2011年04月27日

荻窪・松濤 Walk

2011年4月24日(日)の朝、荻窪駅に降り立った。後藤徹さんが解放された荻窪のマンションから、親切な人に出会いタクシーにのせてもらった松濤二丁目の交差点まで歩いてみた。

9:25am 荻窪駅到着
9:30am マンションに到着  10分程、現地に滞在

9:40am マンション発、天沼(あまぬま)陸橋交差点をわたり、青梅街道を都心に向かう
9:45am 成宗交番通過(後藤氏はここで助けを求めるが、冷たく対応される)
9:53am 杉並区役所前通過
10:50am 中野坂上駅(山手通りを右に折れ、渋谷方向に向かう)
11:35am 代々木八幡宮通過(ここで、私はトイレ休憩と、3分ほど座って休む。)
11:40am 死の歩道橋*(富ヶ谷一丁目歩道橋)を超える
11:58am 松濤二丁目交差点到着

*死の歩道橋というのは、私が勝手につけた名前であり、本当の名前は、富ヶ谷一丁目歩道橋である。普通の人であれば、ただの歩道橋である。しかし、後藤さんにとっては、体力の限界、足、膝の激痛の中、険しい山のように立ちはだかった歩道橋である。

私の足で、約2時間20分かかった事になる。後藤さんは、この距離を3時間45分かけて歩いた。後藤さんの精神力には驚くばかりである。その精神力で、これから続く裁判を戦ってほしい。

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posted by 管理人:Yoshi at 22:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 荻窪・松濤 Walk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

日本に来て思った事

今、日本にいる。花粉症の日々である。一年に2度(オーストラリアの春と日本の春)、花粉症というのも、慣れてしまえば、大したことではない。

日本に来て、拉致監禁に関して、すでにいろんな人と会った。それは、拉致監禁に反対する人たちばかりでなく、拉致監禁(保護説得)をやってきた牧師さんも含まれている。

よく聞かれる質問がある。「統一教会の会員ではないあなたが、どうして、そんな活動をしているのか?」と、いうものだ。

きょうは、私が、拉致監禁に関わるようになった大きなきっかけを作ってくれた新聞記事を紹介したいと思う。

世界日報 拉致監禁の連鎖
http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/main.html

この私のブログに来るほとんどは、すでに、拉致監禁に反対の立場の人かもしれない。しかし、それでも、検索エンジンから、ここに、初めて来る人も多く、もしかしたら、統一教会員に対する拉致監禁/強制改宗のことなど、初めて聞く人もいるかもしれない。また、拉致監禁容認派の人たちが、読みに来ているのかもしれない。

どういう経過でここに来たとしても、私がこのような活動を始めるきっかけとなった、新聞記事をあなたに紹介したい。上記の世界日報の拉致監禁の連鎖という特集である。言うに及ばないが、世界日報は、統一教会系のメディアである。その記事の内容については、各自、検証してみて欲しい。

その方法は各自、考えてほしい。ネットだけでも、拉致監禁推進派、拉致監禁反対派のブログ、ウェブサイトがある。あなたが、もし、検索エンジンでここに来たのであれば、ここに来たのと同じように、検索エンジンで探せば、いっぱいでてくるはずだ。どの情報を信頼するとか、しないとかは、あなたの作業である。

私の場合と言えば、こんな感じである。昨年、2010年の2月の中旬だった。世界日報のウェブサイトで、拉致監禁の連鎖というシリーズものがすでに始まっているのに気がついた。普通、世界日報の特集記事は有料であるが、この拉致監禁の連鎖は、無料公開中だった。現在も、無料公開中である。

毎日、その記事をチェックした。その後、拉致監禁の連鎖は、小出さんの手記、菅野さんの消えた婚約者レポートへと続いていった。その頃になると、拉致監禁、統一教会、カルト問題についてのさまざまなウェブサイトを毎日のように、見て回っていた。「拉致監禁は、明らかな人権侵害である。」これが、私の結論であり、その後の私の活動へとつながって行った。しかし、この結論は、インターネット上だけの情報で得た結論だった。

私は、この3週間の日本滞在中に、拉致監禁を受けた被害者の方、拉致監禁反対の活動家/ジャーナリスト等、精力的に面会を求め、実際に会ってきた。と、同時に、保護説得をしていると報じられている牧師さんにも、面会を求めてみた。未だに、返事のない牧師さんもいるし、保護説得/拉致監禁の事になると、「その件については、お話できません。お帰りください。」という牧師さんもいた。質問にすべて答えてくれた拉致監禁反対の人々に対し、口をつぐんでしまう牧師さんたち。これは、何が真実であるか知るための私なりの検証方法であった。

もし、あなたが、このブログに初めて来て、「拉致監禁って何?」って思われた方や、今ひとつ何が起きているのか把握できてない方、是非
http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/main.html
をクリックして、読み始めてみてほしい。拉致監禁事件に対してより興味があれば、少々の時間を費やせば、ネット上でかなりの情報が入手でき、あなたなりの結論が出せると思う。


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posted by 管理人:Yoshi at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ★管理人挨拶/コメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

荻窪・松濤 ウォーク 2011

2008年2月10日、午後4時頃、後藤徹さんが、12年5ヶ月の監禁から捨てられるように解放されました。一文無しの後藤さんは、渋谷の統一教会の本部まで行けば何とかなると思い、青梅街道を東に進み、山手通りを右に折れ、足の激痛に耐えながら、極端な体力の消耗の中、命がけで松濤2丁目の交差点までたどり着きました。交差点で、声をかけた二人目の人が、奇跡的に統一教会員で、彼女にタクシーに乗せてもらい、教会本部までたどり着きました。

私、まもなく、日本に一時帰国致します。後藤さんの歩いた道のりを歩いてみようと思っています。もし、一緒に歩いてみようという方、いらっしゃいましたら、Email(トップページ、左側のメニューの管理人へEmail)にてご連絡下さい。お問い合わせだけでも結構です。折り返し、ご連絡申し上げます。

日時:2011年4月24日(日)午後1時頃〜 *時間変更しました。下記、更新情報を参考に。
杉並区荻窪3-xx-xx から、渋谷区松濤2丁目の交差点まで、(青梅街道を東進、山手通りを南下)約10キロ

後藤さんは、体力の限界の中、3時間45分(午後4時解放→7時45分)かけて松濤2丁目の交差点に着いたことになります。後藤さんの歩いた足跡をたどりながら、後藤さんの裁判を応援したいと思います。

更新情報:
2011-04-16: 荻窪-松濤 ウォーク日時変更の可能性が出てきました。可能性としては、4月24日(日)の午前9時〜、または、その前日23日(土)の午後3時〜。

2011-04-18: 荻窪-松濤 ウォーク時間変更。4月24日(日)の午前9時〜と致します。普通に歩けば、2時間少々で歩ける距離だと思います。

2011-04-22: 4月23日(土)を含めて、それ以降、来週の火曜日の曜日の夜まで、インターネット、メールにアクセスできません。緊急の連絡は携帯 090 9411 6205 まで。


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posted by 管理人:Yoshi at 10:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 荻窪・松濤 Walk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月06日

悪の選択理論 – 犯罪者が自らを守ろうとする防衛理論

昨年の末から、今年の初めにかけて、当ブログにて、「アメリカのディプログラミングの盛衰」というレポートを紹介した。その中で、始めて聞く言葉がいくつもあったが、Choice of Evils 「悪の選択(防衛理論)」 もその一つだった。アメリカの拉致監禁裁判で、ディプログラマー側がよく使った防衛理論である。

悪の選択防衛理論は、その(犯罪)行為は、より大きな犯罪行為を防ぐためのものであり、やむを得ない手段であり、必要に迫られた手段 ( necessity )であったと主張し、犯罪者を有罪判決から守ろうとする防衛理論である。

アメリカで放映されたテレビ番組で Choice of Evils というのがある。たとえば、こんなあらすじである。

「倉庫でティーンネージャーの男の子が死体で発見された。彼の母親アリソンが疑われた。アリソンの元夫(少年の実の父親)は、刑務所暮らしをしている。アリソンの現在の夫が逮捕されたのをきっかけに、彼女は息子を殺害したことを認めたが、彼の実の父親が凶悪人物であり、そのようになる可能性のある息子の犯罪行為から人々を救うためだったと主張した。刑事は、田舎に住むパーフェクトな母親を、有罪判決にもっていくのに苦労する。」

ここで、母親が使った理論が、悪の選択防衛理論である。上記の赤字部分である。アメリカの刑事事件ではよく使われる手法である。上のテレビ番組の場合だと、その母親が、いつもはパーフェクトな母親であり、そして、元夫(少年の父親)が、極悪非道な犯罪人であり、そして、少年の行動に異常だったり、過激な点があれば、説得力はより強くなる。

では、悪の選択理論は、アメリカのディプログラミング裁判ではどのくらい効果があったのだろうか?

ディプログラマーが刑事事件、あるいは民事裁判で訴えられたとする。まず、公判では、その教団の不正・搾取・反社会的行動を効果的に述べ、そして、彼ら(ディプログラマー)は、そういう悪の集団から信者の救出のため、彼らにより悪の行為をさせないために、彼らの将来のためを思い、行動を起こしたのだと主張する。(もちろん、洗脳理論やマインドコントール理論も同時に用いる。)

この論理に多くの陪審員も裁判官も納得し、ディプログラマーに有利な判決が下りた。中でも代表的なのが、1978年ピーターソン裁判(ミネソタ最高裁)である。「子供をカルトから救出する時は、子供の行動の制限は監禁にはならない。」と判決を下した。ディプログラマーがお墨付きをもらった裁判だった。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/177968999.html


1989年のアドルフソン裁判第一審では、悪の選択理論の巧妙さに陪審員は、ディプログラマーに無罪判決を下した。
http://books.google.com.au/books?id=9SOuChpzhQcC&pg=PA193&lpg=PA193&dq=Britta+Adolfsson+Case&source=bl&ots=C6b4UNc3Q7&sig=Zh1dpxurhtnPRV_muLdDqei0UZs&hl=en&ei=mFmcTdjOH4KecLb64ewF&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=4&sqi=2&ved=0CCkQ6AEwAw#v=onepage&q=Britta%20Adolfsson%20Case&f=false

しかし、永久には「悪の選択理論」は通用しなかった。アドルフソンの上告裁判では、「将来の訴訟においては、悪の選択防衛理論は除外するすること」を決定し、「ここで、私たちは、その教会に在籍することが彼女への重大な損害・被害のおそれがあったと被告が関知したとしよう。被告が追求した救済方法は(刑事法違反 であることを知りつつ)、危険の迫っている損害・被害を避けるため、最も害の少ない方法だったということを、被告は示すことができなかった。」と述べた。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/182304325.html

1990年には、アメリカでは、「悪の選択理論」では、ディプログラマーを防衛できなくなってしまった。それから、数年の内に、ディプログラミングに壊滅的打撃を与えるジェイソン・スコットの裁判が始めることになる。

「悪の選択」理論は、犯罪行為を犯した人が、その行為の正当性を主張するものである。と、いうことは、その行為自体(誘拐、監禁等)は認めていることである。

「悪の選択理論」を学んで、どうしても、浮かんでくるのが、日本の「緊急避難」論である。米本和広氏の「我らの不快な隣人」P171〜172で、1987年の事であるが、「緊急避難」という言葉を使った弁護士の話が出ている。今、進行している後藤裁判で、宮村氏やその弁護士は、決して使うことのできない理論である。拉致監禁したことを認めてしまうことになってしまう。

「悪の選択」「緊急避難」にしても、過去の防衛理論だということだ。もし、今どき、「拉致監禁も緊急避難の場合は、やむ得ないと思う。」とか発言する人間がいたとしたら、その時点で、個人の自由・人権を蹂躙していることを認めたことになり、どういう場合が緊急避難なのか、きっちり説明しないといけないし、賢い人なら、決して使わない言葉である。

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