wikipediaによれば、リチャードソン教授は、マーガレット・シンガーの提唱したマインド・コントール理論に対する科学的批判者である。
http://en.wikipedia.org/wiki/James_T._Richardson
今回のリチャードソン教授の寄稿論文の全文はインターネットでは公開されていないので、2000円程度だが、その論文を購入した。ワードにして17ページくらいの論文で、本日のブログ記事はその論文の要約であり、今回はその前半。
このブログ記事のタイトル、「日本のディプログラミング:国家(政府)による社会統制」は、その論文の内容をもとに、私が付けたものだ。その論文発表後(2010年4月発表)の動きを見ると、一般大衆が気づかないように、すでに国家の干渉の度合いが大きくなって来ていることがわかる。
その記事に入る前に、リチャードソン教授のディプログラミングに対するとらえ方の説明をしたい。リチャードソン教授は、ディプログラミングを単に、拉致・監禁による強制脱会説得工作のみだけでなく、もっと広い意味で、人の思想・信教を強制力をもって変えさせ、その組織・団体から脱会させる方法を、ディプログラミングとしている。たとえば、中国政府によるFalun Gong(法輪功)への抑圧は、政府によるディプログラミングとしており、彼の論文では、かなりのページ(日本に関する部分の2倍)を使い説明している。
記事タイトル:Deprogramming: from private self-help to governmental organized repression
タイトル日本語:ディプログラミング:民間の自助救済から、政府の組織的抑圧まで、政府の関与の度合いに応じて4つのタイプ
出典URL:http://www.springerlink.com/content/1x542703g1603643/ (ウェブ上では記事の紹介のみ)
記事の日付:2010年4月8日発表、2011年2月12日オンライン掲載
日本語訳&要約: by Yoshi
はじめに:ディプログラミング - 政府の関与4つのタイプ
人々はどのように人気のない新宗教団体から離脱していくのだろうか?離脱には、3つの方法がある。
1. 自主脱会
2. 組織による除名・除籍
3. 外部組織による抽出(引き抜き)= ディプログラミング
ディプログラミングは、政府の関与の度合いに応じて、連続性をもった4つのタイプに分けられる。
ディプログラミングにおける政府の関与:4つの理念型(りねんけい:注1)
1. 個人・民間による自助救済(政府の関与無し)
2. 権力(政府)からの非公式な協力を受ける自助救済
3. 権力(政府)からの極秘だが、直接的な働きかけ
4. 権力(政府)による公然で、合法的抑圧
1→2、2→3、3→4へと向かうほど、ディプログラミングにおける政府の関与が大きくなる。
4つの理念型の両極端である1番と4番について説明し、その後、中間に位置する2番と3番を説明する。
1. 個人・民間による自助救済について
まず、最初の自助救済努力であるが、完全に民間で行われるもので、政府または、政府関連組織からの協力はない社会統制努力である。これらの努力は法的制裁ではなく、彼らは実質、社会に存在する法律を犯している。
Donald Black氏は、ほとんどの社会統制は、ある道徳的罪が、そのグループがどう見るかにより、みずから制裁を下す「自助救済努力」であるとしている。人気のない宗教団体に加入することは、時として罪(悪い事)とみられる。民間による自助救済手段のディプログラミングは、この状況に対応するために発展した。
4. 権力(政府)による公然で、合法的抑圧
これは、4つの理念型で、政府の関与が最も高い位置にする政府による抑圧である。政府の信じる正しい信念・行動の正式見解を強要する社会統制手段である。これらの政府の行動は、強制的で、暴力的でもあり、政府の認可しない団体への加入・参加を制止させる行動である。標的にした運動・団体を非合法にすることにより、このような努力は、法律的制裁として行われる。中国のFalun Gong (法輪功)への抑圧は、この例と言える。
ディプログラミングの政府(権力)の関与においては、この両極端(上記の1と4)の間に位置する多くの例がある。
2. 権力(政府)からの非公式な協力を受ける自力救済
たとえば、多くのディプログラミングにおいて、ディプログラマーの行動は、法律や憲法に違反しているかもしれないし、権力者は何が起きているか気が付いているかもしれない。しかし、権力者がディプログラマーと同じ価値・信念を共有するならば、権力者は、今、起きている法律違反を無視するかもしれない。さらに、起きていることに協力さへするかもしれない。このように、自助救済としてディプログラミングと、政府組織により実行されるディプログラミングの明確な境界線(理念型の1と2の間の境界線)は時として曖昧である。
3. 権力(政府)からの極秘で直接的な働きかけ
もう一つの例として、政府機関が運動・団体に対して社会統制を、一般には知られないように、極秘に行おうとしている状況がある。あからさまに参加を思いとどめさせたり、メンバーがその団体から退会すべきと、さまざな方法を使い説得したりする多くの例がある。
アメリカにおけるディプログラミングの歴史
ディプログラミングとは、アメリカにおいて1970年代初期に作られた言葉で、民間の自助努力活動を意味した。人気のない新興宗教の信者が暴力的にグループから連れ出され、監禁され、過激な再社会化の過程を強要され、それにより、そのグループを去ることに同意させられていくものだ。この方法は、1970代から1980年代はじめにかけてたびたび使われ、何千名というアメリカの青年がディプログラミングを経験した。
ディプログラミングという言葉はそれ自体ですでに意味をなしている。というのは、ディプログラミングは、「最初の過程で、ある組織によりプログラム処理されている」という意味を含んでいる。そして、その最初のプログラミングを行った組織は、何かしら間違っており、邪悪であり、破壊的だということを明らかに暗示している。そのディプログラミングという言葉の発明は、不人気な宗教団体と闘っていく上で、絶妙にその意味合いを説明している。カルトに対する敵意から作られた言葉が、「洗脳」と「マインドコントロール」の主張とうまくかみ合っていった。このように、新興宗教に対して、非常に否定的な見識がアメリカや他の国々で作られていった。その見識は、実質、主導権を握り、新興宗教に対する社会統制を実行する上で、強力な社会的武器となっていった。
ディプログラミングは民間の自助救済と言える。なぜなら、アメリカ連邦政府も州政府も、宗教団体を公式に統制することには、力を限定されているためだ。もちろん、多くは、政府職員や機関により、非公式に力の行使が行われたが、米国憲法修正第1項は、政府の公然で直接の干渉を不可能にしている。従って、家族の願いに反してカルトに入会した若い人々の問題の解決手段(政府は問題解決のために干渉しない)として発展してきたディプログラミングの隆盛は、ディプログラミングの民間の自助救済努力の概念うまく説明している。
何千名という若い青年男女が、通常の、そして期待された社会的位置を離れ、新興宗教団体の啓蒙する道と活動に従っていった結果として、アメリカのディプログラミング産業は急激に発展した。この若い青年層は、典型的に中流階級かそれより上でり、比較的教育を受けた人たちだった。彼らは比較的裕福な階級であったので、家族は子供達を元の場所に戻すことに積極的に(経済的に)追求することができた。子供が新興宗教に加入した裕福な家庭が、アメリカのディプログラミング産業の発展に寄与した。
ディプログラミング産業は、広い意味での反カルト運動の一部であった。反カルト運動には、幻滅を感じた元メンバー、子供をカルトに奪われた両親、カルトに信者を奪われている感じている既成宗教、またユダヤ人コミュニティ等が参加してる。いくらかの心理学者、精神科医、法律学者等も、ディプログラミング運動の正当化に大きく貢献した。
ディプログラミング産業には、ディプログラミングを行う人と、それに協力する人からなっている。ディプログラミング目的で拉致した人を送る施設も作られ、支払い能力のある両親によって、子供達が送り込まれた。時として、ディプログラミングは法的権利があるかのごとく起こされた。ある判事は、時として、心的能力の退化した老人の面倒を見ることを目的に作られた法律を使い、両親に子供の後見人管理権を与えた。
後見人管理権を与えられた両親は、取締機関の職員やその手続きを使い、子供達を保護し、ディプログラミング施設に送ったり、精神病院に入れることもできた。しかし、裁判所は、アメリカ市民が享受できる憲法的保証に敏感になり、すぐにこのような判決は疎んじられるようになった。1977年のカリフォルニア州の、統一教会メンバーのキャッツ(Katz)裁判は、先導的な判決であったが、他にも、似たような判決はあった。
ディプログラミングの一連の行為の重大な特徴は、法執行機関と裁判官までもがディプログラミングについて知っており、その行為を認めてきたことだ。それは、起きている事件に対し、公式に容認するか、あるいは、見て見ぬふりをするかのどちらかである。ディプログラミングはたびたび、司法職員により、家族の問題と見なされ、法体系の干渉を受けることができなかった。すでに成人した男女であっても、そして米国修正憲法第一項の信教の自由条項があったとしても、その「家族の問題」との見解は法システムにより採用されていった。州政府にも連邦政府にもそのような信教の自由を奪うディプログラミングに対処する法律があるにもかかわらず、何千というディプログラミングがアメリカで起きた。
アメリカにおいては、カリフォルニア州のKatz裁判のような重要な裁判判決が訴訟の流れを変えるまで、ディプログラミング運動は20年間続いた。この裁判は、拉致監禁され、ディプログラミングを受けた統一教会の青年信者が起こしたものであるが、このような行動(ディプログラミング)に関する法的問題点を明らかにし、ディプログラミングを行っている人々は、アメリカ合衆国のさまざまな法律に抵触する可能性を示唆した。そして、ディプログラマー・両親に対し民事訴訟を起こし勝訴するケースも出てきて、ディプログラマーや、それを支援する組織は、別の方法を考えざるを得なくなってきた。ディプログラミングは、アメリカ社会における信教の自由等の重要な価値観とは相反するものだという意識の高まりによって、ますます多くの司法判断が下され、アメリカにおいては急激なディプログラミングの減少をみた。ディプログラミング産業において、合法的、そして公共の環境に適したものへと移行が行われ、ディプログラミングは、より物理的拘束のない退会カウンセリングへと道を譲っていった。
ディプログラミングとその実践者は、完全にいなくなったわけではないが、アメリカではほんのわずかなディプログラミングのレポートしかない。しかし、その産業は他の地域、特に日本で発展していった。日本では、新しいアイデアを取り入れながら発展してきた。次に、日本のディプログラミングの状況をみていきたいと思う。
(注1) 理念型 (りねんけい= ideal types) 特定の社会現象の論理的な典型をあらわす概念 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E5%BF%B5%E5%9E%8B
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(前半終了)
ここからは、訳者、管理人による記載。
後半は、次のようなサブタイトルが続く。中国の例は、日本の例の2倍のスペースで書かれていて、中国の部分は、省略させて頂くかもしれない。
- 日本におけるディプログラミング:非公式ではあるが、権力公認自助救済
- 政府機関の極秘行動によるディプログラミング
- 国家によるディプログラミング:中国の例
- 結論
さて、リチャードソン教授のいう4つのタイプ、もう一度書くと次のようになる。
1. 個人・民間による自助救済(政府の関与無し)
2. 権力(政府)からの非公式な協力を受ける自助救済
3. 権力(政府)からの極秘だが、直接的な働きかけ
4. 権力(政府)による公然で、合法的抑圧
拉致監禁を受けていると思われる被害者の婚約者が警察に助けを求めるが、警察は動かない。誘拐現場で目撃者が警察に連絡し警察が急行したが、「家族の問題」ということで、被害者の要求は無視された。監禁現場まで知りながら、または監禁現場を訪ねているにもかかわらず、被害者が救出されなかった。
このような例は、私よりも、ここまでこの記事を読んでくれた読者の方が詳しいと思う。「警察が拉致監禁を知っていながら何もしない」または、「見てみぬふりをする」これらの例は、権力からの非公式な協力を得ている場合である。少数ではあるが、警察によって解放された例もあるが、大半は、警察が介入すれば、拉致監禁犯の都合のいい方法で解決されてきた。これらは、上記の2番に該当すると思うが、もし、日本の警察が組織的に拉致監禁犯を逃しているなら3番ということもあり得る。リチャードソン教授も言っている通り、その境界線はあいまい(blurred) である。
後藤徹氏の12年5月に及ぶ拉致監禁で検察は不起訴とした。宇佐見事件では、もし、ストーカー行為ならまず警告すべきなのに、いきなり逮捕され4ヶ月近くも(法定刑は懲役6ヶ月、または50万円以下の罰金)拘束された。両者の共通項は、拉致監禁が関係しているということ。どちらも、ディプログラマー側に有利な決定である。これらは、国家からのディプログラミング行為への干渉(不干渉)が、一般には知られないような形で、より直接的になっているということではないだろうか?上記の事例は、リチャードソン教授がその論文を発表した後に起きたことである。上記のタイプでは3番に該当すると思う。
では、その次はどうなるのか?2番から3番へと移行してきたのだから、限りなく4番に近づき、たとえ、統一教会に対する国の抑圧が始まったとしても、まったくの前兆のなかった出来事ではないのかもしれない。
今回のブログ記事のタイトルは、「日本のディプログラミング:国家(政府)による社会統制」としたが、もう一つ、考えていた題名は、「日本のディプログラミング:国家からの抑圧の半歩手前」というものだった。今年に入ってからの事件を追ってみると、まったくの妄想ではないかもしれない。
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