりするための、小さな悪の選択なので、違法行為から、完全に、あるいは限りなく免責される」 という考えである。

★日本版 「悪の選択」 論 - 拉致監禁正当化理論
http://humanrightslink.seesaa.net/article/390177347.html#more

アメリカの拉致監禁裁判では、被告側(実行犯側)に好んで使われ、ある時期までは、実際に効果のあった実行犯のための防衛理論である。「悪の選択論」は、2段階で話を進めていく。
(1) その対象となる教団の反社会性、犯罪性を効果的に訴える (大きな悪の存在)
(2) 暴力的手法の使用は認め、他に方法はなかったと主張 (小さな悪の選択)
結果として、"より大きな悪" からみて、"より小さい悪の選択" を根拠に、免責を求める

上記、(1) と (2) は、アメリカでは、セットで使用されたが、日本では、(2) の部分(拉致監禁の暴力的手法)に関して、実行犯は暴力的行為を表ざたには出来ないので、(1) の箇所 (対象教団の反社会的行動の実態) が、ことさら強調されることになる。

東京高等裁判所は、後藤裁判控訴審において、非常に興味深い判断を示した。

blue sky in melbourne 2014 Nov.jpg
Blue Sky in Melbourne - Nov. 2014

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2014年12月22日

(その四) 後藤控訴審判決の歴史的意義:過去の誤った判断を覆した控訴審判決

アメリカのディプログラミングが消滅していく課程において、民事裁判が果たした役割において、以下のとおり、3つのステップがあった。

http://humanrightslink.seesaa.net/article/410305551.html
1980年:ピーターソン判決:拉致監禁グループにお墨付きを与える
「カルトから救出のための自由の拘束は、ある条件下で許容される」
 ↓
1984年:エイラーズ裁判で、ピーターソン判決が覆される。
「被告が実際のところ、監禁されていたというのは、疑いの余地はない。
原告の見かけの同意は、不法監禁に対する防衛にはならない。」
 ↓
1995年:スコット裁判での、決定的判決
アメリカの拉致監禁は終わる。

後藤一審判決(2014年1月)は、宮村峻の違法行為を認めた点において、画期的な面も確かにあったが、松永牧師の違法行為を認定していない点において、言葉を変えて言えば、最初の2年数ヶ月の期間の違法性を認めていない点において、拉致監禁民事訴訟の過去の誤った判決を踏襲 (とうしゅう) したものだった。アメリカの例をとれば、後藤第一審判決は、エイラーズ判決の足元にも及んでいない。

では、後藤控訴審判決は、どうだったのか?
press conference 20141113.jpg
Press Conference 2014-11-13

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2014年12月13日

(その三) 後藤控訴審判決の歴史的意義:後藤第一審判決の深刻な問題点

前回の記事 で、2000年前後の、富澤裕子、美津子アントール、寺田こずえ、今利理絵 の4件の民事訴訟についてみてきた。

原告の勝訴、敗訴に関わらず、裁判所は、改宗目的の拉致監禁実行犯に相当な理解を示し、自由を拘束しての棄教目的の脱会説得に対し、明確な判断を示して来なかった。そして、拉致監禁件数は一時期に比べれば激減したものの、拉致監禁事件は起き続ける。

富澤裕子、美津子アントール、寺田こずえ、今利理絵 の4件に続く民事裁判といえば、後藤裁判となる。後藤裁判の 2014年1月28日の第一審判決は、それら4件の判決の間違った判断を覆すことができたのか?

Morning Glory 201411xx.jpg
Photo: Morning Glory November 2014

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2014年12月10日

(その二) 後藤控訴審判決の歴史的意義:後藤裁判に至るまでの裁判例

後藤裁判で、被告側が最高裁に上訴したしました。詳しくは、裁判ブログをご参考に!
★後藤裁判−宮村、松永、兄らが最高裁に上告!! 1%以下の可能性にかける。
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-298.html


では、簡単に、前回の復習から。

アメリカのディプログラミングが消滅していく課程において、以下のとおり、3つのステップがあった。
1980年:ピーターソン判決:拉致監禁グループにお墨付きを与える
「カルトから救出のための自由の拘束は、ある条件下で許容される」
 ↓
1984年:エイラーズ裁判で、ピーターソン判決が覆される。
「被告が実際のところ、監禁されていたというのは、疑いの余地はない。
原告の見かけの同意は、不法監禁に対する防衛にはならない。」
 ↓
1995年:スコット裁判での、決定的判決


では、日本ではどのような経過をたどってきたのか?

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2014年12月04日

(その一) 後藤控訴審判決の歴史的意義:アメリカの例

日本から帰ってきて、いろいろと忙しくしているうち、あっという間に時間が経ってしまい、このブログの更新が2週間ほどあいてしました。「拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会」 のブログで、後藤裁判控訴審の判決文の「当裁判所の判断」 の掲載が始まったので、それに合わせて、私が感じていることとかを、書いていきたいと思います。
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アメリカで、拉致監禁(ディプログラミング)の終焉を決定的にしたのは、ジェイソン・スコット裁判だった。私は、これまで、日本の後藤裁判は、アメリカのジェイソン・スコット裁判に相当する裁判だと、このブログで書いてきたし、人に会えば、そのように発言してきた。

しかし、後藤裁判第一審判決 (2014年1月)後、私の理解がより深まるにつれ、これまでの考えを変えざるを得なくなってきた。それは、一審判決後にも、拉致監禁事件が起き、また、一人の男性(石橋正人君)の監禁が継続されている現実があるからだ。

この連載では、日本の拉致監禁事件が無くなっていく過程において、後藤裁判、特に控訴審判決の果たしている役割とか、今後、どのような過程を通じて、拉致監禁事件が消滅していくかについて、今、私が考えていることをまとめておきたいと思う。

Sunflower in Pot 20141204.jpg
(Photo: 2014-12-04 Growing Sunflower)

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posted by 管理人:Yoshi at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 後藤裁判控訴審 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする